2016年12月24日

人生をドライブするプレッシャーについて

さて、ストレスについてである。
ストレスについて書くのは、必ずしも現在のわたしがストレスで悩んでいる、ということではない。
むしろその逆である。
自分の人生には、少しストレスが足りないのではないか。
そういう思いすら無くはない。

人生において何か難しい事をやり遂げるには、ある程度のプレッシャーが必要なものである。
一般的には、家族を養う覚悟であったり、社内の出世競争であったり、いろいろあるだろう。
そういう世の中で仕事をしている人々が普通に感じているプレッシャーが、自分には少し足りないのではないか。
そういう疑念が、そんなに大きな悩みというわけでもないのだが、時々ふと脳裏をよぎることがある。

たまに組織人として働く知人の話を聞いたりする。
会社組織の中で仕事をするのは、なかなかに大変そうである。
まあわたしも、人並みに組織人の経験をしたことがあるので、その大変さの一端は理解できる。
上司からの理不尽な命令、思い通りにパフォーマンスを発揮しない部下。
しかも会社というのは、常に一定以上の利益を確保していないといけない仕組みになっている。
したがって、上司が理不尽でも部下が出来が悪くても、会社の中の誰かがそれなり以上の結果を出してせっせと穴埋めしないとやっていけない。

その穴埋めすべき「誰か」が自分なのではないか、というふうに責任を持ち始めると、なるほどこれはかなりのストレスになるに違いない。

これが一人しかいない「組織」の場合、親切な他の誰かが責任を一身に負ってくれるという特典もない代わりに、出来の悪い人の分の責任まで余計に負う苦労もない。

そうやって考えていくと、組織の中のストレスというのは、周辺の人の分まで余計に責任を負って、勝手に苦労の分量を増やしているだけじゃん、と思ったりしたら怒られるだろうか。


さて、冒頭でプレッシャーが必要だと述べた。
ここでいう必要なプレッシャーとは、言うまでもなく人の責任を親切に背負ってあげるという種類のものではない。
スティーブ・ジョブズやイーロン・マスクや孫正義など、名だたる起業家が自らに課したであろう、そういうなにやら壮大なプレッシャーって、いったいどういうことなのか。
徒手空拳から巨大なビジネスを作り上げるための原動力がどういうところから湧き上がって来たのか。
そのあたりが、いくつか伝記や自叙伝を読んだりして、その時はなんとなく分かったような気になるのだが、最終的には理解不能の重大事項として残り続けている。

結局今に至るまで、数々の偉人たちの人生を強力にドライブして来た「プレッシャー」の正体が何なのかまったく分からないわけであるが、まあ普通に生きる小市民は、あまり壮大なことを考えずに目の前のお勤めをコツコツとこなしなさいよと、偉人の原動力が理解できないのはそういう御天道様のお導き、そういうことなのかもしれない。

ひとまずは、そのように理解してこの場を収めることにする。
posted by ヤス at 15:32| Comment(0) | 徒然なるままに