2016年11月24日

人はいつから定職に就くようになったか

最近しばらく、なかなか面白い本に出会わない。
仕方がないので昔読んで面白かった本を再び読むことにした。

とりあえず司馬遼太郎が良いだろう。
中でも「項羽と劉邦」が本の長さ的にも良かろうと思う。
しかし「項羽と劉邦」は紙の文庫本しか持っていない。
紙の本では何かと不便なのでKindleで買い直す、そういう次第になった。

それで今、「項羽と劉邦」の冒頭で始皇帝が死に、陳勝と呉広が乱を起こして項羽がおじさんの項梁と地方長官を殺して最初の拠点を得て、しかし劉邦は相変わらず田舎の小さな町でブラブラと遊び歩いているところである。
劉邦は、この頃(始皇帝が死んだ頃)ただの風来坊から公営宿舎の管理人という下っ端役人の地位を得ている。

項羽と劉邦の時代は、今から1800年くらい昔である。
若き日の劉邦は、この時代にあって定職に就かずフラフラと遊びまわり、たまによその町に出かけて窃盗稼ぎをしていくらかの現金収入を得ていたらしい。
逆に、考えてみるとこの時代すでに人々はみな定職に就き、フラフラ遊びまわるだけの劉邦をバカにしていたというのは、なんというか、不思議な感じがする。

人間というのは、放っておくとついつい定職に就いてしまうサガを持っているのだろうか。
という疑問がふつふつと湧き上がる。

人間はいったいいつの頃から定職に就くようになったのだろうか。
おそらく、それは貨幣経済の発達・普及と並行して進んだのだろう。
物々交換よりは貨幣を仲介した取引は便利である。
貨幣経済の便利さを享受するには貨幣を稼がないといけない。
だから働いて稼ぐ。

そういうことがいつの時代からか始まって、項羽と劉邦の時代には定着していたものと思われる。
少なくとも司馬遼太郎の本にはそう描写されている。


しかしまた改めて考えてみると、働くということはそんなに必要不可欠なことなのかな、という疑問も無くはない。
もともと我々は、かつては日がなのんびり暮らしていた猿の仲間であった。
腹が減ったらエサを探しに出かけ、眠くなったら昼寝をする、そういうライフスタイルがそもそものデフォルトであったはずだ。

それがいつからこんなに勤勉に働くようになったのだろう。

さらに言えば、ただガムシャラに働くだけでも不思議であるのに、働き方の手元が狂って会社が赤字になって倒産したり、働き過ぎが度を超して過労状態になって、それで命を落とす人が定期的に発生している。

わたしの希望的観測では、テクノロジーの進化によって今後人類はほとんど働かなくても大丈夫になるのではないか、そういう気がしている。

まあそうなると、命がけの勤勉さで漢王朝をつくりあげた劉邦のようなサクセスストーリーも生まれにくくなるのかもしれない。
そこら辺は悩ましいところである。
posted by ヤス at 10:54| Comment(0) | 徒然なるままに