2017年05月21日

小さい誤解の積み重ね

コミュニケーションは難しい。
当たり前の話である。
しかし最近の情報化社会では、その難しさがさらに加速している。

まず、コミュニケーションの総量が増えている。
現代では目の前にいる人と話す以外にも、電話をしたりメールやラインをしたりしてコミュニケーションをする。
さらに、今に始まった事ではないがテレビや新聞・書籍やネットから膨大な量の情報が流れ込んでくる。
そういう一方通行的な情報の流れも、ある種のコミュニケーションであるように思われる。
そのようなメディアから流れてくる情報を受け取るコミュニケーションにおいて、今はフェイクニュースとかあって、意図的に偽の情報を刷り込む、というようなことが多く生じるようになった。

我々現代人は、ただでも電話やメールやラインで次々に流れ込んでくるメッセージを処理しないといけない。
そんな忙しい中では情報判断もかなり瞬間芸的なものになり、いちいち時間をかけてフェイクニュースの見極めを行うことは困難である。


コミュニケーションの難しさ、言い換えると「コミュニケーションの失敗」というのは、「誤解」が元で生じる。
メッセージを発した人は「A」の意味で伝えたのに、受け手側は「B」とか「A’」とか少し違うふうに解釈する。
その解釈のズレが許容範囲内であればコミュニケーションは成立するが、「A」を「Z」くらいに解釈するような大きな誤解が生じると非常にまずい。

昔の国語の授業で「方言の難しさ」みたいのがあった。
「この書類を保管しておいてください」という指示を受けた人が、多分その受けた人は関西人だったのだろうか、「この書類をホカしておいてください」と受け止める、みたいな話だった。
そんな冗談みたいな誤解が実際にあるのかどうかは知らないが、メッセージの発し手と受け手のやり取りはそれくらいに危ういものである、という説明にはなっているようである。

しかし考えてみると、「A」を「Z」に間違うことは滅多になくても「A’」や「B」くらいに間違うことはしょっちゅうあるような気もする。
というか、ほぼすべてのコミュニケーションには、必ず多少の誤解が生じているに違いないとさえ思うのである。
情報の発し手と受け手では、人生経験も価値観も必ず多少は違う。
その間のやりとりにおいて、デジタル的に1mmの狂いもなく情報伝達が成功するというのはまずあり得まい。

これを前向きに考えると、DNAの複製ミスが何万年も積み重なってちょっとづつ生物進化が生じるように、コミュニケーションにおけるごく小さい誤解がたくさん積み重なって、ある種の「新しい概念」が生まれているのではないか、という気が少しだけする。
その「新しい概念」がどういうものかは、言葉ではうまく表現できない。

こういう時こそ誰かに適切な誤解をしてもらえればいいのではないか、とちょっと思った。
posted by ヤス at 10:52| Comment(0) | 徒然なるままに