2017年04月01日

銃剣道

わたしはミリタリーオタクを自認している。
中でも専門分野は第二次大戦中の軍用機だ。
旧帝国海軍の零式艦上戦闘機やライバルのF6Fヘルキャットなどについてはそれなりに造詣が深い。
(自分で言うのもなんだが)

あとは陸上兵器の花形である戦車についてもそれなりに興味はある。
第二次大戦においては、やはりドイツ軍とソ連軍の戦車はそれ以外の国のものに比べて戦闘力が頭一つ二つ抜けている。
量的にも質的にも絶対的な工業力を誇ったアメリカ軍でさえ、凡庸な性能のM4シャーマンを投入するのがやっとであった。
そこへ行くと我が旧帝国陸軍の戦車の戦闘力はさらに貧弱だったことは否めない。
大戦中の帝国陸軍の主力戦車は有名な97式中戦車だ。

1938年正式採用のこの主力戦車は、登場時は国際的な水準でそれなりの性能であったと思われる。
しかし、ドイツやソ連が熾烈な地上戦を行ううちに次々に新型戦車を繰り出し、米英もドイツ戦車に対抗すべく新型車を開発したのに対し、帝国陸軍の主力戦車は結局最後まで97式だった。
と言うのも帝国陸軍の大戦中の全戦車の生産数は4千5百両ほど。
対してソ連とアメリカは両国とも8万両近く生産した。

当時の日本は、工業力から見ればほとんどつま先立ちでギリギリ無理をして戦っていたわけで、製造のために大量の鋼材を使用し、また戦場での運用にも莫大な補給が必要な戦車の使用はかなりしんどかったものと想像する。


さて、ミリオタの世界には銃火器マニアというのもいる。
銃火器マニアはカタカナに直すとガンマニアともいう。
これは軍用機や戦車とはやや趣の異なるジャンルのような感じがする。
わたしの高校時代の友人にも、かなり重度のガンマニアがいた。
彼は高3の時、ただただ銃をぶっ放したいという理由で自衛隊を目指した。
その後の彼の消息を知らないが。

しかし銃というのは、戦闘機や戦車と違って「身体の一部感」とでもいうような特殊な感情を沸き起こらせる何かがあるのかもしれない。
銃以前には刀がそうであったように。

そういう銃の持つ「身体の一部感」は、いろんな戦争映画でも時々描かれているように思う。
アメリカの銃規制が困難なのは、市民が武装して国家権力に対する対抗手段を持つべきだという「個人の武装権」によるものだが、もう一つは銃保持者の銃に対する「偏愛」性向のようなものがあるような気がする。

さて、この度の「新学習指導要領」で中学校の保健体育で教える武道の一つに「銃剣道」が加わったらしい。
銃剣道は1980年以来国体競技でも実施されており、学校で教える武道としてもふさわしいという判断のようである。
銃剣道で使われる「木銃」は全長166cmで、大戦中の旧軍主力小銃の「38式歩兵銃」に「30年式銃剣」を装着した長さを模しているとのこと。

旧軍における銃剣術の印象は、貧弱な補給能力、戦場における乏しい弾薬をカバーするための、「弾は無くてもまだ戦える」ことを無理やり信じ込むための方便、というのが個人的なイメージだ。

今回銃剣術が学校武道に登場したのは、一つには先に述べた銃に対する「偏愛」を持つ人々の意向が強く働いた、そしてもう一つには「弾は無くてもまだ戦える」貧乏くさい敢闘精神を教えたい一派がいるような気がしてならない。

だからいっそのこと、銃剣道などという何の役にも立たない戦闘技術を教えるのではなく、銃本来の「射撃術」や、あるいは機関銃やロケットランチャーなどの歩兵用重火器の訓練を中学校では教えた方が日本の防衛力の強化にも実際的に寄与して良い。

なんなら戦車戦術の授業や砲兵の弾道計算などの授業も検討すべきだろう。
そういう方が現在の豊かな日本では、銃剣道を教えるよりもずっとふさわしいと思う。
posted by ヤス at 10:17| Comment(0) | 徒然なるままに