2017年04月10日

働き方改革

先月末に「働き方改革」の実行計画がまとまったらしい。

働き方改革においては、特に「同一労働同一賃金」と「長時間労働の是正」が世間における論点の中心である。
政府の問題意識としては日本のホワイトカラーの生産性の低さをなんとかしたい、というのと長時間労働による過労死などの問題を撲滅したい、というのがあるようだ。

また最近は失業率がついに3%を切って2%台になったわけだが、これは労働需要が旺盛なためというよりは労働力人口の減少による供給源の要因の方が大きいと思われる。
決して景気が良くなって経済が活性化して失業率が低下しているわけではない。

ともかくも、労働生産性を上げて単位時間あたりの労働密度を高めること、それによって逼迫している労働供給を緩和する必要があることについては議論の余地がない。


政府としては労働生産性の改善について、それなりに危機感を持って取り組んでいるらしい。
他の先進各国に比べて業務のIT化による効率化が遅れていることの対策として、企業のIT導入に関する補助金制度を拡充するなどそれなりに対策に余念がない。

これらの周辺施策も含めた「働き方改革」は今後成果を上げていくことができるのだろうか。


最近の論調では、失業率もほとんど完全雇用レベルまで下がり経済界の労働需要も引き続き旺盛な様子を見せていることから、今後は長らく低迷していた実質賃金水準が上向くのでは、という期待があるようだ。

政府の働き方改革も、特に同一労働同一賃金については実質賃金上昇に効果を発揮すると期待する向きもあるだろう。

しかし仮に同一労働同一賃金が実現したとしても、これが直接に賃金上昇に結びつくというのはあまりにナイーブな考え方だと思う。
賃金水準が上がるためには、企業側の「賃金原資」が増える必要がある。
つまり儲かっていない企業では賃金を上げたくても上げられない。

今、パート時給が徐々に上がっていて、多くの企業では雇用を増やしたいけれど少ない人数で我慢している、という状況なのではないか。
少なくとも周辺の零細企業ではそういうところが多い。

日本ではここ何十年も産業構造が固定化しており、アメリカがそうであったように情報産業などの新産業が勃興して経済や雇用を牽引する、ということになっていない。

日本では2013年以降就業者数が約100万人増えたそうである。
しかしその8割は「女性の非正規労働者」の増加によるものである。
産業別では介護業界で約40万人増えている。

賃金水準が低い介護業界が直近の労働者数の増加に最も貢献している。
他の産業における労働需要は決して急拡大しているわけではない。
労働供給の逼迫は、若者の減少による「自然現象」と言える。

日本で長時間労働(というかサービス残業)が横行するのは、不足する賃金原資(つまり企業利益)を労働者の奉仕で相当程度カバーしている実態があるからだろう。

企業の利益が増えないのは、新しい産業構造がなかなか生まれないこと、本来市場から退出すべき企業がゾンビ化して存続していることなど、様々ある「日本的なしがらみ」が原因と思われる。

働き方改革の前にその部分に大ナタを振るわないと、結局のところ問題のしわ寄せは労働者が吸収する、ということになるような気がしていならない。
posted by ヤス at 16:56| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月09日

雑感

安倍さんは内心ホッとしているのではないか。

アメリカ軍が突如としてシリア政府軍施設に巡航ミサイルを打ち込んで、それにロシアが反発して、これまでの米露協調路線が180度転換して驚いたわけであるが、この突発劇に対して安倍首相はトランプ大統領と45分間の電話会談を行ったらしい。

こういう場合日本の基本姿勢は大体決まっていて、今回についてもアメリカの軍事行動を支持するということである。

北朝鮮情勢が不穏なこともあって、野党的にもいつまでも森友疑惑を追及していると国民世論の反発を招きかねず、月曜からの国会審議はかなり様変わりせざるを得ないだろう。

もう一つ、おとといの今村復興大臣の原発汚染からの自主避難者の「自己責任」発言問題だが、こちらの方はさすがに安倍さんもそこそこ重く見たようで、首相自ら件の大臣を伴って被災地を訪れ、殊勝な様子で陳謝の弁を述べたらしい。
国際情勢の緊張で国内問題の潮目がやっと変わろうかという時に、こんな余分な問題はまっぴら御免と思ったことだろう。

しかし思うのであるが、今村大臣の記者会見の場における瞬発力のなさはかなり問題ではないか。
一部報道や、やや右寄りの人々やそうでない人々でも、あの会見でのフリージャーナリスト(西中誠一郎という人物らしい)の追及がしつこ過ぎたとか、「自己責任」の弁を誘導尋問的に言わせたとか、要するに大臣側を擁護する意見を散見する。

大臣自身も「ここは公式の場だから、場をわきまえろ」みたいなことを言っていた。

しかし、記者会見における記者と大臣のやり取りは、ある意味貴重な議論の場であると思う。
今の与党の大臣は、首相本人も含めてあらかじめ「打ち合わせ済み」の質問内容で形だけの会見をすることに慣れ過ぎていて、ガチンコの本当の会見をこなす能力がないと見える。
その点、発言や政策の内容全てに賛同できるわけではないけれど、前大阪市長の橋下徹という人は、丁々発止の会見を見事にさばいて、その勉強量の半端なさには記者側もぐうの音も出ない感じであった。

今回の今村大臣会見は完全な自滅パターンだったと思う。
ただ辞職する必要はあるまい。
もうこの際代わりが誰になってもあまり関係ない気がするし、今は国際情勢がそれどころの状況ではない。

さて、わたし的にはシリア情勢もさることながら、北朝鮮の動向に注目したいと思う。
トランプと対談を終えた習近平が何か北朝鮮に向けて働きかけをするのか。
あるいはまさかとは思うが北朝鮮に対するアメリカの軍事行動がありうるのか、非常に心配なのである。
posted by ヤス at 16:50| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月08日

アメリカのシリア政府軍への攻撃

昨日の昼に入ってきたニュースで、シリアの空軍基地をアメリカが攻撃したというのがあって驚いた。
民間人70人以上が犠牲になったシリア政府軍の化学兵器攻撃があって、その拠点施設を中心に米駆逐艦から発射したトマホーク59発を打ち込んだらしい。
位置関係から地中海に展開する艦艇から発射したようだ。

トランプ大統領はアメリカファーストで孤立主義の大統領だと思っていた。
今回の攻撃は「人道上の理由」によるものらしい。
それにしても攻撃に当たっての法的根拠はかなり曖昧である。

一連の手続きを考えるとアメリカに対する脅威を排除する個別的自衛権の発動、ということになるのだろう。
しかしトランプは毒ガス兵器をシリアの民間人に使用したので攻撃したと言っている。
なおかつ今回の毒ガス攻撃はアメリカ本国の脅威とはあまり関係ない。
人道上の理由であれば、本来は国連の手続きを経る必要があると思うがそれもない。

しかもトランプは、これまでは親ロシアの態度を示していた。
それが文字通り一晩で思想転向して反ロシアに舵を切った。
唐突の一語に尽きる感じである。


今回の攻撃は色々な解釈が可能な気がする。

少し話が飛ぶが一つは対北朝鮮の牽制である。
トランプ政権は、法的根拠が多少曖昧でも、やるときは躊躇なく実力行使ができるんだぞ。
今回の攻撃を通じて、そういうメッセージを北朝鮮に向けて暗に発したのではないかという気がしてならない。

もう一つはアメリカ国内の話だ。
今政権内では熾烈な主導権争いが繰り広げられていて、先に親ロシアのフリンが外されて、今月5日にはバノンがNSCから外された。
その前にトランプの娘婿(つまりイヴァンカの旦那)でユダヤ系のクシュナーが大統領上級顧問に就任していて、トランプ政権としてはイスラエル寄りに寄っていく力学が働いているようにも見える。
その結果としての反シリア・反アサドであり、その余波としての反ロシアということか。

その辺は専門家の分析を見てみたい。

しかし今回の攻撃でプーチンは激しく怒っている。
少なくともそのようにニュースでは報道されている。

ここにきての米露対立は今後どんな展開を見せるのか。
今、シリアではロシアもIS掃討のための絨毯爆撃を行っているがアメリカもピンポイント爆撃で軍用機を飛ばしている。
今回ロシアはシリア上空における米露の衝突防止措置を停止すると宣言したようだが、これは場合によってはロシア軍がシリア上空を飛行する米軍機に「誤って」対空ミサイルを発射することがありうる、と恫喝しているようにも読める。

しかしこの場面での直接衝突というのは、米露共にほとんど意味がないように思う。
何より肝心のイスラム国掃討作戦がかなり後退することは確実である。

あるいはトランプとプーチンは「水面下」で実は話がついていて、トランプもプーチンも対外的な新しい脅威を作ることで国内政治対策をしたいのではないか、ゲスの勘ぐりではあるが、そういう気がしなくもない。
トランプは発足後もずっと支持率がパッとせず、プーチンは近く大統領選挙を控えている。

色々分からないことだらけであるが、個人的にはアメリカの北朝鮮への対応に注目したい。
場合によっては日本にとっても遠い中東での出来事では済まなくなるのではないか、そういう感じがするのである。
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2017年04月07日

最近の政治について

さて、個人的に最近はニュースをあまり見ていなくて、森友問題とかどうなるのかよく分からなくなっている。
しかも朝鮮半島情勢は緊迫しているし、シリアではロシア軍やシリア政府軍による民間人虐殺、化学兵器の使用などの深刻な問題が発生している。

世の中的には本来、森友問題どころの騒ぎではない状況ではあると思うのだが、しかし森友問題は日本が最近抱えていた「病巣」がやっと表に出てきたという意味で、ここで放置して良い問題であるとも思えない。

だが、だからと言って今の調子で野党が国会で追及していても、現政権の支持率は高止まりのままで、7月の東京都議選が始まる頃には森友問題はすっかり過去の話になっているような、そんな悪い予感がしてならない。


振り返ると「現在の政治の問題」が最初に噴出したのは、2014年の安保法制審議の頃であったのではないかと思う。

2012年の12月の総選挙で民主党から自民党へと政権交代があって、第二次安倍政権が誕生したわけだが、その頃の安倍さんは以下のように言っていた。
自民党は議席はたくさん取ったが決して得票数が議席数に見合うほど多くはない。
その点を謙虚に受け止める、みたいなことを。

そして就任直後の2013年はアベノミクスの金融緩和を前面に押し出し、日経平均株価は2012年の年末終値が2013年末には5割以上上がった。

2014年の安保法制審議は、そのような経済好調の勢いをテコにして行われた。

現在の自民党政権は、日本会議との関係や度々垣間見えるカビ臭い復古調の全体主義思想から、イデオロギー的な色が濃いように感じる人も多いのだと思う。
しかしわたしは、現自民党政権はあくまでも「利益配分」がその本質であるというふうに見える。

復古調イデオロギーはいわば身内と部外者を見分けるためのリトマス試験紙の役割を果たすだけのものであるように思う。
だからそこには思想的な深みはなく、教科書検定におけるパン屋と和菓子屋の話が出てきたり、森友学園のような「なんちゃって愛国主義」が出現することになる。

野党の攻め所としては、政治思想的な部分、教育勅語がいいとか悪いとかいう部分はどうせケムに巻かれて終わるのが目に見えているのでほどほどにして、現政権の利益配分における歪みにもっと切り込むべきだと思う。
今の日本では配分原資となる経済的利益が先細りになっており、そのぶん政治的な利益誘導の力は利益を受ける側にとって威力を増している。

そして同時におそらくこの部分が今の自民党の最大のアキレス腱である。
そういうことを森友問題は教えてくれたのだと思う。
posted by ヤス at 10:36| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月06日

北のミサイル発射

北朝鮮で昨日、「スカッドミサイル」とみられる弾道ミサイルが発射された。
スカッドはソ連時代に開発されたかなり古いタイプのミサイルであるらしい。
ロケット燃料は液体式のため発射準備に1時間くらいかかるのが難であるが、移動式の発射台に乗せる方式のために相応の隠密性も持つという代物である。
各種のタイプがあるが、最新型の最大射程は700km程度で1t弱の弾頭を投射することができるようだ。

当初、北朝鮮が発射したミサイルはKN-15、通称「北極星2号」と呼ばれる中距離ミサイルであるとアメリカは分析していたようだ。
KN-15は射程2000kmの固体燃料ロケットを使用する中距離弾道ミサイルで、従来の液体燃料式ミサイルより脅威度が高い。

今回は訂正が入ってスカッドだった、しかも打ち上げはどうやら失敗だったらしいということで、果たしてこの発射実験がどの程度の脅威と評価されるのか、やれやれ良かったとなるのか、いや予断を許さないとなるのかはなんだかよくわからないところである。


日本の国会が森友学園問題で紛糾している一方で、朝鮮半島情勢はかなり緊迫度を増している。
北朝鮮としては、なんとか米国本土に届くミサイルを開発したいらしい。
少し前までは、北朝鮮のミサイル開発は荒唐無稽な独裁者のホラ話のように思っていたが、この数年で彼の国のミサイル技術は目に見えて上達しているようである。

彼の国のミサイル技術は、9000kmの彼方にある米国本土まではまだ到達できていないようである。
しかし射程1000km程度の中距離弾道弾技術に関しては、ほぼほぼ実用化の域に達している。
かねてより北朝鮮は日本国内各地にある在日米軍基地を攻撃目標とすることを喧伝しているが、少なくとも日本全土については、北のミサイルは射程距離の範囲に収め終えたということらしい。

国内の某右派系メディアによると、米国情報筋では今後4年以内に北朝鮮はアメリカ本土を射程に収める核ミサイルを開発可能と分析しているらしい。
その米国本土に届く核ミサイルを交渉材料にして、北朝鮮はアメリカとの交渉、キム王朝の存続を賭けた交渉を行う腹づもりであるらしい。

で、アメリカとしては自国に核ミサイルを突きつけられる事態は何としても避けたいと考えているだろう。

色々想像するのであるが、アメリカとして最も効果的で、効率的で、現実的な対策は、王朝の御本尊を「中立化」すること、王朝三代目を消してしまう以外にないようである。

ただし中立化のミッションは、一つ手順が狂うと在日米軍基地にめがけて何発ものミサイルが飛んでくるということになりかねず、恐ろしく困難を極めることになりそうだ。

問題は、この半島情勢の一大事に当たって、韓国では大統領が失職し、日本では国内問題で政権のガバナンスが揺らいでおり、アメリカの大統領は手腕が未知数なあの人物であるとか、色々とあいにくの条件が重なっていることである。

そういうあいにくの条件も北の計算のうちに入っているのかもしれず、背後には中国も動いているのかもしれないが。

半島情勢を巡る不安な情報が、国内右派メディアの煽りであってくれれば良いのだが、今回はどうもそういうことだけではないように思う。

本当に、朝鮮戦争は未だ終戦していないのだと思うのである。
posted by ヤス at 14:11| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月05日

東芝について

森友学園の問題で他のいろんなニュースが霞んでしまっているようであるが、原発関連の巨額損失の東芝がさらに大変になっている。

当初見込まれていた損失がさらに膨らんで、1兆円を超える特別損失が出るらしい。
東芝は、どうやらこの損失額がなかなか確定しなくて、2016年度の第3四半期決算を2度延期しているが、どうやらこのまま行くと再々再延期が不可避である。
たぶん上場廃止も現実味を帯びてきたのではないか。

まあ上場廃止になったからといって何がどうなるということもないだろう。
株式市場経由の資金調達が出来なくなるとか色々あるみたいだが、粉飾決算と今回の巨額損失によって現時点で実質的な上場メリットはほとんどなくなっていると思う。
だからもうとっとと上場廃止になって、もう少し落ち着いて半導体事業の売却なりに取り組んだ方が得策だと思うのだがどうなのだろう。

というか、いっそのこともうこのまま倒産してなくなった方が日本経済のためにはいいような気がする。

東芝の事業には、半導体をはじめとして事業としては存続可能なものもいくつもあるようだ。
だから18万人いるという従業員も、全員は無理でもそれなりに雇用は継続可能だと思われる。

これまでの一連の問題で、東芝は現場の事業というよりは経営部門のガバナンスが相当に劣化していることが明白になったのであり、そうであれば継続可能な事業をよそに移して「東芝という経営組織」を消滅するのが最も手間がなくていい。

しかし問題は、「東芝という経営組織」の本人たちは、どちらかというと事業部門はどうでもよくて、かつて土光敏夫も社長を務めた栄光の「東芝という経営組織」だけは無くしたくないと思っているだろうことである。

なんというのか、いつのまにか目的と手段が入れ替わっている。
会社というのは事業を行うことが主な目的であって、経営組織は事業を効率的に円滑に行うための手段だろう。
東芝のような上場企業のばあい、経営者というのは事業運営のために雇われたサラリーマンであり、経営組織が限りなく小さい会社というのはあり得ても、事業部門が限りなく小さい会社というのはあり得ない。

東芝の場合、当事者本人たちが自ら自決の道を選ぶということは無理そうなので、誰か周辺にいる金融機関なりが引導を渡した方がいいような気がするのだがどうなのだろうか。
posted by ヤス at 11:12| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月04日

てるみくらぶ

旅行会社の株式会社てるみくらぶが先月の3月27日に倒産したのは大きなニュースになった。
負債総額は151億円、うち旅行申込者の分が99億円だという。

わたしは旅行代理店の業界事情に疎いのでよく知らないのだが、てるみくらぶは1998年に母体となる旅行会社、アイ・トランスポート株式会社から分社したものらしい。
1998年といえばインターネットの黎明期、世界的にも航空チケットの予約を携帯電話から気軽にやる、という時代ではない。

アップルの初代iPhoneが発売されたのが2007年だった。
おそらく世の中的に旅行の段取りをネットで行うというのは、会社組織の場合はPC経由でやることもあったろうが、個人レベルでネット化が進んだのはiPhoneの爆発的普及以降ではないかと推測する。
iPhoneの販売台数が、2011年頃に累積で1億台を突破する感じであって、2012年に単年で1億台突破、2015年に単年2億台を突破している。
時を同じくしてサムスン他のライバル勢も大挙してスマートホンを販売しており、2010年前後にスマホが普及期を迎え、買い物や旅行予約などにも活用されるようになったのではなかったか。

てるみくらぶは、多分この世の中のスマホ普及の流れに乗って業容を拡大したのだろう。
しかしスマホの普及はてるみくらぶ的にはもろ刃の剣の側面があって、てるみくらぶの仕入れ元であるホテルや旅行会社も、閑散期の空室・空席のディスカウントセールをネット経由で直接できるようになって来た。
多分1990年代後半から2000年代の前半頃までは、ホテルや航空会社は直販の手段を持っていなかったので、空室・空席は旅行代理店に卸売処分するのが最も合理的だったのだろう。

そうやって考えてみると、ホテルや航空会社からのディスカウント仕入れによる格安旅行代理店のビジネスモデルは、早晩崩壊することは目に見えていたとも思われる。
まあ分かっていてもなかなか方針転換ができないのが事業経営の難しいところなのかもしれない。

今後はブロックチェーン技術の進展や人工知能の進化・普及によって、あるいは旅行代理店業界が、業界丸ごと消滅するのではないかという予感さえする。
そう考えると、てるみくらぶは、なまじ頑張って売上を拡大しながらの自転車操業を後1〜2年でも続けていれば今回よりさらに被害が拡大していたことは確実で、会社というのは倒産しないようにギリギリまで頑張ることも大切であるが、見切りの際の諦めの良さというのもまた重要であると思う。

新規に登場したビジネスモデルというのは、確実に儲かる期間は実に短く、多分今の時代ではせいぜい5年も持てばいい方じゃあないだろうか。

だから新規で立ち上げた商売は、3年とか5年ごとにガラッとモデルチェンジをする前提で組み立てる必要がある。
特に格安旅行代理業のような、時代のうねりの中から出てきたものは特にそうだろう。

まあ、会社というのは適当に倒産して次の新しいのが出てくるのが正しい資本主義経済のあり方であって、どこかの大企業のように公的支援を得てゾンビ化するよりは健全なことであるなあ、と思った。
posted by ヤス at 10:08| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月03日

幸福度調査

世の中には幸福度調査というのが各種ある。
例えば「全47都道府県幸福度ランキング2016年版」が東洋経済新報社より刊行されていて、それによると1位の県は福井県である。
そして2位が東京都。

単純に都会は便利とか田舎の方がのんびりしていい、というものでもないらしい。

この種の幸福度調査は国際的なものもあるが、おそらく調査方式には客観方式と主観方式がある。
一人当たり所得や社会インフラの整備、就業環境の評価などを外部からの目線で点数をつけるのが客観評価。
それに対し、「あなたは幸せですか?」と直接その住民に聞いて回るのが主観評価。
多分その2種類の方式に分かれる。

冒頭に書いた都道府県幸福度ランキングは客観評価であろう。
客観方式のランキングでは、国際的なものとしては国連の「世界幸福度報告」がある。
一方でちょっと前のハフポストに紹介記事が出ていたけれど、アメリカの世論調査会社ギャラップ・インターナショナルが行なっている「世界幸福度調査」は主観評価のようである。

客観評価である国連の報告では、2016年版の1位はデンマーク、2位スイス、3位アイスランドと続く。
ちなみに日本は調査対象国157カ国中の53位だ。
そして主観評価のギャラップ社の報告では、1位がフィジー、2位がフィリピン、3位が中国。
日本は調査対象国66カ国中の25位らしい。

幸福度調査の中身については、いろいろな分析記事が出ている。
主観評価では、経済成長の続いている発展途上国が上位に来やすいとか、主観評価では社会インフラが整備されていて高福祉、かつ高所得の北欧諸国が軒並み上位に来るとかある。
ここではそういう調査内容の分析には立ち入らない。
それをするには時間がかかるし、そのエネルギーを投入するほどランキング結果に興味が湧かないからである。

それよりもなぜ幸福度調査なるものがこの世に存在するのか、その理由を知りたいと思う。

まず調査方式における客観評価と主観評価では、個人的には主観評価こそが正しい幸福度調査のやり方だと思う。
世の中には、年収300万円でも幸せな人もいれば1億円稼いで不幸せでイライラしている人もいるだろう。
確かに住居や食事や余暇時間などの生活環境は人生にとって重要な要素であるが幸福を決めるのはそういう物理的状況だけではない。

また昨日幸せでも今日は不幸になるかもしれず、「幸福」というのはあらゆる意味で相対的であやふやで、物理条件よりは心の持ちように左右されるものだろう。

だから所得的にも住環境的にも豊かな先進国の住民が、しかし社会的に孤立して不幸のどん底を味わっているような状況をあぶり出すには、幸福度調査は主観評価で調査対象に直接ヒアリングするのが正しいように思われる。
まあ、ただその結果出てくるのは、聞かれた本人にとっても甚だ謎な「幸福」についてのなんとなくの答えであるが、それが統計的なひとまとまりの量になればそれなりに意味はあるのではないか。

ただこのように幸福度を調査するという姿勢自体が、戦乱や圧政でそれどころではない状況では絶対に生まれてこないと考えられ、こういう調査を熱心にやる人たちこそ、そこそこ気持ちの余裕があってそこそこ幸せな人たちのような気がした、というと、やや身もふたもないのだけれど。
posted by ヤス at 11:14| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月02日

共感は危険か

昨日は4月1日で、エイプリルフールの日であった。
インターネット以降、毎年この日は世界的にさまざまな「嘘ニュース」が流されるのを目にするようになった。
しかし気のせいであろうか、昨日のエイプリルフールは例年に比べて嘘ニュースの勢いが弱かった気がする。
これはどうもこの一年ほどの間に、たとえエイプリルフールでない日であろうと、たくさんのフェイクニュースが流れるようになったせいじゃないか、と無理やり想像する。

しかし考えてみると、インターネット化に伴うフェイクニュースの増大というのは、ある意味必然だったような気もするのである。


戦国時代の梟雄、毛利元就は、安芸の国のほんの一部を領有する弱小領主であったが、数々の謀略を巡らして大内氏や尼子氏など周辺の有力大名を滅亡に追いやって中国地方を統一した。
謀略の多くは、敵方の内部に「嘘の噂話」を流して敵将と有力家臣の信頼関係を寸断するものだった。

もし毛利元就の時代にインターネットがあったら、元就はネットを最大限活用し、いろんなフェイク情報を流して宿敵を撹乱したであろう。


選挙制度を土台にした民主主義政治の権力闘争では、情報戦の勝利こそがその本質だと考えられる。
その昔は、ラジオやテレビなどの放送媒体、新聞や雑誌などの紙媒体を押さえることが最重要課題であった。
そこに1990年代にインターネットが出てきて様子がかなり変わった。

ラジオ・テレビにしろ新聞・雑誌にしろ、これらは放送会社や新聞・出版社というそれなりの大組織が編集制作して世間に向かって流す。
そのようなメディア組織はほとんどすべて営利企業であり、経営トップを頂点にそれなりの組織的まとまりを持っている。

だから政治が情報をコントロールするためには、極論すればメディア会社のトップを手懐けることが出来ればそれでよく、あるいは人的な関係に依らなくても資本関係や商取引の流れに介入することでも良い。

それがインターネットが出てきて、メディア会社からマスの大衆に情報を流す、という「安定した情報の一方通行状態」がかなり様変わりした。
個人単位で、ある時は自らブログを書いたりあるいはネットで見つけた情報を「リツイート」するようになった。
それなりに知名度のある個人の場合、その影響範囲は大メディアと互角であったり、個人的信奉に支えられている分、かえって影響力が大きかったりもするだろう。

このような時代の「情報操作」は、メディア会社に対する直接的介入ではなく、個人や組織を問わずさまざまな情報発信者がひしめく「情報市場」に対する操作でないといけない。
それはせっせと「草の根的フィエク情報」をネット社会の底辺から流し込む方法であったり、あるいはその草の根フェイクに整合する振る舞いを、それがたとえ客観的事実とはっきり違っていたとしても、自信満々に情報操作者が徹底することだったりする。

ポイントは、大衆個々の思想に響くような情報を流して共感を呼ぶことだ。

人間の持つ「共感」機能は、本来社会を平和に維持し楽しく気持ちよく生活するために重要だと思う。
しかしフェイクニュースが飛び交う現代社会では、人々は不用意に共感すると思想的に「操作」される恐れがある。
メディアやネットで何かの情報を見たら、あるいは友人や会社の同僚との会話でも、まずその情報がフェイクではないかと疑ってかかるべきである。

だから現代人の思考の基本は、「共感」は危険で「疑心暗鬼」こそが正しい態度である。

そういうことで現代人は毛利元就や斎藤道三、または宇喜多直家の「毒饅頭戦法」などの手法を勉強し、努めて実践するべきなんじゃないか。
なんかいつの間にか大変な時代になったような気がするのである。
posted by ヤス at 08:58| Comment(0) | 徒然なるままに

2017年04月01日

銃剣道

わたしはミリタリーオタクを自認している。
中でも専門分野は第二次大戦中の軍用機だ。
旧帝国海軍の零式艦上戦闘機やライバルのF6Fヘルキャットなどについてはそれなりに造詣が深い。
(自分で言うのもなんだが)

あとは陸上兵器の花形である戦車についてもそれなりに興味はある。
第二次大戦においては、やはりドイツ軍とソ連軍の戦車はそれ以外の国のものに比べて戦闘力が頭一つ二つ抜けている。
量的にも質的にも絶対的な工業力を誇ったアメリカ軍でさえ、凡庸な性能のM4シャーマンを投入するのがやっとであった。
そこへ行くと我が旧帝国陸軍の戦車の戦闘力はさらに貧弱だったことは否めない。
大戦中の帝国陸軍の主力戦車は有名な97式中戦車だ。

1938年正式採用のこの主力戦車は、登場時は国際的な水準でそれなりの性能であったと思われる。
しかし、ドイツやソ連が熾烈な地上戦を行ううちに次々に新型戦車を繰り出し、米英もドイツ戦車に対抗すべく新型車を開発したのに対し、帝国陸軍の主力戦車は結局最後まで97式だった。
と言うのも帝国陸軍の大戦中の全戦車の生産数は4千5百両ほど。
対してソ連とアメリカは両国とも8万両近く生産した。

当時の日本は、工業力から見ればほとんどつま先立ちでギリギリ無理をして戦っていたわけで、製造のために大量の鋼材を使用し、また戦場での運用にも莫大な補給が必要な戦車の使用はかなりしんどかったものと想像する。


さて、ミリオタの世界には銃火器マニアというのもいる。
銃火器マニアはカタカナに直すとガンマニアともいう。
これは軍用機や戦車とはやや趣の異なるジャンルのような感じがする。
わたしの高校時代の友人にも、かなり重度のガンマニアがいた。
彼は高3の時、ただただ銃をぶっ放したいという理由で自衛隊を目指した。
その後の彼の消息を知らないが。

しかし銃というのは、戦闘機や戦車と違って「身体の一部感」とでもいうような特殊な感情を沸き起こらせる何かがあるのかもしれない。
銃以前には刀がそうであったように。

そういう銃の持つ「身体の一部感」は、いろんな戦争映画でも時々描かれているように思う。
アメリカの銃規制が困難なのは、市民が武装して国家権力に対する対抗手段を持つべきだという「個人の武装権」によるものだが、もう一つは銃保持者の銃に対する「偏愛」性向のようなものがあるような気がする。

さて、この度の「新学習指導要領」で中学校の保健体育で教える武道の一つに「銃剣道」が加わったらしい。
銃剣道は1980年以来国体競技でも実施されており、学校で教える武道としてもふさわしいという判断のようである。
銃剣道で使われる「木銃」は全長166cmで、大戦中の旧軍主力小銃の「38式歩兵銃」に「30年式銃剣」を装着した長さを模しているとのこと。

旧軍における銃剣術の印象は、貧弱な補給能力、戦場における乏しい弾薬をカバーするための、「弾は無くてもまだ戦える」ことを無理やり信じ込むための方便、というのが個人的なイメージだ。

今回銃剣術が学校武道に登場したのは、一つには先に述べた銃に対する「偏愛」を持つ人々の意向が強く働いた、そしてもう一つには「弾は無くてもまだ戦える」貧乏くさい敢闘精神を教えたい一派がいるような気がしてならない。

だからいっそのこと、銃剣道などという何の役にも立たない戦闘技術を教えるのではなく、銃本来の「射撃術」や、あるいは機関銃やロケットランチャーなどの歩兵用重火器の訓練を中学校では教えた方が日本の防衛力の強化にも実際的に寄与して良い。

なんなら戦車戦術の授業や砲兵の弾道計算などの授業も検討すべきだろう。
そういう方が現在の豊かな日本では、銃剣道を教えるよりもずっとふさわしいと思う。
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