2019年05月29日

包摂する社会について

また小さい子供が犠牲になる事件が発生して、19人が被害にあってうち2人が命を落とした。
犠牲になった方のご冥福をお祈りします。
また怪我をした小さい子供も心に深い傷を負ったはずで、それらのことを思うとなんとも言えない気持ちになる。

加害者の50代男性は自刃して亡くなったそうであるが、こういう事件が起きると「死ぬなら一人で死ね」という意見が出てくるのもまあ仕方がない面がある。
ただあるネット記事の中に、こういう「一人で死ね」的な意見は非常に危険だ、というのがあってなるほどなとも思った。

もし自分が被害当事者になった時にそんな冷静な話ができるのか、ということを考えるとかなり難しいけれど、しかし理屈としてそういうことは心得ておいた方がいいと思う。

このような痛ましい事件が起きると世の中はやり場のない復讐感情で膨れ上がってしまうものかもしれないが、しかし冷静な理屈を言うなら大事なのは同種の事件が再発するのを防止することのはずだ。

凶悪犯罪に対しては、しばしば「厳罰化」の声が大きかったりする。
しかし厳罰化は、必ずしも犯罪抑止に効果がないとも言われる。
一方で犯罪の種類によっては厳罰化の効果は確かにあるという研究もあるらしい。
ただ衝動的殺人のようなケースにおいては、厳罰がどうこうというのはあまり関係ないのではないか、という風に個人的には思う。

日本列島には1億3千万人も人間が暮らしていて、その上に多数の外国人もいる。
そんなにたくさん人がいれば、その中に凶悪犯罪を起こす人間が一定割合で出てきてもしょうがないのかもしれない。

そういう人間は精神的に重大な病を抱えているのかもしれず、それは治癒不可能な種類のものかもしれない。
そんな人間がいつか重大犯罪を起こす可能性というのは常にあり、そうなるとそんな異常者は事が起きる前に社会から排除してしまえ、という感情が世の中に沸き起こってもおかしくはない。

そういう感情は仕方のない面もあるけれど、それでもやはり我々は、病的な人間、異常な精神の持ち主とも共生していくしかないのである。
人間の凶悪な部分も包摂しつつ社会をつくっていくしか仕方がない。
それは異常者を排除するとしても線引きをどのあたりに決めるかが不可能であるし、排除の理論は最終的にはホロコーストに行き着くしかないからである。

凶悪犯罪が起きると大きなニュースになって、最近こういうのが多いなあとか感じるが、凶悪犯罪はこの数十年で確実に減少しており、その意味では社会は確実に良くなっている。

被害に遭われた方々の感情の回復が行われることはもちろん最優先だと思うが、そこから少し距離のあるところにいる他の人たちは、被害者の方々の被害感情に共鳴しつつ心の片隅にそういう冷徹な気持ちを置いておくこともまた大事なのではないかと思ったりした。
posted by ヤス at 08:20| Comment(2) | 徒然なるままに