2017年08月10日

暇つぶしについて

現在全世界的にテレビ離れが進んでいるという。
おそらくその原因の一つは、インターネットの出現にあると思われる。

ネット出現当初、1990年代は「ネットサーフィン」という利用法がネット視聴の主流であったとされる。
これは思いつくままにリンクページをクリックして、あてもなくネット世界をさまよう作法を指す。
いわゆる暇つぶしである。
ネット以前の暇つぶしの主要手段はテレビであったろう。
したがってネット普及が原因のテレビ離れは、ある意味暇つぶし手段がテレビからネットにシフトした現象であると捉えることができる。

多くの大衆はそこそこに暇であり、無意識的に適当な暇つぶし手段を求めている。

人間の脳みそは、他の動物に比べるとかなり高い情報処理能力を持っている。
これはわたしの個人的想像だが、突出して高い能力を持つ人間の脳みそは、アイドリング状態でもある程度以上の回転数で回っていないと調子が悪くなるのである。
何もしていない時、それこそ寝ている時でさえ脳内の神経細胞で電気火花をパチパチ散らしていないと気が済まない厄介な臓器なのだ。

それで暇を持て余している人間に格好の暇つぶし手段としてテレビ番組は提供された。

考えてみるとテレビのような「動画コンテンツ」は映像と音という、出現当時の感覚からすれば「仮想現実的」なコンテンツ形式で、音だけのラジオや文字だけの本・新聞などよりよほどのリッチコンテンツであった。

最近は3DのVRコンテンツなんていうのも出ているけれど、これも二次元平面に映像を表示するという点では動画コンテンツの派生形式の範囲だろう。
人間の認知の大部分は、視覚から得られた二次元映像と聴覚情報の「動画コンテンツ」形式になっているので、この形式は人間がもっとも自然にハマる情報形式なのだと思う。

インターネットは、今までテレビがほとんど独占的に提供していた暇つぶしとしての動画コンテンツをテレビとは違う形で提供し始めた。
そしてテレビの独占的地位を少しづつ削り続けて今日に至っている。
たぶんそういうことなのではないかと想像するのである。

そして同時に、テレビには広告媒体としての重要な役割がある。
現在テレビや新聞広告は市場が縮小しているが、ネット広告は急速に成長している。

考えてみると、大衆が暇であるがゆえに大量のテレビ番組が視聴され大量の企業広告も大量に出稿された。
暇な大衆の存在が現代資本主義社会の土台にある。

この先人工知能が発達し、考えようによっては人類はますます暇になる可能性がある。
そうなった時、人類は引き続きテレビやネットやその他の新しい手段によって今よりもっと暇つぶしをしているのだろうか。

そういうことを想像していると、能動的に、主体的に暇を埋めることについてもっと考えないといけないよな、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:29| Comment(0) | 徒然なるままに