2015年11月13日

芸術品の値段について

なんとなく、「美術品の値段」というものをネットで調べてみた。

今から30年くらい昔のバブル期には、カネの余った日本の会社、特に機関投資家でもある保険会社などが名画を買い漁りするような時代があった。
1987年に安田生命がゴッホの「ひまわり」を3992万1750ドル=58億円で買ったのは当時大きなニュースになったのでよく憶えている。

しかし上には上があるようで、オークションなど以外に、表に出てこない個人売買では2〜3億ドルという取引もあるようで、この世には日本円で300億円くらいの絵画の売買もあるらしい。
ネットではゴーギャンの作品をオイルマネーが推定3億ドルで購入したとかの情報が出ていた。

安田生命が買った「ひまわり」は、その後同社の美術館に収まり、安田生命は同業他社と合併して損害保険ジャパン日本興亜に変わったらしいが、絵の方は今でも無事に美術館に展示されているらしい。


しかし、絵画の値段に数十億円とか100億円とかの値段が付くのは考えてみると不思議である。
その絵画を美術館に展示することによって得られる入場料収入の現在価値、みたいな収益還元的な計算では何十億円の値段は出てこないだろう。
この値付けは投資物件としてのメカニズムによって算出されたものと思われる。

絵画の場合、土地や建物などの不動産と違って持ち運びが出来る。
また、経年劣化による価格低下というのも無い。
どちらかというと製作から時間が経つほど歴史的価値が増す。

たとえばゴッホが「ひまわり」を製作するにあたって使用した原材料費は、キャンバス代や絵の具代などに5〜6万円かせいぜい10万円くらいであろう。
バブル期に安田生命が投じた58億円は、もちろんゴッホが使用したキャンバス代や絵の具代を価格評価の対象としていないであろう。
58億円は100%「ひまわり」の芸術的価値という、なんだかよく分からない形而上的なモノに対して投じられているのである。
それはほぼ空気に値段が付いたのと同じに思われる。
いや、空気には酸素や窒素などの物質的要素があるから、58億円の価値は空気以上に透明な要素の値段である、と考えることが出来る。

しかし考えてみると、「モノの値段」というのはそもそもまるで空気のように掴みどころのないものであると思われる。

そもそも「貨幣」というのは人類の創造した幻想なのであり、そもそも「貨幣」には実体的な「存在性」はまるで無いのだ。
貨幣経済の歴史の蓄積が、「貨幣」にまるで実体があるかのような幻想を我々に与えたのではなかったか。

どのように煮ても焼いても食えない一枚の油絵に「値段が付く」という現象は、二匹のオバケによるお遊戯のようでもあり、また一方ではそれこそがおカネというものの本性であるような気がする。

なんだかうまく説明できないがそのように思った。
posted by ヤス at 11:49| 徒然なるままに