2017年04月30日

伝統の一戦

伝統の一戦といえば、巨人阪神戦あるいは早慶戦などが思い浮かぶ。
ところでこの時の伝統という言葉、この言葉の意味が少し引っかかったので調べてみた。

「伝統」は「伝」と「統」で出来ている。
「伝」は字句通り「伝える」こと、「統」は「ひとつながりに続いて」いるようなイメージの意味らしい。
また「統」には「統べる」などという使い方でコントロールするとか統御するとかいう意味もある。
これは想像であるが、あるモノを長く存続させる様子が転じてそのモノの維持に腐心する様を表す意味が「統」の字に加わったのではないか、と思ったりする。

それやこれやを考えると、「伝統」というのは単に昔から淡々と続いているだけではダメで、その存続にそれなりの尽力があることが必要なのではないか、そういうイメージが浮かぶのである。

巨人阪神戦(もしくは阪神巨人戦)は、ただ淡々と戦っているのはもはや伝統の一戦ではなく、強い巨人と阪神が戦っているのが正しい伝統の一戦のありようだろう。
あるいは最近トップ選手を輩出しているフィギュアスケート界はそろそろ伝統の域に入りつつあるようだが、例えば凋落著しくなって久しい男子マラソンはもはや「伝統の糸」が切れている。

統の糸へんを見る限り、繋がってこその伝統であるようで、そういう意味では男子マラソンは伝統の作り直しが必要なのだろう。
(女子マラソンもぼちぼち頑張らないと糸が切れそうだ)

このように「伝統」の意味について理屈をこねた上で世の中のスポーツ中継などを観てアナウンサーが時折発する「伝統」の意味を考えた場合、そこにはすでに切れてしまった伝統や、その維持に大した尽力の無い伝統など、まやかしの伝統が案外散見されるのではないか、とどうでもいいが思ったりする。

しかし思うのは、例えば衣笠祥雄の連続出場記録とか双葉山の64連勝とか、何かが続くということに人はなぜそこまで執心するのだろうかということ。
連続出場でたまに一つ休んだり、連勝の途中に一敗したりしたところで数字上は大した違いがないような気がする。

切れると困るのは、例えば王統の血筋で、これが切れると王様一族は王権を失って大変なことになる。

あるいはそれ以外の伝統でも、一旦切れると再興するのに、連続的に維持する何倍もの労力を必要とするからわざわざ切れないように頑張るのかもしれない。

伝統に似た言葉で「老舗」というのでも、気をつけないといけないのは過去の栄光にあぐらをかいてしまうことだろう。
そうなった瞬間にそれは伝統でも老舗でもない、ただの歴史的事実になる。

伝統にとっては案外「今」が大事なのである。
どうでもいいがそんなことを思った。
posted by ヤス at 08:27| Comment(0) | 徒然なるままに