2019年05月31日

怒りの鎮火作業

怒りの感情は、人間の脳みその比較的奥深くの大脳辺縁系の辺りから出て来ているらしい。
脳みその奥深くということは、脳の部位としては進化過程における原始的段階ということだろう。
「爬虫類脳」とか呼んだりすることもある。
そのような脳の原始的部位から発生する原始的なアウトプットが「怒り」というものである。

人はしばしば怒りの感情をコントロールすることができなくなる。
わたしなんかもしょっちゅう怒りの感情にさいなまれる。
あの、かーっと頭に血が昇る感じ、血が昇って目が血走って手元に適当な灰皿でもあれば怒りの対象に投げつけてやりたいあの衝動。
そういうものに時々とらわれることがやっぱりある。

ただ残念なことにタバコは吸わないので手元に灰皿はなく、しかもそれなりに長く生きてきてこのような場合の対処法にもだんだん慣れてきている。
だからしばらくすると、なんとかかんとか冷静を取り戻す。
しかし大脳辺縁系から昇り立ってきた怒りの燃えかすから出る煙が、しばらくの間、前頭葉から頭頂部にかけて紫色に漂っているのを感じる。

後からもう一度怒りの場面を思い出して「なぜわたしは怒ったのか」「相手の何がわたしを怒らせたのか」を前頭葉の辺りで考えるのだが、この後から考える作業は下手をすると、事態をますますややこしくする危険がある。

いや、ぼんやりとした怒りの感情に「論理」によって分析を加える、原因を論理的に求めて次からはそのドツボにはまらないようにする、そのためにも怒りの場面を反芻する作業は是非必要であるように思われる。
しかしともすると、くすぶっていた怒りの残り火が、論理的に考えている最中にまた勢いを強めて大脳辺縁系が再炎上する、そういうケースが意外に多い。

だからこの消化作業は、実はかなり慎重に行わないといけない。

怒りの感情は、まっとうな社会人として生きていく上ではけっこう邪魔になることが多いと思う。
誰かに怒るとその人を嫌いになる。
嫌いになると、たとえそれがビジネスライクな付き合いであっても、顔を合わせたり話をしたりする時に多少ともギクシャクが生じる。
そういうのはちょっとしたストレスである。

だからできるならなるべく誰にも怒らないように生きていきたいのだけれど、大脳辺縁系の不思議で、何の前触れもなく怒りの感情は出てきたりする。

しかし考えてみると、今に至るまで人間の脳にこのような怒りの感情が脈々と引き継がれていることにはそれなりに必要があってのことのなのではないかと思う。
おそらく行動のモチベーションになる感情には、空腹とか恐怖とか、わりかしマイナスなものが多いと思うのだけれど、怒りの感情も生きる上でのけっこう重要なモチベーションになっているのではないかと思う。

「怒り」は人間がまったく前頭葉的に生きる上ではちょっと邪魔になるけれど、しかし生きることの根源部分においてはそれなりに必要なものなのかもしれない。
だからわたしは、怒りの感情を完全に抹消して悟りの境地に達することはできず、たぶん死ぬまでの間怒るたび慎重な消化作業を行う、そして時々消化に失敗して再炎上する、そういうシーシュポス的な所業を続けていくのに違いないと思った。
posted by ヤス at 11:27| Comment(2) | 徒然なるままに