2017年04月26日

三菱自動車のその後1

ちょうど一年前の今くらいの時期だったけれど、三菱自動車燃費不正問題の発覚があった。
もう随分昔のような気がする。
あの問題を機に三菱自動車は日産ルノー連合の傘下に入ることになり、辣腕のカルロス・ゴーンが再生に向けた舵取りを行うことになった。

その前年にはフォルクスワーゲンによる米国での排気ガス不正問題があって、一連の燃費や排ガスデータの改ざん問題は、自動車業界の競争の厳しさ、そして環境規制の高いハードルの存在が強く印象付けられた。

改めていうまでもないけれど、自動車業界はなかなか大変な業界である。
自動車産業は、19世紀末にガソリンエンジンが完成し、1908年にフォードT型が世に出てモータライゼーションの口火を切って以降発展を続けてきたが、20世紀末になって合従連衡が急速に進んだ。

小さいメーカー、と言っても売上規模で1兆円とか2兆円とかの規模くらいだが、それくらいの小規模だとまず莫大な研究開発費負担に耐えられない。
研究開発費が増加したのは一つには、安全や環境など各国政府の規制がどんどん厳しくなっているのがある。
そしてもう一つには、ハイブリッドや電気自動車化、さらには自動ブレーキなどのアクティブセーフティー技術、そして自動運転技術などの新技術対応。



今から40数年前、わたしの家に自動車がやってきた時のことを少し憶えている。
確か中古の、スズキのフロンテだったと思う。
なぜか記憶に残っているのは、マニュアルミッションのレバーの根元のあたりに隙間があって、走行中にその隙間から下の地面が後ろに流れていくのが見えた、その映像である。
あのフロンテには、電子機器的なものは多分カーラジオくらいしかなかったのではないか。

チョークレバーというやつが付いていて、エンジン始動の際には必ずこれを引いていた。
そしてエンジンがかかったらしばらく暖機運転をするのが常識だった。
当時の車は、鉄の箱にタイヤとエンジンが載っているだけの単純な機械だったように思う。

それが今では燃料噴射装置を始めあらゆる機能が電子制御になり、ABSやらエアバッグやら、昔になかった装備もものすごく増えた。
また「鉄の箱」の部分も、安全基準に適合するためにスーパーコンピューターを駆使して入念な設計を行い、実車による実験にも多くの費用が必要だ。

そのように高度化し複雑化する自動車という商品を世に送り出すには、小規模メーカーではなかなか厳しい。
その観点からは、三菱自動車の日産ルノーへの「併合」は必然だったようにも思える。

ただ小規模メーカーの戦う土俵として、「ブランド」というのがまだ残っている。
そこのところを重点に書きたかったのだが、そこへいく前に字数が嵩んだ。
この続きはまた明日。(たぶん)
posted by ヤス at 10:32| Comment(0) | 徒然なるままに