2019年05月19日

旅のいい人作用

オートバイにのって野宿旅行していると、知らない人に声をかけられる。
それもたまにかけられるというのではなくて、ほぼ一日に一回以上の感じでコンスタントに声をかけられるのである。
声をかけてくるのはたいていおじさんが多い。
あとはおばさん。
それからどこかの駐輪場にバイクを停めたときに他のライダーと「こんにちは」とあいさつして、そこからふたことみこと、適当に会話を交わすようなこともある。
一方で妙齢の若い女性とかはまったく声をかけてくる気配がない。

おじさんはたいていオートバイに対して興味を示し、排気量はいくらなんとか、値段はなんぼだったのとか、燃費はどんくらいだとか、そういうことを尋ねてくる。
それに適当に返事をしていると、俺はこれから友達のところに酒飲みに行って明日はゴルフだ、とか聞いてもないのに自分のことをペラペラしゃべる。

おばさんは相手が地元の人の場合、この辺に来たらこの店でアレを食べて帰ってよ、とかマイナーなグルメ情報を教えてくれたりする。

そういうことが、オートバイに乗って遠隔地をふらついていると日に2、3度発生する。

これは旅ならではの体験だと思う。
まず普通に生活している限りにおいては、知らない人としゃべることが滅多にない。
わたしの場合、人と話すの極端におっくうなので知っている人と会ってももあまりしゃべらない。

だが旅先でしらないおじさんやおばさんとしゃべる分には、あまり面倒くさいということももない。
今思い返してみると、旅先で言葉を交わした知らないおじさんやおばさんは、だいたいいい人だったように思える。
それは声をかけてくるおじさんおばさんが実際にすごくいい人だったのかもしれないし、本当は極悪非道の意地悪なおじさんだったのが、旅先で短い会話をする限りにおいてはすごくいい人に見えるということだったのかもしれない。

まあとりあえず、会話の瞬間においては、それらの人はいい人に感じられたということである。
相手にとって、汚い格好で野宿旅行しているおじさんはどう映ったのか。
希望的観測も交えて想像するに、たぶんそんなに悪い人物とは映っていないのではないか。

たぶん旅先で知らない人と話をしている時は、お互いの「いい人成分」だけを交換するような作用が働くことがあるのかもしれない。

そういうことで旅先で知らない人と話をするのは、なかなか気分の良い体験であるとあらためて思った。

それともうひとつ、旅先で話をする人はいい人であると同時にちょっと変わったところのある人のような気もする。
ちょっと変な人と話をするのは、けっこう楽しい。

そういう時、相手もやっぱりわたしのことを変な人と思っているのだろうか。
そこが少し気になった。







posted by ヤス at 07:14| Comment(2) | 徒然なるままに