2017年08月05日

いろいろ足りない

世の中何をするにしても、「制約条件」というのが付いて回る。
一番ベーシックな制約条件は寿命だろう。
人間というのは長生きしたとしても120歳くらいがせいぜいである。
しかも元気に活躍できる健康寿命となるとさらに短くなる。
まあ高齢になる程個人差も大きくなるから一概には言いにくいが、起業をするとかその他の大事を成し遂げるとか言うとやっぱり50代くらいが一つの節目ではないかという気がする。

また、あれば良いのに大抵は足りないもの最右翼として、時間の他にはお金がある。
おしゃれなカフェをオープンしたいと思っていて、いろいろ見積もりを取ったら1000万円くらいかかりそうだという時、しかし手元には300万円しかない、とかいうことはしょっちゅうある。
そういう時は足りない700万円をどこかから借り集めてきてお金を作るか、1000万円のプランを縮小して実現可能性をより手元に手繰り寄せるか、何かの工夫が必要になる。

本当に、何かをやろうとする時には足りないものはたくさんある。
経験や知識が足りない、バイトが足りない、体力が足りない、などなどである。

しかし考えて見ると、何かする時にすべてのリソースが充足しているとそれはもはやチャレンジでもなんでもない。
ただの日常的行為である。
いろいろと足りない、でもやり遂げたい、と思うからこそのチャレンジなのである。


制約条件について考えていると、あるいは宇宙の原理としての有限性などというものに想いを馳せざるを得ない。
何かが足りないというのは、この時空が有限だからこその現象であろう。
いま手元にある資源量は必ず有限なのであって、そうなるとそれが次のチャレンジに必要な量に達しない可能性も当然生じる。

そして我々は、きっと手元にある資源量を少し超えたチャレンジをしたがる傾向にあるのであり、したがって夢や目標に対するチャレンジは、不足する資源をどう調達するか、その工夫やアイデアこそがチャレンジの本質であるという感じがする。

あるいは、しょっちゅういろいろなものが足りなくて四苦八苦しているような人は、人生を通じて継続的に困難にチャレンジし続けている人であり、それなりに偉大な人である、と思えなくもない。

ということで、わたしもお金が足りない時間が足りないとかいう時は(そういうことは日常的にしょっちゅうあるのだが)、わたしは今偉大な挑戦の過程にあるのだ、と思うことにしようと思った。
posted by ヤス at 16:10| Comment(2) | 徒然なるままに