2017年08月21日

日米の組織の違い

なんとなくネットニュースをだらだら眺めていたら、元Facebookの顧問弁護士がベンチャー企業のCBOに就任したというのがあった。
ニュースの内容にはさして興味は湧かなかったのだが、CBOというのが何の意味なのか分からないのが引っかかった。
と思ったら記事の最初の方に出ていて、「CBO=チーフ・ビジネス・オフィサー」らしい。
思ったよりも普通で肩透かしを食らった気がした。

しかしCBOというのは何の役割を果たすのだろう。
これも記事中に説明がある。
「ビジネスの戦略や会社の将来について考える、法務、人事、採用、PR、社内コミュニケーション、マーケティングなど領域は多岐にわたる」
などと書いてある。

これは日本式に言うと何の役職になるのだろう。
おそらく仕事の内容としては「経営企画」がいちばん近い気がする。
だからCBOは経営企画担当役員くらいのところだろう。

そんなことを考えていてふと思ったことがある。
それは日米における、組織とその組織の長の関係についてである。
なかなか手短に説明できないのであるが、どうもアメリカの組織の長というのは、組織よりも「先にある」のではないかという気がしたのである。

つまり一人の組織長のキャラクターや方針が、その下につく組織の内容を決定するのではないか。
先頃、我が国では内閣改造が行われたが、我が国の省庁組織と大臣の関係は、まずほとんど「その省庁の頭に乗せても差し支えのなさそうな人物は誰か」という視点で行われる。
数万人の構成員からなる省庁組織の仕事内容や「性癖」はほとんど永久不変で揺るぎがなく、上に戴く大臣の誰彼に左右されない。

そこへ行くとアメリカでは、誰が長官に就任するかによってその組織の戦略方向や仕事の内容や省庁の上位スタッフの顔ぶれなんかもガラリと変わるのだろう。

このような日米差は一体どのように生じたのだろう。
ここからは概ねわたしの推測である。

やや唐突だが、これは多分それぞれの国の軍隊組織の性向が強く影響しているのではないか。

アメリカというのは、建国以来ずっと戦争を戦ってきた。
南北戦争のような大規模内戦もあったし、もちろん二度の世界大戦、朝鮮半島やベトナム、アフガン、イラクなどの対外戦争も大小さまざまに手がけている。

一方の日本も近代以降大規模対外戦争を何度か経験している。
しかし少なくとも聖徳太子から以降の長い歴史の中で考えると、対外戦争をしていない時代が圧倒的に長い。
アメリカの方は歴史は短いが、建国以降ほぼ隙間なく戦争をしているのではないか。

戦争では、敵の繰り出す新兵器や新戦術にいかに柔軟に対応するかが勝利のカギを握る。
そして少なくとも最近の100年200年の期間においては、アメリカの方が多くの戦争を経験し、時々負けているが、しかしちゃんと勝ち残っている。

そのあたりの軍事的なしぶとさが、企業組織づくりにも大きく影響しているのではないかという気がした。
まあ例によって気のせいであるようにも思うのであるが。
posted by ヤス at 10:33| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月20日

人に褒められること

人に褒められると悪い気はしない。
大昔、なんかの研修で初対面の人の心を掴むのにとにかく褒めろ、みたいなのがあった。
その時にどういうポイントをどのように褒めたらいいかとか、いくつか要点があったと思うのだが今となってはすっかり忘れてしまった。

とにかくも、人は上手に褒められると脳の中でなんか気持ちよくなる快感物質が出てくることは間違いない。
それによって褒めてくれた相手に自然に好意を持つことになる。
そうすると以降のコミュニケーションがスムーズになる。

しかし少し心のねじれた人間にとっては、そういう予備知識は少し別の効果を生む。
あまり面識もないのにやたらと褒めてくる人がいると、これは何か背後に良からぬ企みがあるのではないかと警戒したりすることになるのである。

しかしおそらく、人に褒められた時の模範的な態度は褒めてくれたことに対しできるだけ素直に謝意を返すことなのだろう。

こういうコミュニケーションのせめぎ合いは、男性と女性では女性の方が圧倒的に上手であるように思う。

「奥さんほんとにいっつも若くて羨ましいわあ」

みたいな明らかな「お世辞」に対し、満面の笑みで「もーほんまやめてよお」と本気の嬉しそうな顔をする。

そのような迫真のやりとりは日常しょっちゅう目にするわけであるが、心のひねくれた中年のおじさんにとっては少なからず理解不能のやりとりであった。
しかし最近になってだんだんと見直すようになってきたのであるが、前述のおばさん連中のやりとりには少なからず「本気」の要素が含まれているということにようやく気がついた。

本気であからさまなお世辞を言う、お世辞を言われた方も本気で嬉しがって見せる。

この点については、おじさん連中がビジネスの現場で時折見せる毒にも薬にもならないお世辞の交換と比較すると、かなり魂のこもったコミュニケーションであると言うことができる。
まあおじさんの場合でも、根限り目の前の相手を持ち上げ、褒めそやし、思いつく限りの長所を並べて賞賛する人が稀にいたりするのであるが。

わたしとしてはこれまではそういう過剰に相手を褒める人を見る時に、それはいくら何でも褒め方が過ぎやしないかとやや不思議な気持ちでいたのであるが、だが少々長く生きてきて、一周回ってやっと根限り人を褒めることの効果がだんだん分かってきたような気がする。

ただし褒められて本気で嬉しがることは重要なポイントだが、しかし頭の片隅ではそのお世辞を真に受けない冷静さを保たねばならないことは言うまでもない。

特におじさんの場合は、年を経るにつれて褒められることが増え叱られることが減るので要注意である。
人生まだまだ学ぶことが多い。
posted by ヤス at 07:14| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月19日

スペインのテロ

スペイン・バルセロナでテロ事件があった。
今回のテロは銃器や爆発物を使うのではなく、レンタカーで繁華街を暴走するという手口であった。

武器・兵器の類を使わない、ありふれた自動車を使う手口は、日本の秋葉原で発生して以来世界中で度々起きている。
自動車プラス銃器のパターンもあったけれど、自動車だけを使う場合、事前に察知して取り締まることが非常に難しいと思う。
しかも今回もテロの舞台となったのは観光客が多数集まることで知られるランブラス通りだった。

このような人が集まる通りというのは世界中に無数にあるだろう。
そして自動車を1台用意してその繁華街を暴走するのは、テロ組織でなくても、個人でも簡単にできてしまうことである。
今回のような事件はたった一人の意思で突発的に起こすことができる。
先日法案成立した「テロ等準備罪」でも十分には取り締まれないに違いない。


事前の取り締まりが難しく、かといって世界中の人通りの多いストリートを交通制限するわけにも行くまい。
考えられる対策としては、この手のストリートを歩行者専用にして物理的に自動車の侵入ができないようにしてしまうことだろう。
しかし地形や周辺交通との兼ね合いでそのような対策は困難な場合が多いかもしれない。

ということは、しばらくの間人類はこの種のテロと共存していくしかないのだろう。
一部の報道でも、バルセロナでは事件発生直後、ものすごくスムーズに通りの店舗が一旦店を閉め、また通りにあふれた人々をカフェなどに収容するなど、「テロ慣れ」している様子が流れていた。

実際イラクのバクダットでは日常的に爆弾が爆発しており、商店街で爆発した時でも2〜3時間後にはいつも通り商売が再開するくらいテロの頻発現場では「テロと一緒に生活」している人々がいる。

テロの防止は犯人を検挙し、組織を摘発して発生源を潰していくのはもちろん必要だと思うが、やはり根本的な原因を突き詰めて、そこに手を入れないと本当の平和は訪れないのは言うまでもない。

そしてテロの凶暴性は、扇動者や実行犯など犯人たち固有の問題というだけでなく、人類の中からなかなか無くならない暴力性の取り扱い方の問題として全く普遍的な問題であるので、これはたぶん人ごとではないのである。
posted by ヤス at 13:38| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月18日

タバコの匂いの思い出

ごく稀に、ではあるのだが、マクドナルドのトイレに入るとタバコの匂いがぷーんとすることがある。
マクドはずいぶん以前から全面禁煙である。
愛煙家がケムリにありつくためには店外に出なければならない。

トイレでタバコ吸った奴は、よほど禁断症状が差し迫っていたのだろうか。
あるいは、そういうことではなくて単なるくそガキの高校生かなんかが、いちびって吸っただけなのかもしれない。
そういえば大昔の高校のトイレも、たまにニコチンの香りが漂うことがよくあった。

しかしなぜ彼らはトイレでタバコを吸うのか。
トイレというのは学校でもお店なんかの場合でも、あまりジロジロと監視がしにくい場所である。
だから吸う方も腰を落ち着けてゆっくり吸えるのだろうか。

学校や店のトイレ以上にひどいのは、道の駅とかドライブインの公衆トイレだろう。
こういうトイレは外観が薄汚れて少々見た目に難があると同時に、トイレ的なアンモニア臭になぜかタバコの匂いが混ざって独特の臭気を放っている。

私の鼻はその臭気をすっかり憶えてしまって、久しぶりにそれを嗅ぐと思わず懐かしい感じさえしてしまう。

ちなみにわたしはタバコは非常に苦手である。
学生の頃は周辺はみんなどんどん吸い始めて愛煙家の率は半分以上になっていたのではないかと思う。
わたしは当時水泳をしていたからあまり吸おうとも思わなかったが、試しに吸ってみたことはある。
おそらくわたしの長い人生で一箱分以上は吸ったことがあるのではないかと思う。
幸いなことにその後もわたしは「常習者」への道を辿ることもなく、むしろ嫌煙家の方へどんどん傾いていった。

ただこれだけタバコをめぐる環境が厳しさを増す中にあっても、周辺にはどうしてもやめられないヘビースモーカーがけっこういる。

愛煙家が禁煙することの困難は、わたしには今ひとつ理解が難しいが、しかしタバコを吸った時の気持ちよさについては分からないこともない。

というのも学生時代のある時に、住んでいたアパートの下の住人が「中毒者」であったらしく、時々煙の仄かな香りが上まで上がってきていた。
それが非常にかすかな香りであり、そういう薄い香りの場合はなんだかこっちも気持ち良くなることがあった。
特に夜中に、寝る前に一本吸っているのだろう、その夜中のかすかなニコチンの香りにはちょっと毎回楽しみになるくらい危うい気持ち良さが含まれていた。

だから吸った時の気持ち良さはなんとなく想像つくのだが、でもとなりでプカプカやっているのとか、大量の吸い殻が発する強烈な悪臭は、やはり堪え難いものがある。

だからせめてトイレの匂いとタバコのそれを混ぜるのだけは、今後謹んでもらいたいものだなあ、と思っている。
posted by ヤス at 12:50| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月17日

東京オリンピックのマスコット

この8月の前半、2020年東京オリンピックのマスコットのデザイン募集があったらしい。
募集は14日に締め切られて2042件の応募があったそうだ。

先に行われた大会のシンボルマークの募集では1万点を超える応募があったらしいのでそれに比べるとずいぶん少ない。
何でもマスコットの募集にあたっては提出物として基本デザイン案と基本デザイン案を上下左右など6方向から見た図面、さらに表情2種類、競技別デザイン案2種、及びマスコットのプロフィール(制作意図、特徴、オリンピックマスコットとパラリンピックマスコットの関係性)を出さないといけなかったらしい。

そのようにやや複雑な提出物が求められたためにシンボルマークに比べると応募が少なかったようだ、と報道は伝えている。

本当だろうか。
まあシンボルマークと比べると確かに面倒臭かったのかもしれないが、ひょっとして東京オリンピックは開催2年前にしてすでに日本国民に飽きられているのではないか、と考えるのは少し意地が悪いかもしれない。


しかし最近のオリンピックにはこのようなマスコットキャラクターの存在がお約束になっているらしい。
ちなみに2016年リオオリンピックのキャラクターはどんなだったかと思うが全然思い出せない。
日本のオリンピック組織委員会が作成したマスコット応募要項の下の方に例として出ている。

黄色い頭の大きくて手足がひょろ長いサルみたいなのに加え、頭に葉っぱがいっぱいの青っぽい謎のキャラがパラリンピックのマスコットらしい。
ちなみに名前はオリンピックマスコットの黄色いサルみたいのが「ヴィニシウス」で、パラリンピックが「トム」だそうだ。(恐ろしく変な名前だ)
ビニシウスもトムもブラジルの有名な音楽家かなんかの名前らしいが、当然ながらわたしはまったく知らない。
(ビニシウスは有名な「イパネマの娘」の作詞者だそうだ)

リオのマスコットは30万票以上の投票の末に決まったそうだが、人口2億の国で30万票の投票は国民的に盛り上がったということなのだろうか、少し心配になる。

ところで日本のオリンピックマスコットは日本全国の小学校で投票が行われるという。
日本の小学生は、以前よりかなり減ったとはいえ全部で600万人以上いるのでブラジルのマスコット投票より総数は増えることが予想される。
この辺、盛り上がりの演出としてはうまくやっているのだなあと思った。
ちなみに小学生の投票は「強制ではない」そうだ。
非常に現代的である。

小学校での投票に先立ち、審査委員会であらかじめ3〜4案に絞り込むらしい。
どうせなら100案くらいで小学生に投票してもらった方が突拍子もないのが選ばれて面白いのではないかと思ったりするのだけれど。

しかしよくよく考えてみると、先に行われたシンボルマークの一連の騒動は一種の炎上マーケティングとしてかなり盛り上がった。
今回のマスコット選考は、気のせいかかなり盛り上がりに欠けるような感じなので、再び炎上するのに奈良のゆるキャラの「せんとくん」みたいな不気味キャラクターが選ばれたりすると面白いと思うが、多分煮ても焼いても食えない無難なモノに落ち着くような気がする。

ただ審査委員にしょこたんがいるので、彼女のセンスが選考に活かされて妙なデザインが選ばれることを少しだけ期待しておこうかと思った。
posted by ヤス at 13:59| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月16日

中国の対北制裁

北朝鮮が今月下旬にも実施する、としていたグアム周辺へのミサイル発射を延期したらしい。
ここまでアメリカがどう動くか見極めていたのだろう。
わざわざ延期を明言したのは、実際にミサイルを発射した場合にあるいはアメリカからの攻撃がありうると思ったのかもしれない。
たとえミサイルの着弾がグアムから数十km以上離れていたとしてもである。
そういうことではアメリカ側が発していた、「反撃を辞さず」の過激な反応が功を奏したということになる。

またここへ来て中国が北朝鮮に対する経済制裁に踏み切る姿勢を示した。
北朝鮮からの石炭などの輸入を昨日15日から全面的に止めるらしい。
しかし中国からの石油その他の戦略物資の輸出については報道に入っていない。

石炭輸入を止めて北朝鮮経済にどの程度の影響があるのかよく分からないが、一応貿易統計上は北朝鮮の対中貿易の半分くらいが石炭らしい。
それを止めると当然北朝鮮としては大打撃になる。

しかし過去数年、同様のケースはこれまでにもあったようで、検索すると昨年もミサイル(この時は北朝鮮はまだ「ロケット」と呼んでいたと思う)発射に対する制裁で、石炭貿易を停止するニュースが流れている。
しかし結果、過去の中国の対北制裁は何の効果も発揮していないようである。
もし額面通りに貿易が止まったのなら北朝鮮経済に深刻な影響があり、ミサイルや核開発どころでは無くなっただろう。

しかし現実には北朝鮮の技術力は衰える気配がない。

あるいは「政府の監視をかいくぐった」密貿易が中朝国境で行われているのかもしれない。
個人的には多分そうなのだろうと想像する。
つまり中国は本気で北朝鮮を止めるつもりがないのだろう。

多くの人が指摘している通り、北朝鮮の暴走を止める鍵は中国が握っているのだと思う。
中国が「本気」で経済的に締め上げれば、さすがの北朝鮮とて根を上げるに違いない。
でも中国は決して本気にならない。

少し歴史を俯瞰すると、日本や朝鮮半島は19世紀以降アメリカが太平洋側に勢力を伸ばして来て進出した(アメリカから見て)西の端である。
南の方では一旦はフィリンピンまで勢力圏に入れ、一時はベトナムなどインドシナ半島も窺ったが撃退された。

フィリピンの駐留米軍は撤退(その後南沙問題があって再駐留したらしい)したので、現在アメリカの対アジア最前線は朝鮮半島であり、日本はその後方陣地である。

冷戦時代、幸いなことに極東アジアで米ソ直接戦争は発生せず、現在のロシアは海軍力を大幅に縮小しているので海洋覇権をアメリカと争う可能性がほとんどなくなった。

問題は経済的にも軍事的にも伸長著しい中国だが、一方で米中は間に日本や韓国も挟んで莫大な貿易関係がすでに出来上がっている。
だから合理的に判断するなら米中戦争というのは起きようがない。

ということは北朝鮮とアメリカの軍事衝突も起きないことになる。
少なくとも北朝鮮が暴走しようものなら、その時こそ中国が本気を出すだろう。

問題は北朝鮮が、あるいはアメリカの大統領が合理的思考を失った時である。
でも多分彼らは呑気な日本人なんかよりよほど必死で将来についての計算をしている気がする。

昨日は72回目の終戦記念日だったが、「戦後」の歴史はまだまだくすぶって煙を出しているようである。
posted by ヤス at 09:52| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月15日

勝つための苦労

昔、マラソンで有名な宗兄弟が繰り返し言っていたことがあって、それはマラソンでは優勝する選手がいちばん楽をしている、ということだった。

それはそうだと思う。

最後に、ライバルよりどれだけ余分に力が残っているかがマラソンで勝つための必要条件であることは間違いない。

これは宗兄弟と同時代に戦った瀬古利彦をたぶんに意識しての発言なのかもしれない。
瀬古のレースは、終盤までポーカーフェイスで集団の中で先頭を窺っていて、勝負所で苦もなくスパートをかけて一気に引き離す。
あるいは大きなリードが奪えずゴール直前まで付いてこられても、最後の200m、100mを短距離走のスピードで走ってライバルを振り切る。

ああいうレース展開はよほど終盤に向けて余力を貯めていないとできるものではない。

一方の宗兄弟は、勝つ奴がいちばん楽をすると言う割にはラストスパートで勝つ印象がない。
特に兄の茂は、いつも30km過ぎて後れを取って、しかしそこから粘りに粘って上位に食い込むという展開がものすごく記憶に残っている。


勝つためには楽をしなければいけない。
この命題は、いろいろ考え詰めていけばいくほど真理であるように思えてくる。

この逆さまの言い回しは、勝つためには苦労をしないといけない、ということになる。
世間的な常識としてはこちらの方が通りが良いに違いない。

しかし、同じ勝つなら苦しみ骨を折る修行はしたくない。
人間、誰しも本当は苦労なんかはしたくないのである。
だが勝つためには一定の苦しみの蓄積が必要とされる。

少し天邪鬼に考えると、勝つために苦労が必要という考え方は勝てなかった奴の負け惜しみなのではないかと思える。
「自分は一番にはなれなかったけれどこれまで誰よりも苦労を重ねた。だからそこに一定以上の尊さがあるのだ」
そういう風に言っているように思える。

オリンピックなどでは、金メダルは大抵一つの競技で一つしかない。(団体競技を除くと)
だからどうしても銀メダル銅メダルの選手が発生することは避けがたい。
しかもスポーツ競技ではトレーニングの蓄積以外にも身体の遺伝的特性とか、頑張っても変更不能の要素もあって必ずしも最高のトレーニングが金メダルに直結するわけではない。

だから必ずしも銀や銅の結果が金に劣るとも言い切れないのだけれど、しかし少なくともわたしの目には、孤高の金メダリストには、しばしば優雅に戦っている感じというか、孤高の勝者だけが持つ心の余裕みたいなものが見えるような気がする。

勝ち負けの世界における本当の価値は、決して苦労の多寡では無く有効なトレーニングをどれだけ積み上げることができたかということだろうと思う。

そういう意味のことをいつも苦しそうに走っていた宗兄弟が言っていた、というのがまた説得力があるよなあ、と思ったのだった。
posted by ヤス at 09:42| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年08月14日

北朝鮮問題

お盆休みであるが、今朝も日経平均株価はかなり落ちている。
北朝鮮情勢の影響だろうか。
韓国のサムスンなんかもかなり株価をさげているそうである。
そして先に報道されていた、「8月中旬までに弾道ミサイルをグアムに向けて発射する計画を策定」の8月中旬にそろそろなる。

事態はどういう方向に進むのか、かなり気になる。
それで、いくらか個人的妄想も交えながら今後について想像してみる。

まず、アメリカと北朝鮮の間で直接的な武力衝突の可能性があるのか。
パターンはいくつかあって、北朝鮮がアメリカの領土にミサイルを打ち込む、あるいは韓国または日本の米軍基地にミサイルを打ち込むというのがひとつ。
逆にアメリカが北朝鮮を攻撃するパターンがあって、これは巡航ミサイルや爆撃機でミサイル発射拠点などを空爆するのと、地上軍を北朝鮮領内に侵攻させるのとがあるだろう。

しかしどのパターンも当面起きないと思う。
直接戦闘の発生は、米朝ともにメリットはまったくないからだ。

北朝鮮の後ろには中国がいる。
もし北朝鮮が無くなると中国はアメリカ勢力圏と直接境を接することになって都合が悪い。
だから中国は北朝鮮の存続を強く望んでいる。
できれば韓国を北朝鮮に併合してアメリカ勢力を大陸から一掃したいと本心では思っているに違いない。

アメリカはその逆で、北朝鮮を消滅させて半島を強固な橋頭堡にしたい。
数十年間その思惑が絶妙にバランスして今日まで来ている。

まったく国際関係というのは危ういバランスの上に成り立っているのだと感じる。
そのバランスが、北朝鮮の核開発成功と弾道ミサイル技術の進展でガタガタ揺れ始めている。


金王朝の基本方針は南北統一である。
そして初代の金日成の時から、南北統一のために核を持たねばならないと腹を決めてこの営々と核開発を続けてきたのである。
およそ60年間核開発を続けてきてやっと実用になるモノが出来た。
この核は、少なくとも建前上は南北統一のための手段であって対アメリカ戦争の道具ではない。

そういう意味でも北朝鮮はアメリカを攻撃する意欲はない。

しかし現実として北による南北統一が成立するとはとても思えない。
金王朝の下の統治を韓国民衆が認めるわけはないのである。
また金王朝はギリギリの緊張状態においてやっと存続可能な体制であるとも考えられる。
万が一南北統一が出来上がると、その瞬間から王朝は自壊するのではないかと思う。

したがって今後、北に核が有る状態での新しいバランス状態がまた始まるのかもしれない。
ということは、とりあえず最悪の事態は起きないと考えていいのではないかと思う。

いずれにしてもカギを握るのは北朝鮮そのものよりは背後にいる中国である。
北朝鮮問題がここまで危うくなったのは、ひとつには米中の力関係が最近かなり中国の方に傾いているということなのだと感じる。


posted by ヤス at 12:28| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年08月13日

ヤマト運輸の将来について

この間、糸井重里が主宰する「ほぼ日刊イトイ新聞」からメールが来ていた。
わたしは過去に数回「ほぼ日」の通販サイトで買い物をしたことがあり、その時に情報を登録したので今回メールが届いたのだと思う。
それでメールの内容は、配達業者がこれまでのクロネコヤマトから日通のペリカン便に変わりますよ、というものだった。

ここからは推測だがクロネコヤマトは今、取引先の大幅な見直しを進めているのであろう。
おそらく、企業の大口先を整理して個人客などの小口先に絞り込む方向にシフトしているのではないか。

それでちょっと前にクロネコヤマトを作り上げた故・小倉昌男氏の「経営学」を読んだのを思い出した。

同著によると石油ショック後の1970年代に父親が創業した大和運輸の社長に就任した小倉昌男氏は、従来の企業顧客からの受託で荷物を運送していたのを個人客の小口荷物中心の営業に全面スイッチするという、当時の感覚としては恐ろしくクレージーな新規事業に打って出て現在のクロネコヤマトの礎を築いた。

その時に有名な話で大口顧客である百貨店の三越、当時はあの社長解任されて「なぜだ!」と叫んだ岡田茂氏がまだ社長だったが、その岡田氏に取引停止を通告したりしている。
また直接の競合先であった郵便局と喧嘩をしたりしたのも当時話題になった。
古い話なのでオジさんでないと知らないかもしれないが。

とにかく、クロネコヤマトのヤマト運輸は大口荷物から小口荷物にシフトして今日がある、という歴史的経緯を考えると、アマゾンやその他の通販サイトの大口需要がどんどん増えるのは事業のベクトルが真反対である。
だからヤマトとしては脱アマゾン、脱大口企業顧客は不可避の流れだったのであると思う。


しかし通信販売業態は今後も急速な拡大が見込まれている。
統計の取り方によって少し差があるが、概ね現在の通販業界の規模はざっと10兆円くらいである。
全小売業の合計が120兆円くらいであり、通販比率は今1割弱くらいだがこれが2〜3割になるくらいまでは年率7〜8%くらいで伸び続けるらしい。
そうなると現状の宅配便業界の輸送キャパシティは、数年後にはパンクするのではないかと想像される。

たぶん従来型の方式でドライバーを増やして対応することは不可能なので、宅配ロッカーや今のコンビニみたいな荷物の預かり受託をする提携先を増やすとか、今後の拡大分は新しい方法で対応するしかない。

10年くらいしたら、自動運転やドローン関係の技術と法制度が整備されて宅配ロボットが街を飛び回るようになっているのかもしれない。
そうなった未来に、果たしてヤマト運輸はどういう業態に変化しているのだろうか、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:40| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月12日

東芝有価証券報告書提出

経営危機に揺らぐ東芝が、やっと2017年3月期決算を提出した。
東芝をめぐる状況はなかなか複雑のようで、今回の決算で債務超過額は5529億円になったらしいが、これを2018年3月末までに解消しないと否応なしに上場廃止になる。
東芝の基本方針としては、虎の子の半導体メモリ事業を売却してこの債務超過を解消すべく売却先を模索している。
しかし東芝と半導体で事業提携しているアメリカのウエスタンデジタルが売却に反対しており、また売却先が見つかった場合でも売却先企業各国の独禁法審査に半年、一年くらいはかかるらしい。
2018年3月末までもうあと7ヶ月あまり。
ほとんど時間がない。

半導体メモリ事業の売却予定額は2兆円程度と見積もられており、全部売却が難しい場合は債務超過解消分だけ部分的に売ることになる公算が高そうである。

しかしそもそも東芝は、最初は「一部売却」を模索していたのだった。
そうしたら手を上げた買い取り先企業が「全部でないと買わない」と言ったので全部売却に変えた経緯がある。

どうも話が堂々巡りで、要するに結論的には売却話はご破算に終わる可能性が高い。

しかも最近東芝の半導体事業は業績が過去最高にいいらしい。
現在東芝の利益の9割近くを半導体が稼いでいる。
したがって同事業を売却すると東芝はスカスカになってもぬけの殻になる。

しかし現経営陣は東芝をもぬけの殻にすべく鋭意努力中である。
その辺、東芝経営陣のやりたいことはどうも支離滅裂だ。
おそらく現経営陣は、自分たちの代で上場廃止になることが我慢できないほどの汚点であると考えているのだろう。

おそらく東芝には、半導体事業にもそれ以外の事業にも優秀な人材はたくさんいるに違いない。
今必要なのは、優秀な人材を多数擁する東芝から、このどうしようもない経営陣を引き剥がすことだと思う。

最悪なのは以前に取り沙汰された公的資金の投入が実現することだろう。
3月くらいに産業再生機構などが中心になって資本注入する案がニュースで流れたことがあった。
これは日の丸半導体を守るというのが大きな動機であるように思うが、例えこれで経営陣が総入れ替えになったとしても、これはこれでかなり問題だと思う。

過去に公的資金を投入された日の丸半導体の無残な姿を見ればそれは明らかだろう。
そもそも東芝の半導体が今もって利益を稼いでいるのは、国策連合に入らず独自路線でリスクを取ってきたからであるに違いない。

そんなこんなで東芝が上場廃止になるショック療法で、日本の「伝統的産業界」が少しは良い方に変わるのではないか、と思ったりする今日この頃である。
posted by ヤス at 13:51| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月11日

北朝鮮情勢

北朝鮮がグアム周辺にミサイルを打ち込む計画を表明したことが物議を醸している。
そのせいで日経平均株価は2万円を大きく割り込み、理由はよく分からないが円相場もかなり円高に振れて、ミサイルはまだ発射されていないがかなり実世界にも影響が出ている。

それでアメリカはこの計画に対しグアムを拠点とする戦略爆撃機B1Bランサーによる北朝鮮のミサイル発射拠点に対する爆撃の可能性に言及するなどかなり緊迫度を増す事態になっている。
しかし思うのだが、北朝鮮のミサイル拠点を攻撃するのにB1Bを使うというのはちょっと合点がいかない。

ターゲットとなるミサイル拠点は、一部報道によると24箇所というのが出ていたからもう具体的に特定されているのかもしれない。
爆撃機で攻撃するためにはターゲット位置が正確に分かっている必要がある。
だからアメリカの表明は、言いたかったのはミサイル拠点をアメリカ軍は把握しているぞ、ということだったのではないかと思う。

そして攻撃ターゲットが把握できているなら、攻撃は有人爆撃機ではなく密かに北朝鮮沿岸に近づいた原子力潜水艦の巡航ミサイルによって行うのではないか。

最近は原子力空母艦隊を派遣したとか、アメリカ軍が韓国軍や日本の自衛隊と共同で北朝鮮攻撃の演習をするとか、目に見えやすい威嚇的行動が目立っている。
グアム攻撃を示唆されて、それに対しグアムから爆撃機を飛ばして攻撃するというのは、ちょっとドラマチック過ぎてなんだか却って現実味が薄い気がするのである。

そもそも北朝鮮がグアム攻撃計画を表明したのは、ここを拠点にするB1B爆撃機が目障りだったからだろう。
しかし北朝鮮に対する攻撃手段はグアム以外にも在韓米軍基地や洋上の原子力空母や前述の潜水艦などいくつもある。
物理的距離から言えば在日米軍基地からの攻撃も可能だろう。

北朝鮮としてはそのどこかに一発でも攻撃を繰り出せば、アメリカ軍の攻撃を受けて金王朝体制の破滅につながる。
だから北朝鮮に出来ることは、ミサイル実験など「周辺敵国」に損害を与えない程度の示威行動がせいぜいであろう。
つまり、実際にミサイルがグアムなり日本なりに飛んでくる可能性は事実上あり得ないと思う。
まあ彼らが合理的思考を行う限りにおいては、であるが。

北朝鮮としては、現在の緊張状態をなるべく長く維持して、その中で体制を維持する覚悟なのだろう。

ただ金正恩同志の体形を見るに、彼の健康状態が事態の解決に大きく作用するのではないか、という気もする。
だから彼が痩せて肌ツヤが良くなったりし始めるといよいよ面倒くさいことになるのではないか、と思ったりした。
posted by ヤス at 14:34| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月10日

暇つぶしについて

現在全世界的にテレビ離れが進んでいるという。
おそらくその原因の一つは、インターネットの出現にあると思われる。

ネット出現当初、1990年代は「ネットサーフィン」という利用法がネット視聴の主流であったとされる。
これは思いつくままにリンクページをクリックして、あてもなくネット世界をさまよう作法を指す。
いわゆる暇つぶしである。
ネット以前の暇つぶしの主要手段はテレビであったろう。
したがってネット普及が原因のテレビ離れは、ある意味暇つぶし手段がテレビからネットにシフトした現象であると捉えることができる。

多くの大衆はそこそこに暇であり、無意識的に適当な暇つぶし手段を求めている。

人間の脳みそは、他の動物に比べるとかなり高い情報処理能力を持っている。
これはわたしの個人的想像だが、突出して高い能力を持つ人間の脳みそは、アイドリング状態でもある程度以上の回転数で回っていないと調子が悪くなるのである。
何もしていない時、それこそ寝ている時でさえ脳内の神経細胞で電気火花をパチパチ散らしていないと気が済まない厄介な臓器なのだ。

それで暇を持て余している人間に格好の暇つぶし手段としてテレビ番組は提供された。

考えてみるとテレビのような「動画コンテンツ」は映像と音という、出現当時の感覚からすれば「仮想現実的」なコンテンツ形式で、音だけのラジオや文字だけの本・新聞などよりよほどのリッチコンテンツであった。

最近は3DのVRコンテンツなんていうのも出ているけれど、これも二次元平面に映像を表示するという点では動画コンテンツの派生形式の範囲だろう。
人間の認知の大部分は、視覚から得られた二次元映像と聴覚情報の「動画コンテンツ」形式になっているので、この形式は人間がもっとも自然にハマる情報形式なのだと思う。

インターネットは、今までテレビがほとんど独占的に提供していた暇つぶしとしての動画コンテンツをテレビとは違う形で提供し始めた。
そしてテレビの独占的地位を少しづつ削り続けて今日に至っている。
たぶんそういうことなのではないかと想像するのである。

そして同時に、テレビには広告媒体としての重要な役割がある。
現在テレビや新聞広告は市場が縮小しているが、ネット広告は急速に成長している。

考えてみると、大衆が暇であるがゆえに大量のテレビ番組が視聴され大量の企業広告も大量に出稿された。
暇な大衆の存在が現代資本主義社会の土台にある。

この先人工知能が発達し、考えようによっては人類はますます暇になる可能性がある。
そうなった時、人類は引き続きテレビやネットやその他の新しい手段によって今よりもっと暇つぶしをしているのだろうか。

そういうことを想像していると、能動的に、主体的に暇を埋めることについてもっと考えないといけないよな、と思ったりした。
posted by ヤス at 11:29| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月09日

人づくり革命

8月3日行われた内閣改造の話題のひとつに人づくり革命大臣がある。

そもそも今回の改造内閣の初閣議で、
(1)東日本大震災からの復興加速
(2)「人づくり革命」の断行
(3)「1億総活躍社会」の実現
(4)世界の中心で輝く日本
の4つの政策課題が閣議決定されたらしい。

人づくり革命は主要4課題のひとつに位置づけられる。

さらに、人づくり革命は以下の5つのテーマを掲げているらしい。
「無償化を含む教育機会の確保」
「社会人のリカレント(学び直し)教育」
「人材採用の多元化、高齢者活用」
「人的投資を核とした生産性向上」
「全世代型の社会保障への改革」

一億総活躍といい人づくり革命といい、現内閣の言語感覚にはいつも驚かされる。
しかしこの独特の、過激な言語感覚は一種の炎上商法として捉えると理解出来るような気もする。

現内閣はネット対策にもかなり熱心で、莫大な人的・金銭的リソースを投入してネットを活用した広報活動を行っている。
あるいはその中で学習したことがあったのかもしれない。
「悪名は無名に勝る」式の論法で、当たり障りのない政策を発表するよりは多少炎上しようともニュースで取り上げられて世間に認知される方がよほど実利がある。
そういう考え方のもとに、キテレツなネーミングを連発している可能性も考えられる。

先の人づくり革命5つのテーマを見ると、そこには「血塗られた革命的要素」はほぼ感じられない。
革命というからには、既存権威を転覆する闘争的要素があって然るべきと思うがそういうことでもないようである。

あるいはその闘争のターゲットは文部科学省という官僚組織であるのかもしれない。
かねてから現政権は岩盤規制の突破を基本姿勢とする傾向が見られる。
人づくり革命は文科省権威に対するクーデターである、とすれば革命の意味が理解出来なくもない。

あるいは、安倍首相の頭の中には郷土の英雄・吉田松陰的な革命思想が渦巻いているのかもしれない。
安倍さんの政治的立場は「保守」であると思うが、しかし日頃の行動や考えは基本的に「革命」であり、既存の体制(例えば「戦後レジーム))を転覆しようとするところにその特徴がある気がする。

そう考えると「人づくり革命」は奇抜でも炎上商法でもなく、真面目にナチュラルに命名された自然なネーミングである、と思えなくもないのである。
posted by ヤス at 11:22| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月08日

生産性の向上について

最近、「生産性の向上」というフレーズを聞くことが多くなった。
生産性という概念自体は、ものすごく昔からポピュラーに使われている。
それが今になってにわかに脚光を浴びている(ように見える)のはなぜだろう。

おそらくこの背景には、下がり続ける日本の国際的ポジション、なかなか上がらない賃金水準がある。

ひとことで言うと、政府的には経済を活性化したい。
経済を活性化することによってGDPが拡大し税収が増え、財政プライマリーバランスが改善して国債新規発行が減少する。
また今後継続的に予測される人口減少に対する対策としても、国民一人当たりの経済的生産性を拡大することは重要である。

一方で政府は国内企業に対し、賃金水準の改善についてしばらく前から口を酸っぱくして言い募っている。
これはニワトリとタマゴ論争的な話だが、賃金を上げることによって消費が拡大し企業収益が改善して結果としてさらなる賃金上昇につながる。(という幻想が一部に存在する)

企業収益の拡大は企業にとっては生産性の向上そのものであるから、上記の論法では賃金を上げない企業が頭が悪いことになる。
しかし企業側としては容易には賃金を上げられない事情がある。
現在、国内企業の内部留保が総計400兆円に迫ろうかという規模に膨れ上がっているらしい。
内部留保がこれだけ膨らんでいるのだから、そこからちょっとくらい賃金に回しても良さそうなものである。

しかしやはり賃金はおいそれと上がらない。
内部留保の拡大は、賃金原資の増加を意味しない。
むしろ内部留保の縮小が始まると、企業各社は利益水準維持のために賃金切り下げに邁進し始める。
内部留保と賃金水準はそういう一方向的関係にある。


しかし個々の日本人を見ると、それほど絶望的に生産性が低いようには思えない。
わたしは外国人のことをよく知らないが、たぶん日本人個々の能力は、少なくとも他の先進国と同レベルくらいにはあるのではないか。

そうなると国際的に低いとされる日本の生産性の問題点は、社会や組織や仕組みにあるとしか考えられない、ということになる。

ひとつ思うのは、意思決定についてである。
日本には集団的意思決定が個人的意思決定に優先する風土があると思う。
日本にも、かつての織田信長とかワンマン的リーダシップが皆無であったわけではない。
むしろ今でも個人の力量で成長を続けるリーディングカンパニーがたくさんある。

しかし一方で、社会の基底では集団的意思決定を重んじる気風が強い。
特に役所や伝統的大企業、町内会や政治の世界などドメスティックな社会では集団意思が個人意思に優先する。

しかし生産性の観点から見ると、千人の凡人による集団的意思は一人のスーパーマンのアイデアにかなわない。

一方でワンマンや独裁は弊害が多い。
だから特に政治の仕組みは過度の独裁を防止する仕組みが組み込まれている。
しかし企業の世界は、スーパーマンによるワンマンでないとライバルに勝てない。

ここでいうスーパーマンは、かなり相対的な概念と言うことができるかもしれない。
1万人に1人の傑物もいれば10人の集団の中で最も優秀くらいのスーパーマンもいるだろう。

そういう相対的スーパーマンが力を発揮できる気風こそが、日本の生産性向上に効果があるのではないかと思う。
posted by ヤス at 10:00| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月07日

ファーストについて

ニュースで見たけれど小池都知事率いるグループが、国政進出を目指して「日本ファーストの会」を立ち上げたらしい。
かねてから予想された行動であり、世間的にはそれほどの驚きも無いようであるが、しかしその命名はどうなのか。

「国民ファースト」というのが事前予想の多数派意見だったようにも思うのだが、「国民」ではなく「日本」となった経緯には興味を覚える。

都議選における「都民ファースト」は、都政における国政の干渉に対する反旗として、都民のための都政という分かり易すぎるほど分かり易い看板だったと思う。

しかし、国政の場合はまた勝手がかなり違う。
何に対して何を「ファースト」するか、考えてみるとちょっと難しい問題である。
そしてそれが「日本」であるということで、ますます分からなくなった。
都民の上位のディメンジョンは国民であるから、都民ファースト的構造を当てはめて考えると日本ファーストの「日本」は国民と同義ということなのか。


しかし、政治的標語として「ファースト」を使うのはななか優れたアイデアであるように思う。
現在の世の中の問題点の要点は「リソース不足」であるのは明白である。
国家予算は慢性的な歳入不足で赤字国債発行になかなか歯止めがかからない。
それは全世界共通の悩みであるが、それが故に今全世界中で何を「ファースト」にするかの論争が巻き起こっているように思う。

リソースが足りない場合、物事に優先順位をつけ何かを犠牲にして最優先事項に取り組まねばならない。
東京都政の場合、リソース不足甚だしい国政が従来から都政の財布に手を突っ込んできたことに対する都民の怒りがこの間の都議選の結果につながった。

さて、国政の場合同様の構図で考えることは出来るのか。

目下のところ国政における国民の不満は、首相に近い人々に「甘い汁」が集中しているのではないかという疑惑があるかもしれない。
この場合、『「首相周辺ファースト」の是正』こそがテーマになるべきであろう。

ファーストするモノを取り替えるというよりは、過度の「ファースト状態」を修正することこそがことの本質であると思う。
しかし国民の本音には、自分の周辺がファーストされる状況への渇望があるのかもしれない。
自分の会社の業績が良くなるとか、持ち家の値段が上がるとかすると嬉しいのは人情としていた仕方ない。

それはアメリカやイギリス辺りでもそのようであり、中東ではISが自分達の桃源郷を夢見て凄惨な戦いを戦っている。

「ファースト」は、全世界的に蔓延しているようにも思われるそういう人間の本音に響く効果的な言葉のようである。

しかし言うまでもなく行き過ぎた「ファースト」は大きな弊害を生む。
小池都知事には、ひとつ思い直してもらって、「ファースト」とは違う切り口の国政党名を考えて欲しいなあと思うのであるが、どうなのだろうか。
posted by ヤス at 14:16| Comment(1) | 徒然なるままに

2017年08月06日

出会いについて

人間は、生まれてから死ぬまでに一体何人くらいの他人に出会うのだろうか。
この場合、「出会い」の定義がやや問題である。
たまにオノボリさんをして東京なんぞに出かけた場合、東京駅とか新宿の雑踏とか、田舎にいるのとは比べ物にならないくらいの人とすれ違う。
おそらく、たまたま近くをすれ違ったりするだけの関係を出会いとは言わない。

しかしふと考えてみると、都会の雑踏で数百数千の人間の集団がうごめいている姿は、昔テレビのドキュメンタリー番組とかで観た草原を移動するバッファローの群れのようにも見える。
ああいう風にお互いに個人的な関係はないが、一群の人間集団が路上を流れているのは人間的というより野生動物の群れに近い。

ああいう、単に物理的にたまたま近くに接近遭遇するというのも、あるいはある種の出会いであるような気もするがここではこれ以上深入りはすまい。

ともかく、軽く挨拶してひとことふたこと以上に会話を交わすような出会いを人間はどれくらいするのか。
これには当然個人差があって、例えば引きこもりになって久しい40歳代の中年とかはあまり他人に出会う機会がない。

その一方で、新規開拓営業をせっせと行う営業マンとかは毎日たくさんの名刺交換をしているだろう。
また、芸能人とかプロスポーツ選手とか、いわゆる有名人になると放っておいてもあっちの方から勝手に会いに来て出会いの人数が普通よりかなり増える。
あるいは政治家なんていうのも出会った人数が得票数に比例するかもしれず、人数がおのずと増えるだろう。

しかしそうは言っても人間の寿命や一日のうちの活動時間とかはおのずと上限が決まっている。
だから挨拶して軽くひとこと交わすくらいの出会いでも、会える人数はそんなに多くはならない。

仮想例として、一日に8時間を人と出会ってひとこと交わすのを職業とする人物を想定してみる。
その「出会い屋」は一人と10秒会話を交わしたらすかさず次の人と出会う。
そう仮定するとその出会い屋は8時間で2,880人と出会える。
これを一年365日継続すると約100万人と出会える。
そしてこれを80年間継続すると8千万人に出会える。

人生のすべてを出会いに捧げてこの人数である。
なにもかも投げ打ったとしても、生涯で出会える人数は日本の人口にも満たない。

当然のことながら、普通の人間が出会える人数はこの出会い屋の1万分の1とか10万分の1、つまり生涯に数千人か数百人がせいぜいではないかと思う。
さらに言えば、頼み事をしたり悩み相談に乗ったりとか、ある程度深い付き合いの出来る人との出会いはもっと限られてくる。
たぶん普通は数人か、せいぜい10人20人が正味のところではないかと思う。

地球人口は今76億人ほどだと言うが、人間の出会いのキャパシティはその総数に比べるとかなり範囲が限られるなあと、あらためて思った。
posted by ヤス at 12:31| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年08月05日

いろいろ足りない

世の中何をするにしても、「制約条件」というのが付いて回る。
一番ベーシックな制約条件は寿命だろう。
人間というのは長生きしたとしても120歳くらいがせいぜいである。
しかも元気に活躍できる健康寿命となるとさらに短くなる。
まあ高齢になる程個人差も大きくなるから一概には言いにくいが、起業をするとかその他の大事を成し遂げるとか言うとやっぱり50代くらいが一つの節目ではないかという気がする。

また、あれば良いのに大抵は足りないもの最右翼として、時間の他にはお金がある。
おしゃれなカフェをオープンしたいと思っていて、いろいろ見積もりを取ったら1000万円くらいかかりそうだという時、しかし手元には300万円しかない、とかいうことはしょっちゅうある。
そういう時は足りない700万円をどこかから借り集めてきてお金を作るか、1000万円のプランを縮小して実現可能性をより手元に手繰り寄せるか、何かの工夫が必要になる。

本当に、何かをやろうとする時には足りないものはたくさんある。
経験や知識が足りない、バイトが足りない、体力が足りない、などなどである。

しかし考えて見ると、何かする時にすべてのリソースが充足しているとそれはもはやチャレンジでもなんでもない。
ただの日常的行為である。
いろいろと足りない、でもやり遂げたい、と思うからこそのチャレンジなのである。


制約条件について考えていると、あるいは宇宙の原理としての有限性などというものに想いを馳せざるを得ない。
何かが足りないというのは、この時空が有限だからこその現象であろう。
いま手元にある資源量は必ず有限なのであって、そうなるとそれが次のチャレンジに必要な量に達しない可能性も当然生じる。

そして我々は、きっと手元にある資源量を少し超えたチャレンジをしたがる傾向にあるのであり、したがって夢や目標に対するチャレンジは、不足する資源をどう調達するか、その工夫やアイデアこそがチャレンジの本質であるという感じがする。

あるいは、しょっちゅういろいろなものが足りなくて四苦八苦しているような人は、人生を通じて継続的に困難にチャレンジし続けている人であり、それなりに偉大な人である、と思えなくもない。

ということで、わたしもお金が足りない時間が足りないとかいう時は(そういうことは日常的にしょっちゅうあるのだが)、わたしは今偉大な挑戦の過程にあるのだ、と思うことにしようと思った。
posted by ヤス at 16:10| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年08月04日

戦争を思い出す時期

さて、早いもので2017年も早8月。
昔広島市に住んでいた頃は、この時期平和公園の方が警察機動隊なんかが出て妙に騒がしくなる季節だったのを思い出した。

先の大戦は日本にとってはまことに厳しい戦争で、やる前からみんな薄々負けることが分かっていながら始めた戦争だったわけである。
と言うのも日米開戦時の両国のGDPは、アメリカ9千億ドル超、日本2千億ドルで日本が圧倒的に少なく、粗鋼生産量は9分の1、自動車保有台数では200分の1という圧倒的な工業力の差があったからである。

だから山本五十六は開戦したら最初の半年一年は大暴れする、と言ったわけであり、事実対戦中にアメリカは航空母艦を正規空母22隻、軽空母93隻をベルトコンベヤーで自動車でも作るように量産した。
その間日本は正規空母9隻と軽空母9隻を新造するのがやっとで、しかもそのうち戦争に間に合わないものが多数あり、できた時には搭載する航空部隊が壊滅状態だったりした。

この工業力の差を見ると、ミッドウェーで空母が4隻沈んでいなくても日本の負けは歴史の必定だったようにしか思えない。


最近は零式艦上戦闘機、いわゆるゼロ戦の話題がメディアでよく流れている。
数年前の映画「永遠のゼロ」や最近復元されたゼロ戦が日本の空を飛んでニュースになったことなどが影響しているのだろう。

このゼロ戦は、大戦劈頭は神がかり的に強く終戦間際は特攻に追い込まれるほど性能陳腐化して旧日本軍の盛衰を象徴する存在であった。
戦争に負けた日本人としては、ゼロ戦が戦争当初には米英軍が腰を抜かすほど強かった、というのがせめてもの心の拠り所になっているのかもしれない。

数日前、大戦中のイギリス情報部がドイツの暗号エニグマを解読する映画「イミテーション・ゲーム」を観た。
現代のコンピューターの父、天才数学者のアラン・チューリングが活躍する映画である。
映画では、エニグマ解読に成功した秘密のプロジェクトチームは、その事実をドイツ軍に悟られないようにUボートの攻撃情報を把握してもある程度放置する。
そしてここが要所というところだけ、解読した暗号情報を元に対策を打って戦争を勝利に導く。

その辺りのアングロサクソンの「戦争術」は、ゼロ戦の戦術的活躍に一喜一憂する日本とはかなりの好対照である。
戦争の記憶が少しだけ蘇るこの時期には、そういうことも思い出した方がいいような気がする。
posted by ヤス at 10:56| Comment(2) | 徒然なるままに

2017年08月03日

改造人事

昨日の夜遅くに安倍内閣の改造人事が報道されていた。
個別の閣僚の手腕についてはわたしはよく分からないところが多い。
だからあまり正確な評価はできないのだが、しかし有権者目線のざっくりとした第一印象としてはかなり上手くやったのではないかと思った。

まず、甘利元経産相が入っていない。
かなり早い段階から甘利氏の名前はニュースで流れていたけれど結局入らなかったのは、流れていたニュースはいわゆる観測気球ということだったのだろう。
甘利氏が入れば支持率浮揚どころか数字が下がる、という結論になったのではないかと思う。
首相としては、「腹心の友」として甘利氏の入閣を熱望していた、そういう事前の報道ぶりであったが、叶わなかったのはしかし首相視点で考えてもプラスだったのではないか。

サプライズ的な人事としては野田聖子氏の総務省だろう。
一体どうやって口説いたのか、野田聖子氏にとってもやっぱり大臣のイスはよほど魅力的だったのか。
あるいは次の党総裁選で出馬の邪魔をしないという約束を取り付けたのではないか、と邪推したりする。

何れにしても野田聖子入閣は今回の改造人事の目玉であり、最大のプラス要素だったような気がする。
それ以外の大きなサプライズはあまりないように見える。
逆に目立つ民間大臣を入れたりしなかったところが今回の特色だと思う。
多分身体検査も今まで以上にやっていることだろう。
その上で安定性の高いメンバーを選んだらこうなった、と言うことのようである。

基本方針としての「支持率浮揚に資する改造」の視点から見ると、リスクをとってまで大きな浮揚を狙わず、しかし確実に数字を上げる方向性は一貫しているように見え、国民のための改造かどうかは横に置いておくとしてかなり合目的に徹した、それなりに頑張った改造だと思った。

菅・麻生を変えなかったのは、マイナスのような気もするけれど、適任の代わりが見つからない、だからしょうがないということなのだろう。
このような意外に堅実な改造人事を見ると、自民党の土俵際の粘り腰にやや感心させられる。

こうなると民進党の代表選がますます心配になる。
おそらく期待通りに混乱の渦が巻き起こるのだろう。
この国の政治がまともになるために、そっちの方に良いサプライズが起きることを少しだけ期待しておこうと思う。
posted by ヤス at 08:50| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年08月02日

世界水泳

7月末にハンガリーはブタペストで開催されていた世界水泳が閉幕した。
今回の日本チームは金メダルゼロの結果に終わり、銀・銅メダルは計7個取ったもののやや微妙な結果だった。
今回の日本チームは顔ぶれ的にも従来からの安定メンバーで、今思いつく範囲では女子個人メドレーの大橋悠依が新しく入ったくらいだったようだ。

また本大会に先立つ選考会でもその大橋を除くと全般に記録低調で、オリンピックの翌年ということもあってしかたない面もあるが全般に調子が今ひとつのまま終わった感がある。
特にエースの萩野公介は肘を手術した影響もあり、クロールの調子がかなり悪かったようだ。
800m自由形リレーと400m個人メドレーは残念な結果だったけれど、距離の短い200m個人メドレーできちんと銀メダルを確保するあたりは、さすがと言っていいのではないかと思う。

また萩野のライバル瀬戸は、最近個人メドレーもバタフライも記録の伸びが止まって傍目に苦しんでいるようにも見えていたわけだが、大会本番では両種目で銅メダルを取ったのは非常に良かった。
たぶん正直なところ、一番いい時に比べると瀬戸の調子は7割くらいの出来だったのではないかと個人的には思うのだけれど、調子が悪いなりにその時の力を100%出し切れるのが瀬戸のすごいところだと思う。

一方、200m平泳ぎで世界記録を出した渡辺一平と、この一年くらい200mバタフライで瀬戸に勝ち続けていた坂井聖人は今ひとつ爆発しきれない結果に終わった。
それでも記録ホルダーの渡辺は悪いなりに銅メダルに手がかかり、チャレンジャーの坂井はひとつ狂うとメダルが獲れない。
やはり本気で金メダルを狙うのなら世界記録か年度最高記録は出しておかないといけない。
そういう意味で、今回下馬評的に金の可能性があったのは、世界記録ホルダーの渡辺と年度1位を出していた女子個人メドレーの大橋くらいだったことになる。

日本チームにとって本当の本番は3年後の東京オリンピックだと思うが、東京に向けては2019年時点でどのくらい世界最高レベルの記録を出せるかというのが大きいと思う。

今回の世界水泳には10代の若手もけっこういたが、みんな記録の伸びが一段落していて大幅な記録更新というのが無かったのは残念だったけれど、わたしの一押しの今井月選手が大橋選手銀メダルの影で200m個メで2分9秒台の自己ベストを出していたのは地味に嬉しかった。おしまい。
posted by ヤス at 10:04| Comment(0) | 徒然なるままに