2017年06月01日

カッコいいということ

カッコいいとはどういうことだろうか。
と、少し思った。

まずその必要条件として、自然体であること、「いかにもな感じ」が無いことではないだろうかと思ったのである。
それはカッコいい男性も、カッコいいスーパーカーでも同じではないだろうか。
車のデザインと人間のカッコよさに、そのような相似性があるとすればちょっとした発見だなあと思う。

車のような無機物に自然体の感じがあるというのはどういうことだろう。
それはたぶん、車の形に「不自然な部分」が無いことである。
なんだか議論が堂々巡りになってきた。

逆に不自然な部分があるというのは、あそこのボディのライン形状がなんだか妙に引っかかる、「自然な形に見えなく」て心がソワソワする、ということがあるのではなかろうか。
つまり、自然なデザインは心にスッと入ってきて引っ掛かりが無い。
だから気持ちがいい。
そのかわり、デザインの咀嚼にあたって大きなインパクトもない。
不自然さが無く、不快要素がないこと、デザインの咀嚼があまり意識化されないことがカッコいいデザインなのではないか。

いや、少し違う。
インパクトがあってカッコいいデザインというのがこの世の中には存在する。
それは、車の形状の中にワザと「崩し」を入れて「妙な心の引っ掛かり」があるようなデザインである。
しかしそれでいて全体としては調和している。
そのような絶妙さこそが車のデザインにおけるカッコよさの秘訣であるような気がしてきた。

さて、話がやや逸れた。
もともとは人間におけるカッコよさを考えていたのだった。
人間のカッコよさを車のデザインにおけるアナロジーに仮託しようとしたのであるが、果たして上記の想像は人間にも当てはまるだろうか。

そもそも人間のカッコよさを考えるきっかけは、最近よくある謝罪の記者会見とかで、妙に不自然な感じの人がいてなんだかカッコわるいなあと思ったことだった。
逆に自然な感じで気負いの無い人物だと、喋っていることの真実味が増すような気がする。
しかし気をつけないといけないのは、上手な詐欺師ならきっと自然な感じを作為的に作り出せるだろうということだ。

ますます話がこじれてきた。
結局自然な人は、カッコいいのかカッコよくないのか。
これはおそらく、自然な感じであることはカッコよさの必要条件ではあるが十分条件ではない。

車のデザインの例を引いて考えると、全体としてはバランスが取れている人なのだけれど、部分部分でトンガっているところがある、ちょっと危うい感じがある人というのが、カッコいいかどうかはともかく妙に惹かれるということはあるかもしれない。

ただ自然な感じで角の取れた感じだけだとカッコよくはないわな、部分的に崩れたところがあるのに全体が調和しているのがカッコよさの秘訣であろう、しかしそこへ行くのはなかなか難しそうだな、というのが今日の結論。
posted by ヤス at 09:05| Comment(2) | 徒然なるままに