2017年03月06日

ブロックチェーンかぶれ

このところブロックチェーン関連の本をいくつか読んでいて、頭の中身がそっちの方向に少しかぶれたかもしれない。
そういう強いバイアスがかかった状態を前提で言うならば、ブロックチェーンはインターネット以上に世界を変えうる技術のように思われる。

ボストンコンサルティングの調査によると、2016年の日本の「インターネット経済」の規模は約42兆円でGDPの5.6%だという。
しかしインターネットの活用によって、あらゆる産業の生産性向上が生じており、その意味で上記の数字の何倍も実体経済に影響を与えているように思う。

中でも金融産業はインターネットの恩恵を最も享受している。
金融産業のネット化は、国境を越えるような遠隔地との金融取引で威力を発揮し、コンピューターの高性能化による高速取引などともあいまって、金融空間の規模をネット化以前より何倍にも膨張させた。

しかし一方でインターネットというのは、18世紀以降に生じた工業化社会の流れを引き継いで、生産量の拡大とか生産速度の向上をより一層促進するもの、として存在していたようにも見える。

もともと工業化社会では、自動車とか住宅とかの「物体」を製造することが経済活動の主体であり、金融や情報産業は「物体」を製造する産業を補佐するものだった。
それがネット化によって、情報・通信の業界が「手段としてのコミュニケーション」ではない、「コミュニケーションそのもの」を経済価値化して成長した。
そして金融の世界では、投資や投機の新しい手法が恐ろしく発達して、その経済規模は「物体」を製造するものづくり産業をはるかに超える規模に膨張している。

ただそうは言っても、インターネットがもたらしたのは量の拡大であり情報や金融産業の存在は「物体」産業の余禄であったものが少し大きくなっただけ、という風に見えなくもない。


しかしブロックチェーンがもたらすのは、既存の会社組織や取引方法を根底からひっくり返すものである、少なくとも既存の経済思想を破壊する要素を含んでいるように思われる。
しかもそれは仮想通貨を手始めにこの1〜2年の間に急速に進展し、多分またあと5年もすれば想像もしないレベルにまで進化を遂げているのは間違いない。

そうなったら今話題になっている、金融政策が効いているといないとか、安全保障がどうした、政治手続きの問題がどうしたとか、そういう社会的な問題・課題の議論の前提が全然変わってくるのではないか。

ブルース・リーの映画を観た後、心の中で「アチョー」と叫んでしまうように、そんなことを思う今日この頃である。
posted by ヤス at 10:39| Comment(0) | 徒然なるままに