2015年11月23日

待つ時のこと

仕事で打ち合わせなんかに行って、少し早く着きすぎて待つことがたまにある。
あるいは時間通りに着いたけれど、先方がトラブってしばらく待つような場合。

かつて、このようなケースでは、鞄の中の打ち合わせの資料に目を通すとか、応接間の調度品やら天井のシミやらのようすをつぶさに観察するとか、その待ち時間の過ごし方はなかなか難しかった。

特に、3分待つのか30分待つのか分からないような状況では、時間の埋め方に苦労する。
待っている時間のあの独特の緊張感って、何だろう。

あんまりリラックスするわけにもいかず、客先の応接テーブルの上に仕事の資料を広げるわけにもいかず、同行者が居る場合でもあんまり大声で会話も出来ない。
なんともいえない不自由な時間である。

まれに、明らかに意図的に待たせているのでは、と思うようなケースも有る。
ものすごくだたっぴろい、無人で静まり返ったロビーのような場所に通されて10分20分待たされることがあって、そういう時これは何か試されているんじゃないか、どっかに監視カメラが付いてて観察されているんじゃないかと、疑心暗鬼になってしまう。

巌流島で宮本武蔵が佐々木小次郎を待たせてじらせた作戦は、どうも吉川英治の創作であるらしいが、仕事上の交渉などにおいて、相手を待たせて多少の精神的圧迫を加えることは、実はかなり効果があるのかもしれないと思ったりする。

しかしスマホの時代になってからは、とりあえず待たされる時間はポケットからiPhoneを取り出して、メールチェックしたりニュースサイトを開いたりして、待ち時間の穴埋めがわりかし簡単に出来るようになった。


でもよく考えてみると、何もすることが無いのなら、静かに目を閉じてじっと待っていればいいだけの話だよなあとも思う。
ただ人間っていうのは「何もしていない時間」に耐えられないように出来ている。
とりあえず、10分か20分じっと待っていないといけないとなったら、スマホをいじくったりカバンから書類を出して眺めたり応接室の中をぐるりと観察したり、何かをしていないと心が落ち着かないらしい。

何かをしていないと落ち着かない人間って、いったい何なのだろう。


まあ自分が日本国の首相だったりアメリカ大統領ならそうそう待たされることも無いのだろう。
いっぺんでいいから、誰かをわざと待たせてそれをこっそり物陰から観察してみたいなあ、などと悪いことを考えたりしてみた、今日この頃である。
posted by ヤス at 14:51| 徒然なるままに