2017年01月03日

現代の自我がぶつかり合いについて

少し前のニュースで、大リーグの恒例行事の新人に対する「仮装儀式」を規制するというのが流れていた。
なんでも大リーグ機構が選手会と合意した新労使協定で「選手へのいじめ」を禁止する条項が含まれているとのこと。
恒例の仮装儀式で女性蔑視や国籍差別などを連想させるものは禁止になるらしい。

今までもこの仮装儀式はメディアにたびたび流れていて、松井やマエケンとかの画像も何度か見たがそれなりに喜んでやっていたようである。
しかし、中にはあまり嬉しくない新人選手もいたのかもしれない。
ちょっと調べたらイチロー選手は新人時代にフーターズの格好をさせられたらしい。
しかしその画像が出回らないように対策をしたそうで、そのせいなのか単にやや昔だからなのか、イチローの仮装画像は見つからなかった。

ひょっとしたら、イチローは仮装がよほど嫌だったのかもしれない。

まあ世の中的には、こんな面白い行事を規制するのは残念ということになると思うが、嫌だと思う選手が一人でもいるとしたら、現在の「人権感覚」からして規制は仕方ないのかもしれない。

また、女装が女性蔑視になる可能性の問題であるが、これはいかついメジャーリーガーが女装をするのが面白いのであって、女性をバカにしていないことは明白であろう。
ただ、それを見てバカにされたと感じる女性も一定数いるのだろう。
現代においては、そういう層への配慮もやはり避けては通れないようである。

また女装以外に、国籍や人種差別につながりかねない仮装というのもあり得るわけで、ただの脳天気なジョークとして行われていたと思われるイベントも、メディアに乗って大量に流布される以上ある程度の配慮は不可欠な世の中なのである。


現代人というものの特徴のひとつとして、自我の芽生えというのがある。
千年も二千年も昔の時代には、明確な自我意識というのはごく一部の支配者階級・読書階級などにしか無かったと想像する。
だからそこには自我のぶつかり合い、というのも少なかったと思う。
それが現代は昔より生きることに余裕があって、そのため多くの人々の中に自我意識が強く存在するようになった。
それは昔のように一握りの人々の自我の価値観に染められた世界とは違う、個々人の多様な価値観の溢れる社会を実現させた。
それは非常に良いことだと思うが、同時におびただしい数の自我のぶつかり合い、自己主張のせめぎ合いの時代になったということでもあると思う。

結論から言うと、世の中の何億・何十億もの自我を同時にすべて満足させるのはたぶん無理だ。
だから人権意識的な配慮はするけれど、でも新しい問題について相変わらずいろんなクレームが絶え間なく湧き出てくる、そういう状況はしばらく変わらない。

結局どんなにきつく規制してもすべての問題を無くすことは出来ないだろう。
これからの世の中は自我と自我のぶつかり合いが適度にある世界、上手な自我のぶつかり合い方を模索する世界を目指すようになるのではないかと思う。

だから大リーグの新人仮装行事でも、あとお笑いの世界なんかでもそうだけれど、適度に世の中に配慮しつつ新しい毒の吐き方を見つける方向でがんばって欲しい。
世の中にはそういう毒がある程度ないとつまらないし、いつでもいろんなところから適度にクレームが出ているくらいが健全な世の中、ということなのではないか、と思うのである。
posted by ヤス at 08:10| Comment(0) | 徒然なるままに