2017年06月09日

リクルートスーツと完全競争

茂木健一郎氏が例によってリクルートスーツの没個性問題についてツイートしていたのを見た。

“東京のある駅の近くを歩いていたら、全く同じようなリクルートスーツをきた学生の集団が数十人、騒ぎながら通り過ぎていた。画一性。没個性。この国は、本当に終わっているんだなあ、と思った。経団連のお墨付き。”

わたしも全く同感だなと思う。
しかし考えれば考えるほど、今の「就活生」がそのようになっている理由が腑に落ちない。
わたしの記憶の範囲では、10年くらい前まではこういう現象はなかったように思うのだが。
それがこの数年のうちに街のそこかしこに黒っぽい「リクルートスーツ」を着た若い人を見かけるようになった。

素直に考えれば、これは一種の市場原理が働いた、淘汰圧のなせる技であろうということになる。
つまり企業側が「そのような若者」を欲している。
折しも現代はSNS社会であり、「そのような若者」のスマホ実装率は100%であることが推測される。
「就活必勝法」のような有用な情報はたちまちのうちに彼らに共有され、その成果や改善点が指摘されることであろう。

その結果があのリクルートスーツ。

しかし不思議なことが一つあって、昔経済学の勉強で習ったけれど、差別化の存在しない同質商品による純粋競争下では企業利潤は最小化するという、いわゆる完全競争の理論。
まず就活生自身を「労働力」としての商品に見立ててみると、就活生同士で何らかの差別化ができていた方が彼らの利潤は大きくなるはずだ。
しかし彼らの外見は見事なほどに「同質化」している。

この解釈は、就活時の服装は、実は差別化要素とはあまり関係ないという楽観論が一つには考えられる。

もう一つ考えられるのは悲観論である。
つまり他者との差別化は、うまく行くこともあるが場合によっては逆に作用して就活失敗に繋がるリスクがありうる。
差別化による利得とそのリスクを天秤にかけ統計的期待値を計算した場合、ここは安全パイでリスク回避をした方が得だというそろばん勘定が成立する、ということがあるのかもしれない。

特に企業側があまり差別化を望んでいない場合、そのリスクは高まり差別化による利得期待値は下がる。
だからみんな同じリクルートスーツになる。

ひょっとすると企業の採用担当者そのものが、長年にわたる同質化の淘汰圧でそこそこ”非”差別化指向に純化されて行っているのではないか、というようなことも想像できる。

まあもっとも、我々が目にする典型的なリクルートスーツの就活生以外に、ひょっとすると全体の1%くらいは全然違う装いの若者もいて、そういうのは就活生と認識できていないだけということなのかもしれないが。

しかし何はともあれ、ビジネス街の人口の何%とかがあのリクルートスーツ姿の若者なのは、ものすごく目立つし何だか非常に不気味に感じる。
まあ余計なお世話かもしれない。

そしてそんなふうに不気味に感じるのが、おじさんが歳をとったせいであれば良いがなあと思う今日この頃なのである。
posted by ヤス at 07:55| Comment(0) | 徒然なるままに