2015年12月30日

倹約遺伝子の人類

減量はつらい。
減量するためには空腹状態を維持しなければならない。
減量がつらいというのは空腹状態がつらいということだ。
空腹状態がなぜつらいかというと、これは人類の本能に根ざした辛さだからである。

倹約遺伝子と浪費遺伝子というのがあるそうだ。
倹約遺伝子を持つ種類の人類は、腹いっぱい食べてもまだ満腹にならない。
で、せっせと食べ続けてカロリーとして消費されなかった分は脂肪で溜め込む。
かたや浪費遺伝子タイプは、すぐ腹一杯になるから脂肪で貯め込むのが苦手だ。


人類の歴史は飢餓との戦いの歴史であった。
だいたい野生動物の生活は「食うこと」を中心にまわっているように見える。

生きるために食べるのか、ひょっとしたら食べるために生きているのか。
自然本来の動物にとって、食べることは生きることそのものなのだろう。

農業が始まって穀物を中心とした食料の安定生産の道がひらけ、産業革命で工業化して動力灌漑などで生産性が向上し、バイオ技術でより収量の高い品種が生まれ人類の食事事情は改善してきたけれど、糖尿病や高脂血症などの「食べ過ぎ病」が問題になるほど飽食の時代になったのは19世紀以降、ついこの200年足らず前からだという。

原始人類には倹約遺伝子を持つものと浪費遺伝子を持つのといたけれど、長く続いた飢餓状態で浪費タイプは淘汰され、脂肪を溜め込む倹約タイプが生き残った。

しかし人類の遺伝的特性は、近代以降に突如として現れた飽食時代にはさすがに適応できていない。
おそらく遺伝子が飽食対策を整えるには10万年単位の月日が必要になる。


人類はこの問題に対して遺伝情報の進化という生物的な対策ではなく、意思のちからに基づく知的方法によらなければならない。

だから体重を減らそうと思って体重を減らす、というのは人類の知性による遺伝子的本能に対する戦いである。
だからつらい。
本能の力は偉大なのだ。


今からもうあと何十時間か経つと、日本全国のお寺さんで煩悩を象徴する百八つの鐘の音が響き渡る。
煩悩の土台には原始時代の飢餓の思い出があるに違いない。

ライザップは派手な宣伝でキワモノ的なビジネスに見えるけれど、本能との戦いを後ろ盾しているという意味で、案外根源的な商売なのかもしれない。
と思った。
posted by ヤス at 07:48| 徒然なるままに