2016年11月25日

知の機能不全

どうもこのところ頭のめぐりが悪い。
いろいろと「考え事」をしてそれぞれ結論を出さないといけないのだが、なんだかあまり進まない。

これも老化のせいだろうか。
あるいは栄養バランスの悪い食事習慣のせいか、それとも睡眠時間が足りていないのだろうか。
などと少し心配してみるのだが、しかし考えてみると自分の脳ミソのレベルは、昔からこのくらいでずっと変わっていない気もする。

世の中には、触れば切れるほど鋭い頭脳の主もたくさんいるのだろう。
ああゆう鋭い脳ミソを一度でいいからこの頭上に戴いてみたいと思う。

しかし無い物ねだりをしてもしょうがなく、当面は有り物で間に合わせる他はない。
現代の世の中には、いわゆる頭脳労働というとやや格好良過ぎるが、「考え事をする仕事」に類する仕事がいくつかある。
人類というのは、その大きな脳ミソを活用していろいろと考えをめぐらせるところに、他の動物には無い特徴があるという。

だが前から思うのだが、人の頭の良さには、何か不完全な、間抜けな部分が多いのではないかという気がする。

まず、なまじ言葉を解し、人間同士複雑なやり取りをするためだろう。
そこにはしょっちゅう誤解が生じる。
おおむねコミュニケーションが成立したとして、言葉が人から人へ伝わる間に、伝言ゲーム的な微妙なズレがあることは免れない。
あるいは人の記憶はだいだいあいまいで、記憶間違いで結果としてウソを伝えることも頻繁にある。
だいたい何かを記憶する時には、主観によるバイアスで事実とは確実に違うカタチで情報が記憶細胞に格納されるのであって、そういう点でも人間の知能はあまり当てにならない。

がしかし、にも関わらず人類は複雑高度な現代社会を構築してこれを維持し、ロケットに乗って月にも行くことが出来る。
また、最近人工知能が囲碁の世界でも人間より強くなったというニュースがあったが、言い換えると最近まで囲碁界では人間の方がコンピューターより実力があったということにあらためて驚く。
やっぱり人間は、かなり頭がいいのか。

人間は、一個人ずつではいい加減であったり間抜けであったりするわけだが、にも関わらず人類がここまで破綻せずに進歩してこれたのは、たぶん、多くの人の「頭の良い部分」ばかりを集めて「集合知」に出来たから、ということなのだろう。

ところでこの10年か20年の間の時代は、ネット社会化などのコミュニケーション革命の時代であったと言うことが出来ると思う。
コミュニケーションのあり方がそれまでとは大きく変化した結果、集合知の集め方が、今までのノウハウでは少し上手くいかない部分が出て来たようにも思われる。

トランプ現象とか、世界各国で見られる保守化・右傾化の動きとかに、わたしはやや批判的、ということにしてあるのだが、そういう世界各地の危うい感じの原因は、ひとつには集合知の集め方のノウハウが少し追い付いていないからだろうか。

わたし個人の脳ミソにも問題があるが、人類全体の知恵のあり方も問題ありのようである。
ということで自分の脳ミソが機能不全であることは、ある面、人類に共通の普遍的問題だということにしようかと思う。
そういう良いアイデアが浮かんで来るくらいなので、自分の脳ミソもまだ捨てたものではない、と思った。
posted by ヤス at 16:30| Comment(0) | 徒然なるままに