2016年12月17日

自然な振る舞いについて

いろんな人間の振る舞いを見ていると、時々不自然でぎこちなくて気になることがある。
そしておそらく、自分自身も不自然でぎこちないことがたびたびあるのだろうと思うと、ちょっとあせる。

しかしなぜ人間の振る舞いは不自然になるのか、というのを考えてみた。
以前「受動意識仮説」について何度か書いた。
人間が行動する時はもっぱら無意識が行動を司っている。
そして0.3秒後に意識がそれを追認する、という説であった。

例えばのどが渇いて水を飲もうと台所に向かって一歩踏み出す時、無意識が勝手に脚を動かし、コップを取り、続いて蛇口をひねる。
意識は脚が動き出した0.3秒後に「よし脚を動かそう」と思い、コップを取ろう、蛇口をひねろう、というのもそれぞれの行動の0.3秒後に「意識」する。
そういうことだった。

ただし、意識と無意識の間にはおそらく絶え間ないフィードバックのやり取りが行われている。
水を飲みに行く場合であれば、蛇口から水が出る知識やその場所の認識を意識が持っていて、その知識を利用して無意識は身体をドライブしている。
このような意識と無意識の関係は、「自我意識」が特に発達した人類に特有の行動パターンなのだろうと思う。

そして、日常的な慣れた動作の場合は意識の介入がどんどん減ってくる。
あまり何も考えずに、つまり無意識が起こす行動を意識の方があまり「意識」しないというのは、人類以外の野生動物の行動パターンに近い。

それはある意味、「自然な動き」と呼ぶべきものだろう。
逆に言うと、あまり行動に際して意識が介入しすぎると動きがぎこちなくなる。


ネットニュースに、関西出身の某有名女優さんが、いつもは標準語でしゃべっているのにある時関西弁を使っていて、それがなんかぎこちなかった、というのがあった。
この女優さんはもうずっと標準語を使っているので、関西弁を話す時ある程度意識を強く介在させないと上手くしゃべれなくなってしまったのだろう、そういう気がする。

方言に限らず、人前で話をする時なんかでも、あまり頭のなかで難しいことを考えず、口先の動くに任せるみたいな方が、滑らかに話ができて聞いている方も聞きやすいような気がする。

タレントさんやお笑い芸人とかでも時々「天然」の人がいるけれど、天然の人というのはその言動に自我意識がほとんど介入しておらず、その分自然な感じがして見ている人にとって心地良い、そういうことがあるのかなあ、などと思った。
posted by ヤス at 16:47| Comment(0) | 徒然なるままに