2019年05月11日

絶望を希望に変換する

脳の神経細胞には疲労という概念はないというのを聞いたことがある。
しかし現実には、脳みそはちょっと酷使すると疲れる。
そしてやる気がなくなる。
眠くなる。

脳みそをかなりフル回転させないとできないような作業をする場合、取り掛かる直前までは気持ち的にやる気に満ちているのだが、いざ始める段になると、目の前に見えないバリアがあってそこから先進めないような「行き詰まり」の感じが生じて、その瞬間に早くも作業が頓挫することがあったりする。

そんなときは実際には脳をほとんど動かしていないにもかかわらず脳疲労状態に陥っているようなことになる。
あれはなんなのかと思う。

あの、脳がちょっとフリーズする感覚。
3分ほど前までやる気満々で腕まくりして、よいしょと仕事机に着席したばっかりだっていうのに。

この場合、脳をフリーズさせる原因はなんとなくは分かっているのだ。
あれは一種の絶望感である。
絶望を前にすると脳はその働きをやめるものらしいのである。

脳を使った作業というのは、ある程度取っ掛かりからフィニッシュに至る工程をイメージできるものはわりかし簡単である。
その作業に何分くらいかかるか検討もつくし、多少面倒くさい作業でも、とりあえずひとつひとつの工程をやっつけて積み重ねていくとやがてゴールに到達するというのがイメージできる。
そういう作業には希望がある。

どの程度苦労を重ねれば作業が終わるのかというイメージが明確だと、そこに希望が生じる。
そして希望はやる気を生む。
またある程度作業に没入することができれば「慣性の法則」が働き出して、もうそこからはやる気がどうのとか考えなくても自然に作業がはかどる。

しかし作業の取っ掛かりがみつからなくて、何をどうしたら仕事がはかどるのか、どれくらいがんばれば終わるのか、その辺のイメージを掴みそこねるととたんに絶望の悪魔がわたしの心を捕らえる。
そして思考回路が停止し、やる気が蒸発し、眠くなる。

今までわたしの人生は、このような絶望の悪魔との戦いの歴史であったといってよい。
そしてその戦いは常に悪魔側がやや優勢であったのかもしれない。

だがわたしは、この悪魔の正体が「絶望」というもので、それをなんとか「希望」に変換すれば悪魔との戦いに勝ちおおせることができるのだ、ということに気がついた。

絶望を希望に変換する作業は、しかしそれ自体も悪魔との戦いであって容易ではない。
わたしの戦略は悪魔をなるべくこちら側の陣地に引きつけて、必勝の態勢でまずは小さな一勝を上げることである。
そこから少しずつ小さな勝ちを重ねて絶望の悪魔が潜む城砦を地道に土台から崩していくのだ。

絶望との戦いはまだまだ続く。
posted by ヤス at 14:13| Comment(2) | 徒然なるままに