2019年01月31日

今朝の大発見について

今朝、ちょっとした発見をした。
あるいは発見をしたような気がするだけかもしれないが。

わたしは日常の食事のタンパク質不足を補うためにほぼ毎日プロテインを摂取している。
プロテインは「ケンタイ ウェイトダウンソイプロテイン甘さ控えめココア風味1kg」を買っている。
このプロテインを「キッコーマンおいしい無調整豆乳(1000cc入り)」に若干の水を加えたものに溶かして毎日飲む。

毎朝、最小計量単位0.5gのクッキングスケールにシェイカーをセットし、まず豆乳を200g注ぐ。
きっちり200.0g注ぎたいが、ちまちまやっていると時間ばかりかかるので長年の間に磨いた名人芸で201gとか202gあたりをターゲットにピタッと注ぐ。
そこに水をおおよそ60g加えて少し薄め、その上でプロテインをおよそ40g投入する。
ここでも厳密に40.0gではなく、おおよそ41gぐらいをターゲットにザッと投入し、41.5gとか42.0gぐらいになることが多いがそのようなバラツキはたいした問題でない。

豆乳約200ccとプロテイン約40gを摂取することによりおよそ38gのタンパク質を補うことができる。
1日に必要なタンパク質量は最低60g程度だということなので、残りの22gは他に摂取する某ファーストフードやその他ジャンクフードからの補給分でほぼ十分だろう。
そういう算段である。

それで今朝の発見の話だ。

「キッコーマンおいしい無調整豆乳」は1000cc入りなので、毎日約200gずつ消費していくと5日目にちょうどなくなる。
それで今までは毎日201gとか202gとか消費すると、5日目は少し多めに余っていて208gとか209gくらいになっていた。
この傾向は少なくとも記憶にある範囲で、最近1〜2年間ずっと変わることはなかった。

キッコーマンの工場で機械を使って精密に豆乳を充填しているのだろうから、まあ当たり前の話である。

で、今朝もその「5日目」に当たる日だった。
四角い紙パックを精一杯傾けて、いつものようにクッキングスケール上のシェイカーに豆乳を注いだ。
そうしたら、クッキングスケールの表示が「199.0g」で止まったのである。
かなりがんばって紙パックを揺すったり、指先ではじいて微振動を与えたりして最後の一滴まで絞り出したが、それでやっとの199.0gだった。

いつもなら207.0gとか206.0gくらいは残っているはずなのに、こんなことは初めてだ。
短絡的に考えると、キッコーマンでは密かなコストダウン対策として「おいしい無調整豆乳1000cc」の内容量を最近の製造分から10ccほど減らしたのではないか、そういう疑惑が当然浮かんで来る。

しかし一方では、今までは充填量のバラツキで稀に規定量に達しない製品が発生する可能性があったために、そのバラツキ分だけ規定量より多めに充填していたのを、最近は精度が上がって充填不足発生の撲滅に自信が持てるようになった、それで余計に充填するのを止めることにしたのだ、とも考えられる。

あるいは単に今回だけわたしの計量にミスがあっただけなのかもしれない。

冷蔵庫には明日封を開ける予定の新品の「キッコーマンおいしい無調整豆乳1000cc」が1本入っている。
明日以降の5日間の豆乳計量が、なんだか楽しみになってきた今日この頃である。
posted by ヤス at 10:37| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月30日

統計不正について

毎月勤労統計の不正が問題になっている。
この統計不正は2004年から始まっており、不正の影響で失業保険などの過少給付が発生しており、その影響はのべ1973万人に対し537億円にのぼるらしい。
1973万人に537億円ということは、割り算すると一人当たり2800円くらいだ。
過去15年にわたる1973万人の対象者を割り出し、一人当たり2800円の過少給付をあらためて払い直す作業は考えただけで気が遠くなる。
というか、たぶんこの作業は完了不可能だろう。

それでこの不正問題、いまひとつ全体像がよく分からななくなってきたので少しネット情報を調べてみた。

まず不正の中身は非常にシンプルで、毎月勤労統計の東京都の従業員500人以上の大企業の調査が、3分の1しかやっていなかったという話である。
問題は二つあって、そもそも大企業については全数調査が義務付けられていたのにそれをやっていなかったこと。
もう一つは、3分の1しか調査していないので本来なら回収した数値を3倍して、ざっくり本来のボリュームに復元する必要があったのにそれをやっていなかったこと。
この二つの問題はそれぞれ重大な違反であるが、二つ目の3倍していなかった方の問題はより深刻だ。

毎月勤労統計は厚労省の統計だが、調査実施は各都道府県が担当する。
だから今回の不正は厚労省も東京都も承知の上、というか共犯的な関係の中で延々15年間続けていたことになる。

この不正の「動機」が何か、というのが今後の事態改善のためにも重大なわけであるが、毎度のことながら厚労省ではお手盛りの内部調査でお茶を濁そうとするばかりで、最悪原因究明されないままに終わる可能性だってなくはない感じだ。

ネットで某識者が推測していたのは以下のような感じだ。
この不正は2004年頃に始まって、この頃は「小泉竹中改革」で人材派遣業の業種拡大もしていた時期で不正規雇用が増えていた。
それでそのままでは失業保険給付も増えそうな状況だったので、給付額を減らしたいがために行ったのが始まりではないか。
不正を主導したのは厚労省のキャリア管理職だろうという。
統計の現場には専門職のノンキャリもいるが、こうした職員はもし不正がバレたら責任を一身に背負ってクビになるリスクが高い。
一方でキャリアの役人は数年で異動するので「ほっかむり」しやすいし、ノンキャリ専門職の場合は粛々と作業するだけの仕事なので、そもそも統計データを不正操作する動機が生じようもない。

というのはあくまで憶測記事であって、真実かどうかは不明である。
ただ個人的には非常にもっともだと思う。

統計データというのは、細かい数字でいっぱいの集計表を前にすると何か非常にもっともらしい感じがする。
そういう点で統計データは本来ことば以上に「嘘」をつきやすいものなのだと思う。

だから政府発表や企業発表の細かい数字の表を見たら、「これは嘘かもしれない」とまず疑ってみることが本当は妥当な態度なのかもしれない。

実際に粉飾決算だとかGDP統計のかさ上げだとか、数字にまつわる嘘(または疑惑)は今までにも枚挙にいとまがないのである。

今回の統計不正をきっかけにして、結局のところ「日本人は少し賢くなった」ということになれば良いがなあと思ったりするが、どうなのだろうか。
posted by ヤス at 11:03| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月29日

食品廃棄は本能の問題である

もうすぐ節分。
最近は、ニュースなどで恵方巻きの廃棄問題がよく取り上げられている。
2月3日が終わって、店頭に売れ残った恵方巻きが無残に捨てられる映像を見るとほんとうにもったいないと思う。

ネット情報によると日本における食品廃棄は年間約620万トンにもおよび、内訳は外食や小売などの事業系が340万トン、家庭系が280万トンらしい。
この620万トンという量は、国民一人が毎日お茶碗一杯分の食品を捨てていることに相当するものであるらしい。
ご飯一杯とはいえ365日を掛け算するとえらい量である。

このように膨大な量の食品廃棄が出る背景は、具体的に見ると小売業と外食業では事情が異なるし、家庭における廃棄もまた別の原因があるものと想像される。

スーパーやコンビニなど小売業において食品廃棄が出るのは、もともと「一定の廃棄が必ず出る」ように生産や流通が計画され実行されているからに違いない。
食品小売では売上と利益を最大化するためにありとあらゆる「ロス」をしらみつぶしにしている。
その中で売上の「機会ロス」はかなり大きな撲滅対象である。
売れるはずだったのに棚に商品がない、という機会ロスの発生を防ぐために各小売業とも、必ず売上予想より数%余計に棚に並べる。
その数%は、必ず廃棄になる運命と承知で棚に並べる。
この数%を廃棄にして多少損が出てても、機会ロス防止と長期的な顧客満足の成果で十分に元が取れる、というのが小売業の考え方であろう。
こういう風に売上・利益を極限まで追求している限り必ず食品廃棄は発生する。

フランスでは2016年2月に「食品廃棄禁止法」という法律ができて大型スーパーでの食品廃棄が禁止になり、廃棄する場合はその量に合わせた罰金が掛かるらしい。
上記のような廃棄が必ず出る事業構造を改善するには、フランス式の罰金を導入して、廃棄すると採算が合わなくなる状況を作るしかないような気がする。

あと外食業の廃棄であるが、こっちの方は仕入れた食品材料が予定通りに捌けなくて冷蔵庫の中で消費期限を迎える、というのが主要因だろう。
特に鮮魚を扱う寿司屋とかは、売上予想が下振れすると廃棄が増えやすい。
これについては冷蔵庫や包装技術の進化などで多少改善するような気もするし、SNSで緊急の売出しをするとかいうこともありかもしれないが、根本的な改善策は今ちょっと頭に浮かばない。

最後に家庭系の食品廃棄である。
これは外食における食べ残しも含む話だと思うが、これは人間の食欲本能に関わる話であろう。
人間は、目の前に食べ物をたくさん並べられると、思わず脳の中身がサルに戻るのである。
もっと食いたい、最大限たくさん食いたいと無意識に思うのである。

だから食べ放題のビュッフェとかでは食いきれないくらい取り皿に盛ってしまう。
あるいはスーパーで特売品や見切り品が並んでいると、ついつい不要な分まで買って帰る。
そしてそれらは、ほどなくして冷蔵庫の中で消費期限を迎える。

食品廃棄問題というのは、資本主義経済における「会社の本能」と、抑えきれない食欲を持った動物としての「人間の本能」が底にある。
「本能」が関わる話である以上、この問題はおそらく簡単には解決しないのだと思う。
それはきわめて哲学的命題であって、かなり本気でかからないとビクともしない問題だと思う。
posted by ヤス at 10:20| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月28日

アップルウォチ4の感想

最近アップルウォッチを使うようになった。
昨年に出た「4」の小さい方のやつのセルラー版。
それのナイキモデルだ。

3年ほど使っていたGPSウォッチのガーミンが原因不明の作動停止に陥って、ガーミンのサポートにいちおう電話もしたのだけれど、ガーミンの場合、保証期間後の修理代はわたしが持っていた機種ではどんな故障でも一律1万8千円と決まっている旨告げられた。

それだともうちょっとで新品が買えそうである。
ガーミンのGPSウォッチは正真正銘のランニング専用だったので、ランニング用の機能がいろいろ盛り込まれていた。
特に最大酸素摂取量の計算やトレーニング後の疲労回復までの時間をお知らせするリカバリーアドバイザーとかは便利だなあと思っていた。

それで今回ガーミンが壊れたので、前々から気になっていたアップルウォッチを買うことにした。
アップルウォッチにももちろんGPSは付いているし、心拍計の機能はガーミンよりずっとすごいらしい。
最大酸素摂取量やリカバリーアドバイザーこそ付いていないものの「かなり良くなった」という世間の評判にも後押しされた。

それで結論を言うとアップルウォチはかなり良い。
ランニング経路の計測も問題ない。
心拍計が、走り始めの10分くらいちょっと安定していなくて毎分190回とかすごい数字になったりするが、それもまあ許容範囲内。
スマートウォッチとしても便利に使えて、バッグの中に放り込んだiPhoneの着信もブルっと教えてくれるし、ウォッチの画面に電話やラインやメールの着信も出る。
もしわたしにいくばくかの根性があれば「音声入力」でタイピングしてそのままメール返信とかもできなくはないらしいが、残念ながらまだやっていない。

それと噂に聞いていたウォッチだけで電話するやつ。
ウルトラ警備隊みたいに「腕時計式電話」に向かって通話するやつは何回かやった。
はたして相手にクリアにこっちの音声が届いているかどうかちょっと心配だったが、滞りなく通話はできた。
電話相手のおじさんは、わたしがウルトラ警備隊スタイルで電話していたことは知る由もあるまい。

そういうことでおおむねアップルウォチには満足している。
不満点を挙げるとすればバッテリー持ち時間の短さと、繊細なアルミ筐体やむき出しのガラス面が傷つきやすそうな「危うさ」が心配なことだ。
バッテリー時間に関しては、フルマラソンはちんたら走って4時間以上かかった時も残量20%くらいで踏みとどまってなんとかなった。
傷の方は今の所大丈夫だが、ガラス面を保護するシールとか貼るとタッチの精度が悪くなって不便になったので今は保護なしのむき出しで使って毎日ドキドキしている。

アップルウォチは、今の所これでKindleを読むことはできないけれど、文字入力もできなくはないしちゃんと電話で通話もできるし、ひょっとしたら近い将来iPhoneに取って代わって「未来の携帯電話」になるのではないか、と、昔アップルウォッチがデビューした時に酷評したおじさんは改心しながら思ったのでした。
posted by ヤス at 09:20| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月27日

大坂選手の全豪オープン優勝

テニスの全豪オープンで大坂なおみ選手が優勝したらしい。
わたしはテニスのことはからきし分からないから大坂選手の優勝がどのくらいすごいのかよく知らないが、全豪オープンはグランドスラムの一角の大会だそうで、要するに世界の頂点に位置する大会、ということで間違いなかろう。

同大会、男子の方では錦織選手が死闘の連続でいいところまで行ったようだが、王者ジョコビッチとやっている最中に負傷棄権して残念だったけれど、大坂選手に負けず劣らず素晴らしかったと思う。

それで大坂選手の方は、この優勝で世界ランキング1位も手中にしたらしい。
先の全米オープンも制しており、全仏と全英を獲ったら晴れてグランドスラム。

しかし日本人のテニスプレーヤーがグランドスラムしてランキング1位とかいうのは、テニスみたいなパワーとスピードとテクニック全部要るようなスポーツではかなり画期的だと勝手に思う。
と書いたけれど、大坂なおみ選手はいわゆる典型的な日本人ではなくてたぶんアフリカ系のミックスの血筋の方である。
身長も180cmあってなんなら錦織選手より長身だ。

国籍もアメリカと日本の二重で選手登録は日本らしいが、拠点はアメリカで言葉も英語ベースの人だ。

最近は、日本人だけれど片親が「外国人」の「ハーフ」の方々、例えばメジャーのダルビッシュとか競泳の今井月さんとかの活躍が目立っている。
しかし大坂選手は「日本人」と囲い込んでしまうには、そういうハーフアスリートとも距離感が違う感じがする。

わたしが国際大会で日本人をつい応援したくなるのは、その選手が他の外人選手より身近に感じるからだ。
錦織選手とかは元が島根の田舎のにいちゃんだからなおさらであるが、大坂選手の場合は、感覚としては半分以上は「外国人」。

それでも風貌にアジア的痕跡を多少残していてカタコトの日本語を喋るので、そういう部分には親近感を感じる。

分野は違うがノーベル文学賞のカズオイシグロに近いものがある。
カズオイシグロは日本国籍ですらないが、多くの日本人視点では日本人にしか見えないらしい。

大坂選手は日本国籍だが日本人っぽくない。

まあ考えてみると、こういう偉大な人々は「日本人」の枠で囲ってしまうのはふさわしくないと思う。
応援する我々が親近感を持つのは勝手かもしれないが、本人に同様の感情の共有を迫るのはたぶん違う。

だから日本のメディアとかは大坂選手のことは「偉大な地球人」として遇してほしい。
ニュース映像でローカルな親戚みたいな扱いのインタビューとかをたまに見ると、ちょっとこっぱずかしいかったりする。
posted by ヤス at 12:42| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月26日

最西端

さっき四国のいちばん西の端に行ってきた。

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愛媛県の八幡浜のあたりを根元に、まっすぐ大分県につき出ている佐田岬のいちばん先端。
そこに第二次大戦中の砲台跡があると知ったので行ってみました。

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道中、嵐のような強風が吹き荒れてバイクで駐車場まで行ったところで風が最高潮に達し、バイクにまたがっていると風で倒されそうになる。

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バイクを立て看板にぴったりくっつけて停めてそのまま砲台跡がある佐田岬灯台方面へ歩く。
雨と風がひどいので、カッパとヘルメットを被ったまま歩く。

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地図で見るより砲台は遠い。
途中波しぶきが暴れまわる波止場みたいなところを抜けて灯台のふもとを通り過ぎてやっと砲台跡。
ここに設置されていたのは明治時代の骨董もののカノン砲らしい。
目の前に敵船が来たら目視の直接照準で撃つつもりだったのだろう。
果たしてほんとうに命中できたのかなあ、と思う。
ちゃんと練習してたのかね。

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佐田岬は地図で見るよりずっと長い。
風力発電の風車が並んでいる通り、風がしぬほど強い。
この季節にバイクで行かない方がいい。
posted by ヤス at 13:33| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月25日

ノックは3回がいいか4回がいいか

今朝いつものようにネットニュースをちらちら見ていたら、Yahoo!ニュースに「ノックの回数」の話があった。
〜就職・転職活動での面接や、会議・商談といったビジネスシーンでは、ノックを3〜4回してから入室するのがベターだ〜
というような通説が最近ささやかれていることに対する記事であった。
記事によると、世の中にはノックを2回だけ叩いて部屋に入ろうとすると「俺の部屋はトイレじゃないぞ」と怒る人が、稀にいるという。

ほんとうだろうか。
記事ではマナー講師なる人物にノックに関するマナーや慣習的なことについて質問しつつ、ノックの回数は何回くらいがベストか考察し、結論としては「2回ではなくしっかり3回」が無難、みたいなことになっている。

ほんとうにアホらしい。
この記事には茂木健一郎氏もキレ気味にツイートしていたけれど、ノックは3回で大丈夫か、念のために4回やった方がいいんじゃないかとか、そういう心配をいちいちするのは神経の使い方としてまったく無益の所業、何も生産しないエネルギーの浪費と言わざるを得ない。

もし20歳そこそこの若い就活学生とかで、ノックを2回して面接官に注意されたとしたら(そういう会社はこの世に存在しないと信じるが)、そのままくるっと回って速攻で帰るのが正解だと思う。

ノックの回数がネット的なネタ話なのかどうかはよく分からないが、しかしこの世の中には「ただそれを守るためだけにある」ような変なルールがちょいちょいある。
ルールというのは、それを守らないと迷惑をこうむる人がいるとか社会秩序にダメージがあるとか、あるいは守ることによって世の中の生産性が上がるとか、そのルールが決められるに至った目的が本来あるものだろう。
しかしこの世にはそういう本来的な目的のない、そのルールを守ることがそのルールの目的になっている「純粋ルール」とでも呼ぶべき謎ルールが数多くある。

例の黒ずくめのリクルートスーツなんかもその類かもしれない。
あるいは学校なんかは「純粋ルール」の宝庫だと思うが、スカート丈の膝からの距離とかもみあげの長さが何ミリとか、通学用の自転車は黒色単色でドロップハンドル禁止、とか合理的な理由がまったく見えないルールのためのルールがたくさんあったりする。

その手の「純粋ルール」は、不条理な掟に盲目的に従う子羊のように従順な人間を量産するためにあるのだと考えられる。
あるいは、ルールを決定した偉い人に対する服従の証として、今風に言うところのマウンティングツールとしての「純粋ルール」であるかもしれない。

このような「純粋ルール」は、極言すると「偉い人」がそのポジションを守るために作られているわけであるが、そんなルールを作る「偉い人」は人間の中身としては全然偉くないからわざわざそんなことをしないといけないのだ、というのは言うまでもない。
世の中から有害な「純粋ルール」を撲滅するには、下々の側の人間がこれをシカトし、笑いものにするくらいの超越的姿勢をとることが求められるわけであるが、一方で世の中には「大人の当たり前のマナー」とか「成功者が必ずやっている成功の秘訣」みたいな感じの洗脳工作も盛んで戦いの行方は予断を許さない。

というわけで、くだらないネットニュースにさんざん文字数を使った自分もバカみたいだなとちょっと思った。
posted by ヤス at 10:11| Comment(0) | 徒然なるままに

2019年01月24日

コンビニの成人誌中止の動き

最近のニュースで、コンビニがエロ雑誌の販売を中止する動きが報じられている。
2017年にイオン系のミニストップが全国店舗での成人誌取扱い中止を発表し、セブンイレブンでも2019年8月末までの中止が決まっていた。
続いて2日くらい前に、ローソンも2019年8月末での成人誌取扱い中止を発表。
最後までねばっていた(?)ファミリーマートも、ついに中止を決めたことが昨日のニュースで報じられた。

それで思うのだけれど、あのコンビニの書籍コーナーの一角を占めるエロ雑誌はどれくらい売れているのか。
コンビニに限らず小売業の場合、売れる商品、粗利貢献度の高い商品はそれに比例して売場面積が与えられるものだろう。
しかしその観点から見て、コンビニのエロ雑誌はその売場のフェイスの大きさの割にほぼ買っている人を見たことがない。
ひょっとしたらわたしの行かない深夜帯にバンバン売れているのかもしれないが。

ネットで軽く調べてみると、コンビニ店長の証言とかバイト経験者の見解が出てきた。
彼らコンビニ関係者(ネット情報が本物かどうかは知らないが)の証言によると、あのエロ雑誌はそれほど売上もないし売れても粗利もほとんどない。
ただ、特に田舎のコンビニではエロ雑誌と一緒に粗利の高い弁当類やコーヒーなどを歳とったジジイやトラック運転手などが買っていくのだそうで、つまりエロ雑誌は高粗利商品を売るための「撒き餌」である、ということらしい。

そのネット情報の真偽はいざ知らず、なるほどもっともらしい証言であると感じた。

ネット上にはさらに別の種類の情報も流れていて、本当はコンビニはずっと前からエロ雑誌は売れないし儲からないからやめたかったという。
でも版元との関係とか加盟店の要望などでなかなか中止にできなかった、というものだ。
それが今回オリンピックもあるし訪日外国人も増えているので止めるのにいいチャンスが来たのだという。

しかし儲けることに死ぬほどシビアなコンビニ各社がそんなぬるいことを考えるか、この種類のネット情報は少し疑問だと思った。

そういうことでコンビニのエロ雑誌が儲けを生んでいたのかどうか結局よく分からなかったが、とりあえずあのエロコーナーが近いうちに消えて無くなるのは、街の景観が多少なりともクリーンになるという点でいいことだと思う。

ただエロ指定を受けていない週刊誌とか写真誌とかもページをめくるとけっこうあられもなく乳を放り出している若い女性のグラビアが散見されるので、あれもなんとかして欲しいと思う。
そういう週刊誌のエロページを見るたびに思うのだが、こんな直接的で下品なエロは全然エロくないんだよ、もっと切なくて、見えそうで見えなくて、もどかしい感じのエロこそ本当のエロなんだよと熱く訴えたい、というのはまったくどうでもいい話ではある。
posted by ヤス at 09:40| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月23日

無視の思い出

昔、小学6年生になった時、岡山の学校から兵庫県西宮市の学校に転校することがあって、やっぱり田舎の学校と関西の都会の学校とではかなり空気が違った。
思い出してみると、西宮の小学校の同級生たちは田舎の生徒と比べると精神年齢が2、3歳くらい上のような感じだった気がする。
西宮の子どもは田舎に比べると、とにかくよくベロが回る。
ただ田舎者とはいえ、わたしもテレビで吉本新喜劇はそれなりに観ていたので彼らの関西弁にそれほど激烈なカルチャーショックを受けたわけではない。

かなりとまどったのは、彼らのずけずけとした物言いの態度だったと思う。
わたしが、「わしゃぁ、じゃけぇのう」みたいな感じでしゃべっていると、彼らは「おまえそれどこのことばやねん」みたいなことを言って、あからさまに笑った。
それは彼らなりのツッコミであり、ある種のイジリなのであって、こちら側にコミュニケーションのとっかかりを与えるための「フリ」を振ってくれていたのかもしれなかった。

でもその当時はそのツッコミに対する上手な返しがなかなかできなくて苦労した憶えがある。

またその当時、その都会の(といっても、あくまでも当時のわたしにとっての都会であるが)小学校では「無視」というのが流行っていた。
クラスの中で、適当な標的を決めてその一人の標的をクラスの中でしばらく無視する。
恐ろしいのはその標的決定プロセスが「なんとなく」な感じで進んでいくことで、なんとなく「次はコイツをムシしよーや」みたいな空気が知らない間にできている。
誰か一人をしばらく無視して、その困惑ぶりや悲嘆にくれるさまを楽しむというなんとも残酷なレクリエーションだった。

それである時わたしも「無視」の標的にされることがあった。

クラスの中の人気者とか学級委員的な人とかはその対象になることはない。
ヒエラルキーの下の方の人間がローテーションで選ばれるのである。
ただクラスの中でもカーストの最下層にいると、標的にさえ選ばれない。
無視されるということは、それなりに仲間として認めているということでもある。
その辺の社会学はかなり複雑高度なのだ。

わたしも晴れて無視されることになって、その時は少し血の気が引く感じで焦ったけれど、どう対処していいか分からず、とりあえず「無視されていることを無視」することにした。
無視する相手に無理やり話しかけるとかもせず、こっちも無表情に無視した。
そしたら「こいつはムシしても面白んないわ」ということになったらしく、そのうち「解除」になっていつもの日常が帰ってきた。

それで思うのであるが、学校におけるイジメとかの問題は、ある程度高度なコミュニケーションが成立している場合にこそ発生しやすい、そういうことがあるのではないか。
子どもたちのコミュニケーション能力が高くなるとイジメが少なくなる、ということはなく、むしろイジメの構造が複雑高度化し、ややこしくなるのではないか。

はるか昔の記憶がなぜかよみがえることがあって、そんなことを思ったりした。
posted by ヤス at 09:44| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月22日

150円のカフェラテで逮捕の件

昨日の夜のニュースで、福岡のセブンイレブンでコーヒーレギュラーサイズの料金100円を支払って、受け取った「100円コーヒーを注ぐべき」カップに150円のカフェラテを注いだ62歳のおじさんが現行犯逮捕された、というのがあった。
逮捕容疑は窃盗とのことでおじさんは容疑を認めているらしい。
ニュースによるとそのおじさんは以前にもたびたび同様の「窃盗」を行なっていたようで、お店の人がそれに気がついていて「今度来たら捕まえてやろう」と待ち構えていたのかもしれない。

さらにニュースによると、セブンイレブンの店舗ではコーヒーメーカーの前にいるお客さんが「コーヒーのボタンを押したかカフェラテのボタンを押したか」がバックヤードから見えるそうだ。
だから100円払って150円のカフェラテボタンをこっそり押しても、バレる確率がかなり高い。

逮捕された62歳のおじさんは、直接の容疑は100円と150円の差額の50円分をだまし取ったことになるのだろう。
ひょっとしたら以前に10回でも同じことを繰り返していて「被害総額」は500円くらいにのぼるのかもしれない。

しかしこのニュースを見て「この程度の微罪で逮捕されちゃうのか」と驚いた人は多いのではないか。
少なくともわたしはかなりびっくりした。
ただ少し想像を巡らしてみると、逮捕されるのも仕方ないかもしれないと思わなくもない。

セブンのコーヒーはもうすぐ累計販売数が50億杯に到達するらしい。
全店合計でたぶん1日に500万杯とか600万杯くらいの単位で売れている。
おそらくお客さんの中には今回のように50円をちょろまかすような人が何人かいるだろう。

今回の逮捕は、62歳のおじさんそのものを逮捕したというよりは、全国にいる同じことをしている人、もしくはしようとしている人に対するアピールという側面がおそらく強いのではないか。
(それは同時に加盟店に対するアピールでもあるだろう)

これも想像だが、今回の逮捕は加盟店の経営者なりセブンのスーパーバイザーなり、セブンの本部筋の人なりから警察に対する強い要請があってなされたのではないだろうか。

今回のように被害者サイドからの明確な訴えがあって、犯行を待ち構えての現行犯逮捕だと、被害額50円とか500円とかくらいの微罪でも逮捕はされるのである。

ネットニュースのコメント欄には、「他にもっと逮捕すべき悪い奴がいるだろう」とかいうのもあったが、そっちのもっと悪いけれどなかなか逮捕できない奴は、上記のような単純構図ではないからなかなか容疑が確定できないのだろう。

たとえ50円でも泥棒することはもちろん良くない。
しかし何か、自分の中にいろいろとモヤモヤが広がるニュースだった。
そのモヤモヤが何なのかは、もうちょっと考えないと自分でもよく分からない。
posted by ヤス at 10:37| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月21日

プロ棋士藤井聡太の恐ろしさについて

昨日将棋の「朝日杯オープン」のベスト4決定戦があった。
昨年の朝日杯オープンでは最年少棋士の藤井聡太が優勝して話題になった。

昨日の対戦は、藤井聡太七段が2戦2勝してベスト4進出を決めた。
1戦目はA級棋士の稲葉陽(イナバアキラと読むらしい)八段、それに勝って2戦目は同じくA級の糸谷哲郎八段だった。

わたしは2戦目の糸谷戦をAbemaTVで途中から見た。
将棋のことは駒の動かし方しか分からないが、そんなわたしも昨日の糸谷戦の藤井聡太の「角切り」にはかなりびっくりした。
AbemaTVでは解説の八代弥(ヤシロワタルと読むらしい)六段がいろいろな手の可能性を示していて、それを聞きながら十分にハラハラすることができたのである。

将棋には大駒が二つあって、その大駒の飛車と角が攻めの中心を担う。
昨日の藤井・糸谷戦では序中盤の終わり頃というのか、終盤の始まり頃というのか、比較的落ち着いていた場面で藤井七段は九筋の端攻めから相手に自分の角をただで取らせる手を指した。
ただし大駒の角を相手に渡す代わりに、歩が成り込んで「と金」を作ることが出来たり、飛車を敵陣に突入させて「龍」が出来たり、さらにと金と龍の周辺の敵の銀や桂馬を取ることが出来たり、とにかく角を一枚捨てることで一気にパワーバランスを変えることが出来るすごい手だったらしい。

この必殺の「角切り」は、その何手前かに糸谷八段が指した4九の金を3八に上がったのがきっかけになったらしい。
糸谷八段が金を上げたのを見た藤井七段は、その辺から持ち時間をたくさん使ってものすごく考えていた。
対する糸谷八段は40分の持ち時間をほとんど使わず軽快に指していく。

それで問題の角切りの場面になって、ことの重大さに気づいたのだろうか、以降の糸谷八段はかなり慎重になったように見えた。

しかし糸谷八段も、少し前に棋界最高峰の竜王も獲ったことのある強豪である。
その強豪に大駒の角をただで渡して、その後間違えずに指し続けることができるかどうか、というのはかなりのリスクだったことは間違いない。

しかし藤井七段はあえて大きなリスクのある手を指して、その後もきわめて正確に手を重ねた。
そしてあっという間に糸谷八段を仕留めてしまった。

将棋のことが詳しくは分からないわたしにも、藤井聡太の強さの一端がちょっと見えた気がした。
藤井聡太は、見た感じ物静かで大人しそうなただの高校生であるが、その中身は相当にエグい勝負師だと思った。
プロ棋士の世界では、たくさんの棋士たちの間に段位や経験年数の差はあってもその実力差は紙一重である。
その中で勝ちを取りに行くには、大きなリスクのある「踏み込み」が必要である。

しかしリスクを取るにはたいへんな勇気がいると思う。
リスクのある手を選択していると、時々間違えて負けることもあるだろう。
そうするとトラウマになって次にリスクを取るのが怖くなるのではないか。
藤井聡太には、そういう恐怖を平気な顔をして乗り越えるエグさがあると思った。
本当に恐ろしい高校生だと思った。
posted by ヤス at 09:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月20日

センター試験が来年から変わるらしい

昨日今日と「大学入試センター試験」が行われているらしい。
わたしの高校時代は共通一次試験と呼ぶ同じようなテストがあった。

共通一次試験は文字通り、国公立大学の「一次試験」として使われていた。
共通一次の点数による各国公立大学の「足切り」というのがあった。
各国公立大学はそれぞれの足切り点数を決めていて、受験生は共通一次の点数によって「輪切り」にされる。
共通一次の結果が出ると、受験生は自分の点数に見合った大学に受けることで「無駄なく」志望校を決めることが出来た。
ネット情報を見て、そのような共通一次試験のことを少し思い出した。

一方でセンター試験は私立大学も利用できる、また以前のように揃って足切りに使うということではなくて、足切りに使ってもよいし使わなくてもよい、センター試験だけで合否判断を行うとか二次試験と合算で判断とか、その利用方法がより広くなったということらしい。

共通一次は1979年から1989年までの11年間実施され、現在のセンター試験は1990年から今年まで。
2020年からは「大学入学共通テスト」に移行するということだ。

それで来年からの「大学入学共通テスト」であるが、これは今までのマークシート方式から一転し、記述式問題が導入されることが特徴らしい。
また英語の「読む」「書く」「聞く」「話す」4技能の評価を行うこともこれまでとの違いだそうだ。

それでこの新テストであるが、記述式問題の採点はマークシート方式に比べるとおそろしく手間がかかるのは間違いない。
少子化で一時期より受験生はだいぶ減ったとはいえ、1学年50万人くらいの受験生の記述回答を誰がどうやって採点するのか、この方法や採点の安定性・公平性などを巡って「必ず問題になる」という懸念の声が教育関係者の間でも出ているらしい。

マークシート方式による試験は、回答が機械的過ぎて受験生の思考力や表現力を十分に判断できない、という問題意識から新テストの記述式回答は企画されたのだろう。
このような問題意識は日本の大学のレベル低下に危機感を持つ経済界の意向も大きく働いているという。

しかし共通一次にせよセンター試験にせよその目的は、受験生が大学入学に耐えうる学力を持っているかどうかチェックするということだったはずで、思考力や表現力は各大学の二次試験に委ねるというのが本来の形だったと思う。

しかし来年から新テストに変わって試験の目的も大幅に改定される。
そして全国一律の「共通テスト的なもの」の意義はとうの昔に失われている。

この問題に対する唯一の正解は「共通テスト的なもの」を一切やめて大学独自の入試のみにすることだ。

各大学を偏差値別に「輪切り」にして受験生が志望校を選びやすくするとか、非常に日本的な「親切」だったのだろうが、もうそういうことを言えるほどのどかな時代ではない。

もしそれでも「共通テスト的なもの」が今後も続くとすれば、そこにはよほど美味しい「利権的なもの」があるに違いない、とか勘ぐりたくなる。
posted by ヤス at 13:09| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月19日

138億年分の偶然について

宇宙の始まりは138億年ほど昔にあった「ビッグバン」であった、という学説は今ではすっかり定着している。
そのビッグバン説によると、宇宙の最初は針のとがった先ほどの小さい空間に全宇宙の質量が詰まっている状態で、それがある時爆発的に膨張を始めたとされる。
何しろ超狭い空間に全宇宙の質量が詰まっているので、温度も圧力も超絶高い。
それで少し時間が経って、といっても10のマイナス34乗とか36乗とかいうからごくごくほんの一瞬だが、その一瞬の後にカオス状態だったまだ小さい宇宙は、ちょっとだけ落ち着いて「エネルギー」だったモノが「素粒子」に転換していったらしい。
素粒子というのはクォークとかレプトンとかいうやつのことだ。

さらに宇宙が冷えて落ち着いてくると、その素粒子が陽子や中性子や電子になった。
ただし、通常原子を構成している原子核と電子はまだ結合することができないほどエネルギー密度が高くて、この段階ではいわゆるプラズマ状態だった。
プラズマ状態というのは、本来原子核を構成する陽子と中性子、原子核の周りを回っているはずの電子が、てんでバラバラに飛び回っている状態のことである。

それでさらに宇宙が冷えて行って、1個の陽子と1個の中性子がくっついた周りを1個の電子が回る水素原子ができて、さらに陽子2個中性子2個電子2個のヘリウム原子もできて、今宇宙にある水素とヘリウムはおおよそこの頃(つまり宇宙の一番最初の頃)にできたらしい。

さらに重い原子はこの後何億年かして太陽のような恒星が誕生した後、その中心部の高温高圧状態の中で、核融合反応により生成されたらしい。
そしてやがてそういう星は寿命が尽きて爆発して、せっせと生成した重い元素を宇宙にばらまいた。

間をはしょると、そうやって宇宙にばらまかれた酸素や炭素やその他の元素で、わたしの身体も作られている。
そしてそうやって宇宙のゴミ屑で出来上がったわたしの脳みそを使って、わたしは138億年前の宇宙の始まりに想いを馳せている。

だがここで疑問に思うのだが、ゴミ屑で出来たわたしの脳みそが宇宙の始まりについて想像することは、138億年前の「宇宙開始時」に予定されていたことなのだろうか。

カオス状態のエネルギーが素粒子になって、少し落ち着いて原子ができて、それが巡り巡ってわたしの脳みそになる。

なんかまるで、最初からわたしの脳みそを作るために宇宙は始まったのではないか、そういう錯覚をイメージせざるを得ないのである。

現実には、アホみたいな偶然が138億年分積み重なって、当てずっぽうのたまたま、わたしの脳みそはこの地球上に転がり出たのに過ぎない。
まあ138億年もかければ、どんな怠け者でもこれくらいの工作はできるのかもしれない。
 
posted by ヤス at 11:04| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月18日

真面目について

真面目ということについて考えてみる。
例えばこの間から騒動になっているNGT48の件。
被害にあったメンバーは真面目にがんばっていてなんでこんな酷い目にあわないといけないのかと声をあげた。
こういう声が48グループでは以前からちょいちょい聞こえてきていた。
「恋愛禁止」の不文律が基本的人権を侵害しているかどうかはここでは置いておくとして、日常のいろんなことを我慢しながらアイドル活動に青春を傾ける人がいるかたわらで「恋愛事件」を起こして炎上するメンバーが結果的に知名度を上げることがあって、そのたびに「真面目メンバー」たちには不満が溜まっていただろう。

ただこういう構造は女性アイドルだけの問題ではなくて、現代人類社会にある程度共通のものだ。

資本主義社会では、人々は各々経済活動を行って貨幣をたくさん獲得しようとする。
あまり熱心でない人もいれば、人生のすべてを貨幣獲得に捧げるタイプの人もいる。
資本主義経済には一定のルールがある。
金のためなら盗みもする、嘘もつく、というようなことは基本許されない。
近代資本主義は近代的倫理観とセットになっているのである。

経済行為に限らず現代社会では人々の間でたくさんのルールが約束されていて、それを守らないと「公」によって罰せられることになっている。

それは何のルールもなかった原始時代から始まって、人類がより進化した社会を作ってきた中で、ある程度約束事を決めてみんながそれを守った方が人類はより繁栄できる、そういう流れがあったからだろう。

それを真面目と言うのが正しいか知らないが、上記のような意味での社会的なルールを守ること、つまり「真面目であること」が、社会の繁栄のために常に求められているものと考えられる。

しかし一方で不真面目な人、はなからルールを守るつもりのない人はこの社会にはいつでも一定数いる。
あるいはだいたいの時は真面目なのに国道2号線で時速100km超で運転したり、確定申告で税金をちょろまかしたりすることがある人というのは意外にたくさんいるものだ。

また世の中のすべての人が100%ルールを守るタイプの真面目な人になると、面白みがなくなる、社会がつまらなくなるような気もするのである。
往往にしてイノベーター的な人はルールに縛られない人、不真面目な人であることが多い気がする。
そういう「社会的な毒気」が刺激になって、大小の破壊的な変化が起こされ結果として人類社会が繁栄する、そういうのも真実のような気がする。

ただし毒気も過ぎるとかえって社会を破滅に追いやる。
そういう不純物はごく微量存在するからこそプラスの効果を発揮しうるとも考えられる。

それで今日の結論であるけれど、人類はいまだに「己の欲する所に従えども則を超えず」の境地には達していないのではないかと思う。
それぞれがかなりがんばって真面目であろうと意識的に努力するくらいがちょうどいいのではないか。
それくらいでちょうどいい毒気の塩梅になるような気がする。

ただあまり真面目の方に振れ過ぎるのは良くない、不要な細かいルールまで作る、それでがんじがらめにしてすべての毒気を封じてしまうことには注意が必要ではないか。

その辺の真面目と不真面目のさじ加減はかなり難しいなあと思ったりした。
posted by ヤス at 12:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月17日

イギリス議会がうらやましい

イギリス政府がEUと交渉してまとめた離脱協定の下院での採決が行われ、432対202の大差で否決されたらしい。
イギリスのEU離脱期限は今年の3月29日なので、今から再協議して協定をまとめ直すのはスケジュール的にほぼ不可能ということだ。
それで今後の展開としてはたぶん3通りの道がある。
ひとつは「合意なき離脱」でなし崩し的にことが進むパターン。
もうひとつは3月29日の期限を延期して協定の再協議を行うパターン。
3つ目に、もう一回国民投票をしてまさかのEU離脱を中止するパターン。

報道を見ていると、たぶん現実的には2つ目の期限延長ということになるように思われる。
もしくは、政府もヤケクソになってサジを投げ合意なき離脱に突っ走るのか。
離脱中止は、はるか東方の島国から眺めている分にはいちばん平和的に思うが、ただそれだともともとEU離脱の原因になった移民に対する国内の不満がくすぶり続けることになる。

イギリスがEUと協議していた離脱協定の中身は詳しくはよく知らないのだが、ざっくりいうと離脱に際していくらかの「手切れ金」を払ってその代わりEU離脱で消失するはずの特典をいくつか残す、そういうことのようである。

だから逆に言うと「合意なき離脱」をすると日本円換算で5兆円以上とも言われる「手切れ金」を払わなくて済む。
その代わり輸出入に掛かる関税とか人や資本の行き来の自由がいっきに「外国」扱いになる。
イギリスがEUに対して外国扱いになると、例えば今イギリスに工場を構えてヨーロッパに製品を流しているトヨタやホンダや日産などは戦略の見直しを余儀なくされる。
関税メリットがなくなるので各自動車メーカーはイギリスから大陸側に工場の引越しをする必要が出てくる。

あと北アイルランド国境問題というのが大きくて、EU加盟国のアイルランドとイギリス領北アイルランドの陸上国境の往来自由が閉ざされるといろいろ面倒くさいことになるらしい。

ところで今回の離脱協定はイギリス議会下院の圧倒的多数の反対で否決されたわけであるが、これは日本的感覚から見ると少し不思議だ。
下院定数650議席に対し、メイ首相の与党保守党議席数は330議席。
ぎりぎりながら単独過半数を取っている。
メイ首相が苦労してまとめたEU離脱協定案は、これが日本なら「党議拘束」により与党の賛成多数で無事可決されるのではと思う。

しかしイギリス議会では議員はただ席に座っているだけのデクノボウではなくて、ひとりひとりの個人の政治的意思が党から独立している。
そんなことはたぶん当たり前の話なのだろうけれど、東洋の島国にいるわたしから見ると非常にうらやましく見える。
今回のイギリスのドタバタでいちばん感じたのはその部分である。
 
posted by ヤス at 11:42| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月16日

統計不正

「光の速さ」は秒速299,792,458メートルであるらしい。
もう少し分かりやすく書くと秒速30万キロメートルとなる。
昔学校で1秒間に地球を7周半と習った。
べらぼうに速い。

ところで、速いといえば日本の新幹線も速い。
新幹線の最大速度は東北新幹線E5系の時速320kmだとネットに書いてあった。
今、その320km/hで走る新幹線と並走して飛ぶヘリコプターがいるものと仮定する。
ヘリコプターから観察した眼下の新幹線の相対速度は0kmになる。
ヘリコプターも320km/hで飛んでいるので、周りの風景を無視して新幹線だけを観察していると、ヘリからは新幹線は止まって見える。当たり前だ。
ところで、ここで反対側の線路から別の新幹線が逆向きに320km/hで走ってきたとする。
この時、反対側の新幹線とヘリの相対速度は320km/h+320km/hの640km/hになる。当たり前だ。

アインシュタインは光の速度について思いを巡らして、光の速度については上記の新幹線とヘリコプターの関係が成り立たないと仮定して理論を作り上げた。
つまり今秒速30万キロで飛んでいる宇宙船がいて、その宇宙船と同じ方向に走っている光があるとする。
光の速度で飛んでいる宇宙船からその光を観察すると、上記の新幹線とヘリの関係からすると光は止まって見えるはずだが、光に関しては宇宙船からはやっぱり秒速30万キロに見える。
その光は宇宙船の外にいる止まっている人からも秒速30万キロに見える。
上の宇宙船と逆向きに飛ぶ宇宙船からも、秒速30万キロ。
「その光」はどこにいる誰が観察しても秒速30万キロ。

というような話が相対性理論の入門書にはよく書いてある。
アインシュタインは相対性理論を実験とか天体観測とかの実データを元に作り上げたわけではない。
ほぼ頭の中だけで光の速度の相対性について思考をめぐらし、それ以前の物理学の常識からは想像もつかない理屈をこねあげた。

相対性理論が成立直後、理論に基づいていくつかの天文現象について予言している。
例えば太陽の大重力で光が曲げられるとかいう現象などである。
そしてその後の天体観測技術の発達により、それらの予言は続々と実証されて相対性理論はどうやら正しいということになった。



今、毎月勤労統計調査の東京都のデータに不正があったというのがけっこうな大問題になっている。
厚労省の指示で2004年かそのもっと前から、東京都について全数調査すべき大企業の3分の1しか調査してなかったという。
その時の調査対象企業は厚労省がリストを作っていたという。
そこに厚労省なりにデータ操作する意図があったのかどうか。
個人的にはデータ操作するのが目的だったに決まっていると思う。

こういう実データを操作する事件は、記憶に新しい「STAP細胞事件」など科学界にもたくさんある。
科学の場合、都合のいいデータに裏付けされて無理やりひねり出された論文は、その後の「より正しい」論文によって淘汰される運命にある。
キリスト教会が長らく信じてきた天動説も、ニュートンが確立した相対論以前の物理学も当時は誰もが絶対正しいと思っていた。
でもそれはあっけなく覆され上書きされてきた。

たぶん今回の統計不正は、不正の意図とか、不正の結果導入された行政施策とか、うやむやにされるのに違いない。
その辺が政治行政と科学の世界の大きな違いだ。
たぶんうやむやに丸く収めて適当に妥協しないと、戦争が起きたり、流血の惨事になったりするので、それを避けるために「ポリティクス」の世界では問題をある程度うやむやに終わらせるということなのかなと勝手に想像する。

残念だけれど仕方ないのかもしれない。
それが人間の今のところの限界なのかもしれないと思ったりした。
posted by ヤス at 10:41| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月15日

成人式って人が集まらないの?

おとといの日曜日は成人式だったらしい。
岡山市主催のイベントも開催されたらしい。
岡山市HPで「新成人の集い」の案内を見ると岡山市に今現在、在住、在勤、在学していたり、過去にしていたことのある人なら参加できると書いてある。
イベント会場では受付や名前の確認はなく、「会場にお越しいただければそのままご参加いただけます」だそうだ。

ということは、たぶん毎年何人も「新成人でない人」が参加しているのではないか。
自分も来年あたりに晴れ着姿で参加してみようか。
それで岡山市の成人式のようすはどんなだろうと気になってYouTubeで検索してみた。
「成人式 岡山市」と入れるといくつかの短い素人動画が出てくる。
北長瀬駅近くの岡山ドーム内に、パイプ椅子がたぶん千席分以上くらい並んだ会場の様子を見ることができた。

前の方につくられたステージに、おそらく市長とかその他のゲストが登壇してしゃべったりしているが、何せ素人動画なので音がクリアに録音できてなくてその声は聞き取れず、誰が何をしゃべっているのかよく分からない。

ただそれよりもわたしが衝撃を受けたのは、広い広い会場に並べられたたくさんのパイプ椅子に、ほとんど人が座っていないことだった。
ステージ上で偉いおじさんがマイクスピーチしているので、この時イベントの方は間違いなく始まっていると思う。
何人くらい座っているのだろう。
ひょっとしたら100人もいないのではないか。
画面に映っている範囲だけで20人あまり。
千席以上並んでいるだろうパイプ椅子の列に、パラパラとまばらにゴマを振ったみたいに新成人が点在している。
そのほぼ無人のパイプ椅子の群れに向かって偉いおじさんが粛々とスピーチをしている。

なかなかシュールな映像だった。
これはたまたま偉いおじさんの挨拶は退屈なので、この時だけ人がいなかったということなのかもしれないが、その実情はわたしには分からない。

70万人都市の岡山市は平成30年11月末現在の住民基本台帳データを見ると、19歳人口が7491人、20歳人口が7618人いる。
ネット情報によると4割くらいの人は成人式に参加しない、という噂もある。
だとしても2千人や3千人くらいパイプ椅子に座っていてもよいはずだ。
ましてや成人式イベントは、名前も年齢確認も不要の入場フリーである。
17歳とか24歳とか50歳とか新成人と関係ない人が紛れ込んでいれば会場が溢れてもいいくらいだと思う。

岡山市の住民基本台帳データを見てもうひとつ心配になったのだが、昨年11月時点で18歳以下の年齢別人口はますます減っていることだ。
17歳が6967人でこれ以下は軒並み6千人台の数字が続いて、なおかつ若くなるほど減っており、0歳は5967人とついに5千人台になっている。

これは来年以降、岡山市の成人式の開催が危ぶまれるのではないかとかなり心配だ。
冗談抜きで賑やかしに来年の成人式ではパイプ椅子に座りに行く必要があるのではないか。
などと、自分が20歳の時には成人式イベントがあることも知らなかったおじさんは思った。
posted by ヤス at 11:23| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月14日

最近のアイドルの事件で思う

新潟を拠点とする48グループのひとつ、NGT48の山口真帆さんの件が波紋を呼んでいる。
運営が声明を出したりしているが、やり方がまずくてなかなか収束しそうにない。
アイドル戦国時代などということが言われてもう久しく、なおかつアイドルをめぐる傷害事件やらの犯罪行為も今までに何件も起こっている。
今回のNGTの事件は、起こるべくして起こった事件であり、水面下で他にいくつも起こっているかもしれず、今後に向けて抜本的な対策が必要なのは間違いない。

昔、わたしが若かった頃のアイドルといえば大手芸能事務所が街でスカウトしたり「スター誕生」とかのオーディション番組で発掘してきためぼしい子にレッスンを施し、必要な訓練を行なってデビューさせる方式が主流だったと思う。
その場合、デビュー後もその「一本釣り」したアイドルの原石にそれなりの宣伝費を投入したりして、せっせと手間とコストをかけて育成していくことになる。

しかし最近の「アイドルグループ」の方式は昔とだいぶん変わっている。
特に女の子のアイドルにおいてそうだと思うが、10人、20人の単位でばっさり採用し、ある程度放し飼い的に個人の自由に任せて「育つ」のを待つ。
女の子たちにはそれなりのセルフプロデュース能力が要求される。
都合の良いことに現代はSNSや手軽に出来る動画配信のサービスも揃っている。

このような中からたくまくしく頭角を現してくる女の子がスターダムにのし上がり、そのうちの何人かは「卒業」後も業界で生き残ることができる。(長く残るのはごくごく少数だが)

アイドルになりたいと思っている女の子は世の中にたくさんいるのだろう。
人材の供給源が当分尽きないほど潤沢であるので上記のような方式は成立する。
こういう多人数セルフプロデュース方式のメリットは、運営側の想像を超える稀有な人材を発掘することができる(かもしれない)ことだ。
デメリットは、やはり多人数なので一人一人に対するマネジメントが雑になることだろう。
一人ずつアイドルの原石を育成する方式では、その一人に辞められるのは非常に困る。
しかし多人数方式では、最終的に誰が生き残るかじっと見守るというスタンスになって、途中で何人も脱落することがごく普通のことになる。
すると脱落原因への関心も必然的に薄まる。

アイドルビジネスは経済行為である以上、女の子のケアに無限のコストはかけられない。
というか、世の中の批判に押しつぶされない程度にギリギリまで女の子たちから搾り取ろうとするのが「経済行為の本能」だと思う。
そうなると同様の事件は今後も起こり続けることになってあまりにも救いがない。

それでひとつ思ったが、アイドルの女の子のセカンドキャリアとして、彼女らを卒業後に運営サイドに積極的に採用すべきなのではないか。
採用前に大学や専門学校で経営や会計やエンターテイメントなどについて勉強の機会を与えるとかもいいかもしれない。

そうしたら「搾り取る(運営の)おじさん」と「搾り取られる女の子」という救いがたい関係が少し変化して、運営が女の子たちのケアに多少とも本気になるのではないか、とちょっと思ったがどうなのだろう。
posted by ヤス at 13:35| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月13日

地球人類の総体重はどこまで増えるか

最近、地球上の全人類の総人口は「75億人」だという数字をたまに目にする。
この数字はつい最近まで「70億人」だった気がする。
ついでに言うとわたしが中学生くらいの頃は「40億人」を少し越したくらいで、その頃から比べると地球人類はほとんど倍くらいの数に増えたことになる。

こんな急なペースで人類は増えているが、この先食料確保とか大丈夫なのかとちょっと心配になる。

人類は体重200kgの相撲取りから生まれたばかりの3kgの赤ん坊まで個人の体重はいろいろだが、今ここで仮に、人類の平均体重を50kgとして掛け算してみる。
75億人×50kg/人=約3.8億トン
地球上に生きている人類の「総体重」はざっと3億〜4億トン程度と推測できる。

冒頭に書いた通り、最近の7〜8年の期間に人類はおよそ5億人増えたわけであるが、その5億人の増加分のところだけを同様の掛け算で計算すると0.25億トン。
数年間で増えた分だけでも2000万トンとか3000万トンとかになってすごい量だ。

国連などの人口推計では2050年頃には地球人口は確実に100億人を超えるという話である。
そうなると地球人類の総体重は5億トンになって今より1億トン以上増える計算になる。
人類の総量がそんなに増えて大丈夫なのかとますます心配になる。

以前読んだ生物学者の福岡伸一氏の著作の中に「トウモロコシの方が人類よりずっとたくさんいる」という話があった。
全世界におけるトウモロコシの総収穫量はだいたい8億トンらしい。
人類総体重のおよそ2倍の量である。

ネット情報で世界の穀物生産量のデータを眺めた感じでは、トウモロコシも含めて小麦やコメなど全世界における穀物類の生産量はだいたい20億トンくらいであるようだ。
そして当然のことながら、穀物生産量は地球人口の増加に伴って増えてはいる。
これらの穀類はその多くが牛やニワトリの餌になる。
また人類の食料は、穀物以外の野菜とか野生動物などもあるが穀物に比べるとその量はかなり少ない。

つまり穀物生産量がどこまで増やせるかが、人類がどこまで増えてもいいかの鍵を握っていると考えられる。

ところで地球人類の総体重が3億トンとか4億トンとか推測したが、植物も含めた地球上の陸上生物の総体重は100億トンから200億トンと言われている。
その数字と比較すると、地球人類の総体重は割合で3〜5%くらいを占めるに過ぎない。
その感じで行くと穀物類ももう少しくらいは増産できてあとしばらくは大丈夫な気もする。

さらに言うと、海洋生物も含めた全地球上の生物の総体重は5600億トンとどこかのサイトに書いてあった。
その数字が本当かどうかは知らないが、海洋生物が陸上生物の10倍かそれ以上存在するのは確かなようである。
特に深海生物とか、相当な量がいるようだ。

一頭の体重が100トンを超えるシロナガスクジラとか、食事の量はちゃんと足りているのかなとたまに心配になるが、海の中は想像以上に食い物がたくさんあるのかもしれない。

ということで、腹が減ったら海のものを食べる、特に深海魚のアンコウ鍋とかを食べていればもう少し人類は大丈夫かもしれない、というのが今日の結論ということにする。(この結論が本当かどうかは知らない)
posted by ヤス at 11:52| Comment(2) | 徒然なるままに

2019年01月12日

消費活動するAIは出るのか

AIが進化してそのうち世の中の仕事の半分以上がAIに代替されて、そうなったら失業者があふれてたいへんだ、みたいな話が出て来てもう久しい。
AIにより人間の仕事が代替される話は、いちばん最初は単純に人間がコンピューターに仕事を奪われるという可能性に驚いて、やがて話が少しずつ高度化して奪われる仕事の内容に話題が移っていっている。
少し前からはAIが天気予報や株式市場ニュースの記事を書くようになったという話題が出て来たり、人間の最後の砦と考えられるクリエイティブの領域で、例えば小説を書くAIなんかの可能性も言及されるに至り、いよいよ人間の生きる道が狭まっているとか言われている。

会計士とかコンサルタントとか弁護士や裁判官などの法曹業務とか、知的に高度な技能を必要とされるはずだった業務でも、かえってAIの方が正確でよろしい、みたいな話でとうの昔に人間の可能性は粉砕済みである。

AIが仕事をどんどん奪っていって世の中失業者だらけになったらたいへんなわけであるが、しかし個人的には、AIが仕事を奪っていくことはそんなに悪い話ではないのではないか、ということをぼんやり思って来た。

だいたい現代のように人間が週5日ペースとかであくせく働くようになったのは、歴史的には最近の千年か500年かそこらの話ではないか。
特に18世紀の産業革命以降にサラリーマン階級が大挙出現し、マルクスが「資本論」を書いて「人々が毎日仕事をしていないとたいへんな時代」はやって来たものと考えられる。

それで根源的に突き詰めていくと、人間に出来てAIには逆立ちしても出来ないことは「消費活動」であろう。
考えてみると人間があくせく働くのは、自身の消費活動のため(つまり生きるため)である。
人々が美味しいご飯を食べたり自宅でぐっすり眠ったりすることのために、人々の「労働」は存在する。

AIはそのうち、誰にプログラムされたわけでもなく自分で考案したレシピで美味しいラーメンを作るようになるだろう。
しかしAIは、その美味しいラーメンを「消費」して「ああ美味いなあ」と感嘆することは永遠にあるまい。

我々人間は、自己複製し自己増殖するタンパク質の進化的末裔であって、自己複製・自己増殖こそが人間にとって根本的に大切なことである。
人間の自己増殖という目的にとって、「労働」はかなり低次の「手段」に過ぎない。
だからAIが人間から仕事を奪っても何ほどのことはあるまい、というのがわたしの考えであった。

しかし少し心配してみると、もしAIが自己複製・自己増殖の本能に目覚め、さらに何がしかの「消費活動」に目覚めたら一体どうなるのだろうとふと思った。
AIが人間に対する尊厳の念を持ってくれている限りは、人間と競合しないかたちの消費活動に精を出して両者は共存出来るのかもしれない。

果たして消費活動するAIとか、いつか未来に出現するのだろうか。
そんなようなことをなんとなく思った。
posted by ヤス at 11:48| Comment(2) | 徒然なるままに