2016年12月06日

ゲタを履くまで分からない

最近、あるところでわたしは偉そげに言ったものである。
「勝負はゲタを履くまで分からないからね、諦めないことだよね」

つい数日前に、何度目か忘れたが司馬遼太郎の「項羽と劉邦」を読み終わっており、冒頭の発言には、その読後感が強く影響していたことは間違いない。

本当に、人生というのは最後までどうなるかは分からないものだと思う。

今商売が上手く行っていて、売上も順調に拡大していたとしても、ある日突然環境が変わって経営が傾くことだってある。
そうなるとかえって事業規模が大きい方が受ける損害も自然と大きくなる。


紀元前221年に、分裂状態だった中国を秦
王政が統一して初めて「皇帝」を名乗って始皇帝になる。
「項羽と劉邦」はその辺から物語が始まるのだが、始皇帝は即位後10年ほどで死んでしまい、中国大陸は再び混乱状態に陥って、有名な陳勝呉広の乱とかが起こる。
その騒乱の中で台頭して来た一方の雄が項羽であり、もう一方が劉邦であった。

司馬遼太郎の「項羽と劉邦」は、項羽が死ぬところで物語が終わる。
項羽は最後、あと一歩まで劉邦を追い詰めながらも、軍糧不足のために撤退せざるを得なくなり、劉邦と休戦協定を結んで撤退に移るわけだが、そこで劉邦が協定を破って追撃を仕掛けることで攻守が逆転し、一転窮地に陥るわけだ。

その攻守逆転の直前まで、項羽軍の包囲に絶対絶命の状況にあった劉邦は、休戦協定とその破棄を契機に一発大逆転する、全3巻の小説の3巻目のかなり最後の方にこの物語のクライマックスはやって来る。

休戦破棄を契機に、北方戦線で逼塞していた「股くぐりの韓信」軍30万も援軍に駆けつける。
かねてからの飢餓状態でモチベーションが下がっていた項羽軍は、戦闘再開を機に逃亡兵が相次ぎ、急速に自壊を始める。


小説「項羽と劉邦」の醍醐味は、終盤のこの鮮やかな大逆転劇にあるのは間違いない。

それまで重要な戦闘でも負けてばかりの劉邦が、最後の一戦で渾身の逆転を決める。
そして劉邦の参謀達が占領地で善政を敷き世論を味方に付け、また兵を飢えさせることなく、したがって負けても負けても兵員補充に事欠かない。

そうやってじわじわと下地を作って、その上での最後の逆転劇。

項羽のような直線的速戦主義は、分かりやすい。
結論が推測し易い。
しかし、速戦主義だけを重ねていっても、いつかどこかで破綻するものなのかもしれない。

じわじわと周辺環境を固めて、世論を味方に付け各地に協力者を作っておくと、いつか劉邦のように最後の勝ちを収めることが出来るかもしれない。
などと思った。
posted by ヤス at 09:58| Comment(0) | 徒然なるままに