2019年05月04日

失敗するほど長生きできる

昨日ちょっとした失敗をして、それというのもオートバイのハンドルに防水のウエストバッグをぶら下げていたのだが、そのビニール製のウエストバッグの底がオートバイのマフラーに触れて穴が開いた。
長さ2cm幅1.5cmくらいの不規則な楕円形の穴。
これでは防水バッグの意味がない。
バッグはたぶんAmazonで3500円くらいの安物なのでまた買えばいいのであるが、疲れのせいか歳のせいかこんなささいな失敗がひどくメンタルに堪えた。

しかしその時はめずらしく気持ちを立て直し、パッキングした荷物の底にしまってあった「整備セット」から黒のガムテープを取り出すと、とりあえず応急措置的にであるが、ガムテープでしっかり目に穴を塞いだ。
まあバッグの底の穴ではあるし、テープで塞いだので多少の雨で浸水することはないだろう。
また万が一にも小さな物が穴からこぼれ落ちる心配もこれで無くなった。

あるいはもうちょっとちゃんとしたリペアをすれば、このままバッグを買い換えずに済むかもしれない。

そうやってバッグの穴が多少回復したら、落ち込んでいたメンタルが少し甦る感じがした。

ただ、バッグの中に入っていた電気シェーバーが、角のところが多少溶融するというダメージを受けているのを間もなく発見した。
幸いシェーバーは問題なく作動し、これはまるで何かの雑誌に載っていた、戦場カメラマンの代わりに銃弾を受け止めたライカ(コンタックスだったかな)みたいだなと思った。
勢い余ってその場で電気シェーバーで髭を剃った。




かつて徳川家康は、まだ歳を取って太る前の痩せている若い頃、三方ヶ原で武田信玄の大軍を迎え撃ってみごとに破れ、脱糞するほどあわてふためいて命からが近くの浜松城に逃げ込んだ。
家康が面白いのは、その時の負けてげっそり頬がこけた肖像画を描かせて、後のいましめとして残したという話である。
また家康はこの戦いで武田軍の強さを心底尊敬するようになり、10年ほど後に武田氏が滅亡した時、生き残った武田の家臣をたくさん召し抱えた。

スケールはだいぶ違うが、防水バッグに穴を開けて落ち込んだ事件からこの家康の故事を思い出した。

失敗した人間が時々クヨクヨしたりするのは、失敗の記憶を強く残すことで後の人生に生かすという人類進化上のメカニズムが働いているのだと思う。
ただ人類の場合、クヨクヨが高じて良からぬ想像が大脳辺縁系辺りで広がり、メンタルがドツボにはまることもあって、あまり本能のままにクヨクヨするのも考えものである。

望ましいのは脳みその前頭葉辺りの能力を活用し、失敗を合理的にとらえて繰り返さないように意識することだと思う。
そうすることによって、失敗を糧にすることができる。

そう考えると人生における失敗はむしろたくさんあった方がいいんじゃないか、と思えてくる。

最近思うのであるが、生き物が生きることの目的、というか目標は「死なない」ことではないか。
死なないためには次々に発生する失敗から合理的に学ぶことがぜひ必要だ。
むしろたくさん失敗した方が死ににくくなるくらいだろう。

肝心なのは、失敗は、死なない程度の失敗になんとかとどめることに違いない。
死なない程度の失敗を繰り返している限り、人はむしろ長生きできる。

とか、たかがバッグに穴が開いたくらいでいろいろとややこしいことを考えないといけないのは、ちょっと面倒くさいといえば面倒くさいなあと思った。


今日は朝イチで松本城の五重にそびえ立つ天守閣を拝んで、その後のことはまだ考えていない。



posted by ヤス at 09:04| Comment(2) | 徒然なるままに