2016年12月11日

遠江の海岸線

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今、ちょっと静岡の掛川に辺りにいるのだが、この辺りは昔で言うところの遠江の国になるのだろう。(遠江と書いて「とおとうみ」と読むらしい)

街から少し南に下ると、ぱっと眼前にでっかい太平洋が広がって、景色が非常に良い。
ずっと海の向こうを見通しても、水平線が見えるばかり。
砂浜も広く、その海岸線が東西に何キロも続いていて、瀬戸内海付近で育った人間としてはなんだか日本にいる感じがしない。

また、この辺りの土地は、日本アルプスからの続きの傾斜が海へと接続する、その「きわ」にあたる。
内陸側から海に向け地面が全体に傾斜していて、まったいらな平野部というのが案外少ない。
そのゆるく傾斜した丘陵地形の一面にお茶畑が広がっている。
それがまたなかなか壮観だと感じる。

わたしとしては、この辺は琵琶湖周辺と並んで好きな土地である。
琵琶湖は、沿岸部に安土城跡や彦根城などの戦国期の城跡がたくさんある。
かつて織田信長が京都を抑えるのにあたって、琵琶湖沿岸部を制圧してその水運を活用したというけれど、そういう歴史の物語が、琵琶湖のほとりを車で走っているとなんとなく脳裡に浮かぶような感じがあって、非常に良いと思う。

さて、遠江の国。
ここは戦国期で言うと、元は今川領ということになる。
遠江は、今川義元が桶狭間で信長に討たれたあとも息子の氏真がしばらく治めていたが、後に徳川家康が東から侵入して占領し、西側からは武田信玄に攻められて領土を切り取られる。


で、さらにしばらくして、信玄の上洛軍2万人余がこの辺りの徳川軍を蹴散らし、席巻することになる。
信玄と家康が戦った三方ヶ原は、調べて見ると今の浜松市の北部、浜名湖に近いところであるようだ。

信玄は上洛戦を戦いながら、左側に広がる太平洋と一面の砂浜を眺めたこともあっただろうか。
そのように想像すると、少し興奮する。

まあこれは、狭い瀬戸内海を見て育った人間による特殊な感想かもしれないが、このようにだだっ広い風景を眺めていたら、気分が壮大になって天下取りの野心が自然と芽生えて来るのではないか、という気がしなくもない。
しかし元々ここを本拠にしていた今川は早々と攻め滅ぼされ、甲州の谷間から出てきた信玄と三河の山奥の家康に取って代わられる。
あるいはそういう狭隘な風景を見て育った方が、ハングリーになって天下取りには有利なのかもしれない、などとも思う。

遠州の広い砂浜を眺めていると、とりとめもない想像が自然に湧いて来る。
そのような、今日この頃なのであった。
posted by ヤス at 07:19| Comment(0) | 徒然なるままに