2017年01月04日

補助装置としての意識

少し前から「意識」と「無意識」について時々考えている。
最近の結論としては、「意識」は「無意識」の補助装置であり、「無意識」が元々の主体で人類進化の過程で「意識」なるものがだんだん出来上がってきたのだろうと勝手に思っている。

しかし「意識」というのは、その萌芽のようなものは犬とか猫とかの高等哺乳類にももちろんあるに違いない。
さらにチンパンジーなどの霊長類においては、かなり人間的な意識に近い思考を行っているんじゃなかろうか、などと推測する。

わたしの勝手な理解によると、「意識」というのは大脳新皮質、人間の脳みその大部分を占める進化的には新しく出来た部分が担当している。
「無意識」の方は、しばしば爬虫類脳などと言われたりする脳幹や哺乳類脳の大脳辺縁系などが担当しているのではないか。
その辺は専門の書籍に当たって調べた方がいいのかもしれないが、とりあえず先に進む。

脳みそというのは、例えてみればタマネギのような層構造になっていて、進化的に古くからある部位の上に、だんだん新しい部位が積み重なって出来上がっている。
「意識」という補助装置も、いつの頃からか「無意識」の上に形成されて来てだんだん発達してきたものだろう。

昆虫なんかの動きを見ていると、その行動パターンがあらかじめプログラミングされたものに基づく反射によって決定されているように見える。
それが、生物がいろいろ進化して鳥類やさらに哺乳類になると、恐怖や愛着などの感情が芽生えてきて、単純な反射的行動を補足するようになったのだと思う。

シマウマがライオンにお尻をかじられて、すんでのところで脱出したとしたら、そのエピソードを恐怖の感情とともに記憶して、次回からはライオン的なものに対する警戒を強めて生存確率を高める。
そういう進化的なメカニズムがあったに違いない。

その延長線上に、「意識」というものを位置づけることが出来ると思う。
「意識」というのは、生きているうちの体験をいろんな感情とともに記憶する「情動」の機能を一歩進めて、言語的な抽象思考、論理思考を行うところに大きな特徴がある、ということにしておく。


人間の場合、明日の朝までにやらないといけない仕事があって、そのためには徹夜しないといけない場合、中にはサボる奴もいるだろうが、いくらかの人々は真面目にやる。
しかし哺乳類的には、眠たければ眠り、腹が減れば食うのが正解だ。
その方が疲労せず、生存確率が高まる。

仕事で徹夜するような生真面目な行動パターンは人間ならではで、ある意味「意識」というもののなせる技だと思う。

その辺りのことをぼんやり考えていたのだが、やや字数が過ぎたのでひとまず今日はおしまい。
posted by ヤス at 10:46| Comment(0) | 徒然なるままに