2017年04月22日

表情観察

「非言語的」なメッセージは、時に言葉よりも強い影響を与えうる。
例えば表情。

誰かと話をしている時に目に映る相手の表情は、あまり意識に上らないけれど、こちらの受ける印象のうち、思いがけないほど大きな割合を占めているのだと思う。

そういう相手の表情の微妙な変化をリアルタイムで読み取りながら、こちらとしては相手の気分を想像して次に投げかける言葉が頭の中で浮かんでくる、そういうものだろう。

わたしは大昔から電話で人と話をするのが苦手だった。
特に仕事の電話は、社会人になりたての頃は恐ろしいほど苦痛だった。
電話は相手の表情が見えず、もっぱら受話器越しにやり取りする言葉だけがコミュニケーションの手立てである。
しかもあまり考える時間がない。
文書やメールとかなら伝達内容を整理して作成することができ、受け取った場合もその意味をじっくり考えることができる。

しかし電話は、大体の場合コンマ何秒かで次に発する言葉を用意していないとやり取りが続かない。
困った時に、「上司と相談してまた折り返します」とかなんとか言えばいい、というようなことはだいぶ後で学んだ。

しかし相手が面前にいて表情が見える時は、電話よりかなり楽にコミュニケーションが取れる。
個人的にはそうなのである。

わたしの場合、おそらく子供の頃から相手の表情を読み取ってご機嫌を想像するようなクセがあって、会話のラリーを続けるのに相手の表情を読むことが必須の要素になっていた、というのがあるような気がする。

しかしこの場合に一つ困ったことがあって、面前に相手がいる場合でもその人がものすごく無表情な場合、表情の見えない電話と同じようなコミュニケーション困難が生じる、ということがある。

世の中にはいろんなタイプの人間がいて、特に仕事を通じて出会った仕事のできる人々のことを思い出すと、喜怒哀楽の表情が豊かなタイプと逆に恐ろしく表情を変えないポーカーフェースの2つのタイプがいる。
当然ながら無表情の人はかなり手強い。
でもそういう人でも心の中に喜怒哀楽の感情がないわけではなくて、長年の訓練で顔の表に内心の動きが出ないように自らをしつけているのだろうと思う。

ただこういう無表情系の人物でも、一旦信頼関係が出来上がるとなんとなくその表情が読めてくるような気がするから不思議だと思う。
逆に喜怒哀楽の表情が豊かな人というのは、その「表情のノイズ」によって「真の感情」を顔面から消しているということがあるのではないか。

そうやってややこしく考えていると、人間の表情観察は思いのほか面白かったりする。
そんなことを思った。
posted by ヤス at 10:45| Comment(0) | 徒然なるままに