2016年01月23日

ひとつのタスクはひとつの脳みそ

二人の将棋指し、AさんとBさんがいる。
AさんとBさんは10回対戦してAさんの9勝1敗になる実力差があったとする。

ここでBさんと同じ実力の棋士を9人呼んできてAさん一人対10人で対戦したらどうなるか。
たぶん結果は変わらない。

将棋を指すという行為は、ものすごく創造的で高度な知的作業である。
強い棋士が頭のなかで、映像で考えているのかそれとも別の方法でやっているのかよく知らないが、ゼロコンマ何秒かの瞬間にものすごい量の思考を行っているはずだ。
こういう高度な思考作業は、隣にいる人と相談しながらやるなんていうことは出来ない。

棋士は小さい時から時間をかけて将棋を指す訓練を続け、その結果脳細胞の配列もそれ用に最適化されているだろう。
ここに、もうひとつ別の将棋をやる脳みそを持ってきたところで、ふたつの脳みその間を神経細胞的なレベルで結合しない限りは、脳みそがふたつあることの意味は全く無いのだと思う。
(たとえ未来のどこかでそういう結合が出来たとしても、ふたつの脳みそをシンクロさせるための訓練期間がさらに必要になるだろう、と思う)

要するに何を言いたいかというと、高度な知的作業はひとつの脳みそでやるしか無いのだということである。


ジブリの映画の「風立ちぬに」にも登場した旧帝国海軍の零式艦上戦闘機の設計主務者・堀越二郎という人がいる。
彼は通常ゼロ戦の設計者である、という風に紹介される。
三菱重工のゼロ戦設計チームは、堀越以外にもたくさんいて、艤装担当とか計算担当とかいたはずである。
それでもゼロ戦の設計者といえばやっぱり堀越二郎なのである。
それは、ゼロ戦開発のイメージのすべてが、彼の脳みそひとつの中で創造されただろうからである。
これは今日のトヨタや本田の自動車開発でも同じだと思う。
逆に、開発イメージを数人の合議制か分担制で作ったとすると、それはとんでもなくちぐはぐな愚作になってしまうに違いないのである。

これは、飛行機や自動車以外でも、お菓子メーカーでも料理のメニューでもゲームソフトの開発でも基本的に同じだと思う。
具体的な開発作業は分担で出来たとしても、企画段階の最初に創造する開発のイメージはひとりの脳みそによって作った方が、より鋭く、美しく、優れたものが出来るのは間違いないところである。

だから会社なんかで新しい商品とか、新しい事業とかをやるときは、最初の企画作業は合議や分担でなく一人の人間がすべてをつくりあげるべきであると思う。

また日常的な業務で作業を分担して進めないといけないときなんかも、ひとまとまりのクリエイティブなタスクは一人の人間が担当するようにしないといけない。
そういうところに気をつけてタスクの切り分けをした方がいいよなあ、などと思った。
posted by ヤス at 11:15| Comment(0) | 徒然なるままに
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