2017年03月27日

道徳の教科化と生産性低下

少し話題に乗るタイミングが遅れたが、道徳の教科書検定が話題になっているらしい。
なんでも今まで正規の教科外の授業であった「道徳」が、小学校では2018年から晴れて「教科化」されるのだという。
で、その小学校道徳の教科書の検定がこの間終わり、その検定内容の不可解さがかなり興味深い。

道徳の教科化は、その理由のひとつがいじめ問題にあるらしい。
また道徳の教科化は小学校に続いて中学でも順次開始されるという。
はたして道徳の授業を教科外から教科に格上げすることによって、いじめ問題は改善されるのだろうか。

ところで教科外を教科に格上げするというのはどういうことか。
文部省のサイトで資料をちら見すると書いてあった。


“「教科」とは、教科書を使用し、教科ごとの免許があり、数値による評価を行うものを言いますが、道徳については、数値による評価を行わず、担任が担当することから、特に「特別の教科」という新たな位置づけが設けられました。”


それで「特別の教科」というのが出てきたのか、と納得がいった。
それと文科省の資料には、数値による評価はしないが「評価はする」、と書いてある。
さらに「入試には使いません」とわざわざに強調している。

道徳の授業を「教科化」するというのは、ちゃんと通信簿に評価しますよという意味なのであろうが、さてその評価方法はどうするのだろう。
いっそ数値評価の方が現場の先生には無理がなくていいんじゃないか、非数値評価で先生は対応出来るのか、心配になる。

資料には、「「国や郷土を愛する態度」などの個別の内容項目の評価はしない」、だから「「愛国心」を評価することなどあり得ません」とも書いてある。

その割に、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ」云々の理由でパン屋を和菓子に変えるそのメンタリティーがかなり不可解である。
これは教科書の記述に国や郷土への親しみが足らない部分を発見するメンタリティーが不可解というのがひとつ、親しみの不足を補うためにはパン屋より和菓子屋が適切と思うその想像力への不可解がもうひとつ。
かなり何重にもわたって不可解である。



“道徳科の評価は、道徳科の授業で自分のこととして考えている、他人の考えなどをしっかり受け止めているといった成長の様子を丁寧に見て行う、記述による「励まし、伸ばす」積極的評価を行います。”

というのが道徳の評価の方針であるらしい。
もしわたしが小学生でこの授業を受けたとして、道徳の教科書に書いてある和菓子屋のくだりを自分のこととして考えることが出来たかどうか、他人の考えを受け止め得たかどうか、甚だ自信がない。
まあわたしはわりかしソトヅラの良い子供だったので、適当に迎合してうまくやり過ごしたかもしれないが。

しかしこのようなアンチクリエイティブな議論を見るにつけ、日本におけるホワイトカラーの生産性が低いという問題の原因がなんとなく分かるような気がするのは、気のせいだろうか、と思った。
posted by ヤス at 13:24| Comment(0) | 徒然なるままに