2017年01月08日

働くことについて

最近、人工知能に仕事を奪われるとか、近い将来消えて無くなる仕事はこれだ、とかいう話が流れているのをよく目にする。
現代社会では、人間はなんらかの職業に就くことが必要である。
しかし素朴な疑問として、ほんとうに人間はどうしても働かないといけないものなのかと時々思ったりする。

人間が働かないといけない理由のひとつとして、人間が社会的動物である、ということがあるのかもしれない。
人間は、たぶん太古の昔から社会を作って生きてきた。
その社会は、最初は猿の群れに毛が生えた程度のものだったかもしれないが、やがてだんだん複雑・高度に発達してきて、さまざまな知識を創造し蓄積し、科学技術の発達を促して他の生き物には出来ないことを実現してきた。

そういう知識や技術の中には、より機能的な社会組織のあり方のような内容もあって、民主主義とか国民国家とか資本主義経済とかのシステムも生み出されて来た。
で、そういうシステムの中に貨幣経済の仕組みもあって、貨幣を仲介にした経済がなにかと効率的で便利だという話になったのだろう。

だから現代社会に参画するためには、人々はある程度の貨幣を持っていないといけない。
国家を維持するために国民には納税の義務があり、税金は年貢米でなく貨幣で収める。
少なくとも税金を収めるために貨幣を稼がなければならず、そのためには仕事をして貨幣による所得を得る必要がある。

国家は、外部からの侵入者を防ぐことや国内の治安維持、困っている国民を助けたりすることや教育サービスを広く施すことなどで、高度で快適な現代社会を保つために必要とされている。
もしここで、国民の大半が貨幣経済に飽いて自給自足の生活を始めたりすると、たぶん今の日本という社会システムはガラガラと崩壊する。

だから人々がそれぞれ職業に就いて貨幣を稼いでいるのは、直接的には稼いだ貨幣でいろんな商品やサービスを購入し、自分自身がより良い生活をするのが目的だが、間接的には貨幣経済の社会を維持することで現代の社会システムを支えている、ということが言えると思う。
でもみんな、普段は社会システムを支えるために貨幣を稼いでいるという意識はあまりないのではないかとも思う。

貨幣の本質というのはたぶん「信用」だと思うが、ということは、現代の社会がなんとかカタチを保っているのは、人々が貨幣を仲介にして信用を上手くやりとりしているからなのだろう。
そうやって考えていると、やっぱり人間は働けるうちはがんばって働かないといけないのかなあ、思ったりした。
posted by ヤス at 11:29| Comment(0) | 徒然なるままに