2017年05月20日

擬似的に超える体験

さて、再びマラソンの2時間切りの話。
今月の初めにイタリアで行われたナイキのマラソン2時間切りに挑戦するイベント「ザ・ブレーキング2」であるが、このイベントでケニアのキプチョゲ選手が2時間0分25秒で走り、目標まであと25秒まで迫った。
このイベントではランナー3人に対しペースメーカー30人が入れ替わり立ち替わりで入り、急カーブと風の影響を極力排した周回コースという「非現実的」な環境で行われた。

だからこの記録はもちろんマラソンの公認記録にならないし、イベントで出た記録に対する批判の声も出ている。
例えばドーピング検査の有無。
このイベントは公式レースではないので当然ながらドーピング検査が行われていないのだろう。
多分3選手はドーピングはしていないような気がするのだけれど、しかし今のところそういう情報は伝わってこない。

このイベントでは3人のトップランナーに対し、日本円で5千万円以上の「参加賞」が出ているらしい。
しかも2時間切りを達成したらボーナス1億円というのもあった。
またこのイベントはナイキのシューズの販促という目的があったので、主催者であるナイキ側としてもドーピングを止める積極的な理由はない。

このようにお金が絡んだ中ではドーピングの動機は十分にある。
しかし一方でドーピングしてしまうと「人類の限界を探る」というイベントの趣旨が台無しになる。
そこのところはどうなのだろうと思った。


わたしは昔競泳をやっていて、練習の時に半分遊び・半分本気で足にフィンをつけて泳ぐことがあった。
フィンをつけるとものすごく速く泳げる。
自分の実力が一気に3段階くらい上がる感じになって、異次元のスピードを体感できる。
しかし水泳でもなんでもそうだと思うが、たまには自分の実力をはるかに超えるスピードを体感する、というのはそれなりに役に立つことだと思う。

フィンをつけているという「ズル」はあるものの、しかし擬似的にせよ実際に速く泳ぐ体験をすると、脳みそ的にはまるで実力で速く泳いだかのような錯覚に陥る感じがある。
速く泳いだことの「体験」によって、自分はもっと速く泳げるという気分が生まれる、脳内のある種のブレーキを外す作用が生じるような気がする。

冒頭のマラソン2時間切りの挑戦イベントも同じで、「ズル」をしたとはいえ人の足で2時間で走ったという事実はそれなりに重い。

たとえ「ズル」をした擬似的な体験とはいえ、自分の実力をかなり超えた体験をしてみるのは意味があるような気がする。

そういうことでいうと、月へ行った宇宙飛行士なんかは科学の力を使って「生身の人間」の実力をはるかに超えたわけで、本人はもとより人類全体に与えた精神的影響というのはかなりあっただろう。

というようなことをちょっと考えた。
posted by ヤス at 11:20| Comment(2) | 徒然なるままに