2016年11月15日

三十六計逃げるに如かず

世に「三十六計逃げるにしかず」という。
三十六計とは中国の兵法書「兵法三十六計」のことだと思われる。
この「兵法三十六計」は長い中国の戦乱の歴史を踏まえて、日本で言うところの江戸時代初期の頃に彼の地でまとめられたものであるらしい。

中国の兵法書で有名なのは「孫子」であったり「呉子」「六韜」などがあるが、「兵法三十六計」はそれらの由緒正しい兵法書からはかなりレベルが落ちるそうだ。

編者も不明で文章もあまり上手くなく、想像するに田舎の寺子屋教師が子供の勉強用に作ったのではないか、という感じがしなくもない。
あくまでも想像だが。
三十六計というのも戦術のカテゴリーを6つに分けて、それぞれを6段階にして述べたところから来たらしい。
三十六はいわばゴロが良かった、ということなのだろう。

と思っていたら、冒頭の「三十六計逃げるにしかず」の出典は、中国の南北朝時代・5〜6世紀頃の故事で「三十六策走(にぐ)るがこれ上計なり」という歴史上のセリフが元だということが分かった。
「兵法三十六計」よりだいぶ昔だ。

一般に「三十六計逃げるにしかず」というと、手詰まりになって妙案がない時はいったん諦めて後日の挽回に期するのがよい方法だよ、のような意味にとらえられている。
しかし歴史上のセリフでは「三十六策走(にぐ)るがこれ上計なり」と言ったらしく、敵を追う一方の将軍が逃げる相手を馬鹿にして発したものだという。

ちなみにこの時の「三十六策」の内容については不明であるそうだ。
ひょっとしたら三十六は「たくさんの作戦」くらいの意味のただゴロの良い数字であったのかもしれず、後の「兵法三十六計」もそんなノリで「三十六」を採用したような気がしなくもない。

それはともかく、「三十六策走(にぐ)るがこれ上計なり」と馬鹿にされた方の檀道済(たんどうせい)という将軍は、とにかく逃げることが得意であったらしい。
とりあえず敵が優勢と見るや正面衝突を避け、さまざまに偽装を凝らして巧みに逃げたそうだ。


日本の歴史では、若き日の徳川家康が武田信玄の上洛作戦で、吸い寄せられるように主戦場の三方ヶ原におびき寄せられて撃破され、家康本人は恐怖で脱糞しながら逃げた逸話が有名だ。
その名将信玄の息子の武田勝頼も、後に長篠の戦いで信長の野戦陣地にむざむざ飛び込んで大敗を喫している。

そういう歴史上の戦いを見るに、勝ち目の無い時に上手に戦闘を回避することは、きわどく戦うより明らかに賢い。
しかも、寡兵で上手く勝つには恐ろしく高度なスキルを要するが、逃げるだけならとりあえず逃げ足を鍛えていれば凡人でも大丈夫そうだ。

ただし逃げてばかりだと馬鹿にされてメンツも失う。
上手く逃げ続けるにはある種の強いメンタルが必要かもしれない。
自分が凡人だと自覚するなら、とりあえず逃げ足だけ鍛えて死なないように気をつけるのが上策である。
ひょんなことで「三十六計逃げるにしかず」を調べていて、そんなことを思った。
posted by ヤス at 16:14| Comment(0) | 徒然なるままに