2017年01月02日

夢破れたその後について

人生を制御するのはなかなか難しい。
そして、時々となりの芝生は青く見える。

上記のふたつを合体させると、「自分の人生」だけが上手くいっていない、そういう疎外感的な感情に繋がるのかもしれない。
しかしそれなりに長く生きているとだんだん分かって来るものである。
身の回りでこの人は上手くやっているな、という人でも、実は恐ろしく苦労して、七転八倒して今の時点にたどり着いていたりする。

昨年はアメリカで大統領選挙があった。
大方の予想を裏切って、ヒラリー・クリントンは選挙に破れた。
ヒラリーがどういう人物であるのか、世間で報道されているようなこと以上の情報をわたしは持たない。
しかし、世界中の政治家の中でおそらく最も高いところにあると思われる目標としてのアメリカ大統領を目指し、選挙直前には当選確実と言われもうほとんど手が掛かったかと思ったところでの大逆転、その精神的ダメージは凡人の想像の域を超えている。

しかし選挙後のヒラリーのスピーチを伝え聞くに、その淡々とした敗戦の弁、あるいは自分に変わる誰かが「ガラスの天井」を破ることへの期待など、非常に立派だと思った。
まあ多分に政治家的演出も入っているとは思われるが、しかし莫大な選挙資金を投入し、何千万という支持者の期待を背負っていたことを想像すると、敗戦直後に大衆の面前に正気で表れて気丈な演説を予定通りこなせる精神力は、やはり大したものだと思わざるを得ない。

ヒラリー・クリントンの例はやや極端に過ぎたかもしれないが、やはり勝負は下駄を履くまでわからないと思う。
少なくともわたしの中ではヒラリーの好感度はかなり上がった。
彼女は既にまあまあの高齢だけれど、今回世間的な好感度を上げたことは、今後また新しい展開をする上で非常に有利に働くだろう。

チャレンジの大きさは人によってかなり違うだろうが、しかしチャレンジが必ずしも上手くいくものでないことは世界人類でみな共通であると思う。
たぶんチャレンジは往々にして上手く行かないことが多い。
上手く行き難いからこそのチャレンジでもある。

大事なのは、どちらかと言えば多く訪れる上手く行かない時、その後の処し方なのであろう。
それは平時には簡単に思えるが、その渦中ではきっと難しいだろう。
と、なんとなくそんなことを思った。
posted by ヤス at 09:30| Comment(0) | 徒然なるままに