2016年02月11日

無意識の力

人間というのは、無意識にかなり支配されていると思う。

たぶん無意識には理屈が無い。
なんとなくそのように感じて、その感じに追い立てられて行動が起こる。

例えば腹が減る。
何か食料を食べたいと感じる。
さて何を食べようかと少し意識する。
それで昨日はカレーを食ったなとか、今財布に3千円しか入っていないとか、目の前に吉野家があるなとかいろいろなことを意識して何を食べようかと意識で考える。

この場合の腹が減ったなと感じる寸前までの感じ、この辺が無意識領域にあたるのだろう。
腹が減るとさまざまな身体的な信号が発せられる。
腹がグルグル鳴ったり、ちょっとフラフラするような感じがあったりする。
そのような身体からの信号を意識が判断して「腹が減ったな」と思う。

食欲とかの本能的な欲求だと話があまり面白くない。
例えば人を嫌いになる場合。

誰かを嫌いになるのは、その人に会うたびに嫌な事件が発生したり、会話を交わすとストレスを感じたり、そういうマイナスの条件強化がだんだんなされてその人を嫌いになる。
顔を思い浮かべるだけで嫌な気分がする。

この場合嫌いになるプロセスは、意識による思考で進むわけではない。
この人は自分の人生にとってプラスの役に立たないから嫌いになるべきである、と思考した結果嫌いになるわけではない。
ただなんとなく、いつのまにか嫌いになっている。

この辺の理屈は、フロイトやユングや最近の認知心理学の本でも読めばもっと明解になるのだろうが、残念ながら現時点のわたしはそういう勉強は十分ではない。
だから勝手に頭の中で想像している。

おそらく、生き物的には無意識状態がデフォルトなのだと思う。
あるいはチンパンジーやゴリラなら、かなりの程度いろいろ意識しているかもしれない。
また犬や猫くらいの動物でも何か意識のようなものを持っているのかもしれない。

ただ人間の場合、意識を言語化することによって複雑な論理思考も出来る。

そうなったのは10万年前なのか2〜3万年前なのかはよく知らない。
ただ、複雑な論理思考をする「意識」が生まれたことによって、チンパンジーなどとも隔絶した複雑巨大な人類社会が作り出されたのは確かなことだろう。

しかし長い生き物の歴史上、意識の発生はまだ日が浅く、したがって生き物にとってのデフォルトの無意識の力は依然として大きい。

人間は、自分では意識的に振舞っているつもりでも、その実ほとんど「無意識」に突き動かされているんじゃないか、時々意識によって無意識に少々抗ってみるのが関の山なんじゃないか。

そういうことをふっと思ったので、意識の力により書いてみました。
posted by ヤス at 09:33| Comment(0) | 徒然なるままに
この記事へのコメント
コメントを書く
お名前: [必須入力]

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント: [必須入力]

認証コード: [必須入力]


※画像の中の文字を半角で入力してください。