2017年02月05日

お城ブーム

この1〜2年くらい「城めぐり」に少し凝っている。
お城には天守閣というのがたいてい建っているけれど、現存12天守と言って、オリジナルの天守が残っているお城が日本国内には12箇所ある。
西日本には比較的多く残っていて、関ヶ原より西側には滋賀の彦根城、兵庫の姫路城など8つある。
特に四国には4つ残っていて「領国」の規模に比べてたくさんある印象である。

これはたぶん、第二次大戦で米軍の爆撃被害が比較的少なかったから生じたことだろう。
ちなみに、戦争前まで残っていて、戦争被害で焼けた城というのが8つあるそうで、名古屋城、岡山城、大垣城、和歌山城、仙台城、広島城、福山城、そして沖縄の首里城である。

戦災前に8つも残っていたと思うのか、8つしか残っていなかったと思うのか微妙な感じだ。
まあそもそも、江戸期以前の実用物であったお城は、明治期に入って「家主」の大名が身分を解かれたので大方世話する人がいなくなって荒廃し、廃屋同然になったり取り壊されたりしたようで、広大な敷地を占有していた各地のお城も明治新政府に接収されて城域内に県庁や学校がどんどん建てられて昔の面影を失って行ったようである。

確かに、そういうことの説明書きが姫路城や備中松山城なんかにも展示してあったように記憶している。

今日本で一般的にいうところの「お城」というのは、戦国時代初期の1500年代中盤から大坂の陣を経て徳川幕藩体制が完成する1600年代後半くらいまでの、150年余りの期間に集中的に建造されたものを指していると思われる。
それより古い時代のものは土塁に空堀を連ねた陣地に木組みの櫓を建てた「砦」であり、さらに古くは総社市の鬼ノ城のような「古代山城」なんかもあるけれど、石垣に天守閣と瓦葺の屋根を用いた近世城郭というのは、日本史上のごく短期間に続々と建てられたものであろう。

特に、近世城郭の土塀や櫓、天守などの建物の壁面に無数に開けられた丸や三角の穴、「狭間(サマ)」は、片膝をついて鉄砲を撃つ時にちょうど良い高さになっていて、近世城郭が鉄砲の普及と時を同じくして発達したものであることが生々しく感じられる。

そういう具合で、明治期に入った時、各地に残っていたお城というのは言わば革命以前の政治の象徴であり、下手をすると一般庶民の反革命感情の拠り所となる危険もあったような気がする。

そういうお城が今静かなブームを迎えているようで、姫路城も彦根城も、休みの日なんかは観光客でごった返して、木造の天守閣がパンクして倒れるんじゃないかと心配になるくらいだ。

このように人々がお城に関心を向けているのは、今が時代の節目であることを人々が無自覚に意識しているからかもしれない、などと思ったりするのだがどうであろうか。
posted by ヤス at 15:15| Comment(0) | 徒然なるままに