2017年02月17日

リーンなライフスタイル

ちょっと大阪の心斎橋の商店街を通ることがあったのだが、平日の夕方だというのにものすごい人数でごった返していて、商店街のアーケードに立ち並ぶお店も心なしか景気良さげに見えた。
ただ行き交う人々というのがもうほとんど日本語を喋っていない人、おそらく中国の方や韓国の方や東南アジアの方々であったようで、今更であるが少し驚いた。

一つの仮想実験として、行き交う人々のうちそういう外国から来た方々を一瞬透明にして視界から消したことを想像した場合、多分通りの賑わいはかなり閑散としたものになると思われる。
目分量ではあるが、人通りの7割以上が外国人であったような気がする。

まあ白い猫でも黒い猫でもネズミを捕る猫が良い猫ということで、外国の方々が買い物してお金を落としてくれれば大阪の商売人としてはまず御の字であろう。
実際倉敷の美観地区あたりでも外国人観光客の増加でお店の売上が対前年で2割増とか3割増とか、かなり上がっているところもあるそうで、日本経済にとって干天の慈雨と言える。

ただ外国人客の動向は、円相場によってかなり影響されるだろう。
わたし個人の考えとしては円高で実質賃金が上昇することが日本経済にとって真に望ましいと考えている。
相場としては対ドルで90円を切るくらいでないといけない。
ただし円高傾向になれば当然アジアからの観光客流入も減る。

外国人客減少による売上減少分を日本人の実質賃金上昇による分がカバーできれば問題はないが、そう上手くいくようにも思われない。
一つの希望的観測としては、アジア諸国はそれでも今後しばらくは経済成長を継続し購買力も年々上昇することが予想されるので、その購買力上昇分だけ円相場が並走して高くなるような状況が実現すれば良いのかもしれない。

まあそういう状況は、まずありえないと思うけれど。

しかしこれからの日本は、一体どういう方向に向いていけばいいのだろう。
総理大臣でも日銀総裁でもないわたしが考えたところで何の意味もないわけだが、しかし誰かが考えないといけない課題ではある。

日本に生きる一般庶民は、実質所得が目減りして国として窮乏化していく状況を横目で見ながら、その状況にうまく適応し個人として何とか生き延びることを考えるしかないのだろうか。

一つ思うのは、今までの経済思想の延長線上に日本の未来はないということだ。
現代社会の本質的傾向は、グローバル化による賃金水準平準化、つまり日本においては賃金水準の低下、そして情報技術革命による経済活動の「中間コストの消滅」だと思う。
したがって20世紀的な発想では経済の縮小状況、いわゆるデフレからの脱却はできない。
個人としての一つの生き残り方法は、例えば月15万円くらいの生活費でそこそこ豊かに平穏に暮らすライフスタイルを確立することだろう。

そのためにはもちろん自動車も持たず、洋服や持ち物も最小限にして食事も基本自炊。
みんながそうなるともちろん製品メーカーや洋服屋や飲食店は商売あがったりになる。
でも世界的な歴史の潮流を考えると、日本のような国はそういう「リーン」なライフスタイルに行き着くしかないのかもしれないと思う。

まああまり寂しいことばかり考えてもしょうがない。
明日はもうちょっと楽しいことを考えることにする。
posted by ヤス at 10:48| Comment(0) | 徒然なるままに