2017年08月07日

ファーストについて

ニュースで見たけれど小池都知事率いるグループが、国政進出を目指して「日本ファーストの会」を立ち上げたらしい。
かねてから予想された行動であり、世間的にはそれほどの驚きも無いようであるが、しかしその命名はどうなのか。

「国民ファースト」というのが事前予想の多数派意見だったようにも思うのだが、「国民」ではなく「日本」となった経緯には興味を覚える。

都議選における「都民ファースト」は、都政における国政の干渉に対する反旗として、都民のための都政という分かり易すぎるほど分かり易い看板だったと思う。

しかし、国政の場合はまた勝手がかなり違う。
何に対して何を「ファースト」するか、考えてみるとちょっと難しい問題である。
そしてそれが「日本」であるということで、ますます分からなくなった。
都民の上位のディメンジョンは国民であるから、都民ファースト的構造を当てはめて考えると日本ファーストの「日本」は国民と同義ということなのか。


しかし、政治的標語として「ファースト」を使うのはななか優れたアイデアであるように思う。
現在の世の中の問題点の要点は「リソース不足」であるのは明白である。
国家予算は慢性的な歳入不足で赤字国債発行になかなか歯止めがかからない。
それは全世界共通の悩みであるが、それが故に今全世界中で何を「ファースト」にするかの論争が巻き起こっているように思う。

リソースが足りない場合、物事に優先順位をつけ何かを犠牲にして最優先事項に取り組まねばならない。
東京都政の場合、リソース不足甚だしい国政が従来から都政の財布に手を突っ込んできたことに対する都民の怒りがこの間の都議選の結果につながった。

さて、国政の場合同様の構図で考えることは出来るのか。

目下のところ国政における国民の不満は、首相に近い人々に「甘い汁」が集中しているのではないかという疑惑があるかもしれない。
この場合、『「首相周辺ファースト」の是正』こそがテーマになるべきであろう。

ファーストするモノを取り替えるというよりは、過度の「ファースト状態」を修正することこそがことの本質であると思う。
しかし国民の本音には、自分の周辺がファーストされる状況への渇望があるのかもしれない。
自分の会社の業績が良くなるとか、持ち家の値段が上がるとかすると嬉しいのは人情としていた仕方ない。

それはアメリカやイギリス辺りでもそのようであり、中東ではISが自分達の桃源郷を夢見て凄惨な戦いを戦っている。

「ファースト」は、全世界的に蔓延しているようにも思われるそういう人間の本音に響く効果的な言葉のようである。

しかし言うまでもなく行き過ぎた「ファースト」は大きな弊害を生む。
小池都知事には、ひとつ思い直してもらって、「ファースト」とは違う切り口の国政党名を考えて欲しいなあと思うのであるが、どうなのだろうか。
posted by ヤス at 14:16| Comment(1) | 徒然なるままに