2016年12月01日

匂いの記憶

今から24年前の1992年にバックパックを担いで中国を40日間旅行した話については、ここでも何度か書いた。
40日で総予算20万円ほどの旅であり、往復は神戸発着のフェリー「燕京号」を利用した。
燕京号は確か、神戸から50時間ほどかけて天津の港に到着する。
20年以上昔の天津は、おそらく現在とはかなり違っているだろう。
しかし当時から既に、高いビルや大きな道路が目立つ大都市だった。

フェリーは大揺れに揺れながら東シナ海をかすめ、続いて黄海に入る。
甲板から眺める海は、大陸に近づくにつれて深い青緑色からだんだん茶色、黄色と色が変わって来る。
いよいよ天津港に近づいて、港に林立する倉庫の群れや赤茶けたでっかいクレーンが見えてきて、いよいよ中国大陸に着いたかと非常に興奮したのを思い出す。

で、赤茶けた港の風景とともに強烈な第一印象として残っているのが、「匂い」であった。
なんと表現するのが適切であるのか、唐辛子ベースに工場や自動車の排気が混じったような独特の匂いが、船上にいてプーンと鼻に入って来た。

結局その匂いは地域ごとにいくらかバリエーションを変えながら、旅行中ずっと付いて回り慣れることがなかった。
中国旅行の記憶をたまに思い返すことがあると、まずあの唐辛子ベースの匂いが脳内でBGM的に蘇って来る。


ところで、たまに人の家に訪問して中に入れてもらうと、だいたいその家庭独特の匂いというのがある。
わたしがたぶん幼稚園くらいの頃、当時は四角いウサギ小屋をいくつも並べて積み上げたような新興の団地群が各地に出来ていて、わたしも某所に建設された小屋の群れのひとつに住んでいた。
で、隣の方とかや少し離れた棟の家々に幼稚園の同級生が住んでいて、暇に飽かせてはそれらの友人宅に順繰りに遊びに行っていたものである。
その時にどんな風に遊んでいたかは、既に記憶がかなり揮発していてもちろん憶えていない。
ただ、友達の家に上がった時に感じた、人の家の匂い、というのがなぜか記憶に残っている。
それは匂いそのものの記憶というよりは、その匂いを感じることで「人の家に遊びに来たな」というある種の越境感覚というのか、空間認識の体験に類する記憶である気がする。

あの「人の家の匂い」の原因は、個人的な想像としてはその家庭の食生活をベースに、タバコや洗剤や化粧品や加齢臭など、その家のライフスタイルをぎゅっと凝縮したものであろう。
だからちゃんと家ごとに違う匂いがするものである。

中国に上陸した時に感じた匂いは、言ってみれば「人の家の匂い」を街ごとまとめたその巨大バージョンだったような気がする。

匂いというのは五感の中でももっとも生物学的歴史の古い感覚なので、顕在意識にのぼらないけれどけっこう強烈なシグナルとして作用すると思われる。

だからわたしのようなおじさんも、時々自分の匂いをクンクンして、臭くないように気を付けないといけないよな、と思った。
posted by ヤス at 16:26| Comment(0) | 徒然なるままに