2016年11月07日

マラソンを完走出来る理由

来週はおかやまマラソンがある。
およそ13000人のランナーがゴールを目指して42km余の距離を走るらしい。
わたしは今回もおかやまマラソンには出ないが、しかし他の大会で時々42km余の距離を走る。

フルマラソンの距離を完走するのはなかなかしんどい。
日頃のトレーニングをもう少しがんばれいくらか楽になるのかもしれない。
しかし、トレーニングをがんばればがんばったで本番のペースがその分上がって、結局あんまり楽にはならないだろう。

では、と思って最初からそろりそろりと走ったところで、20kmを過ぎたあたりから妙に足が重くなる。
フルマラソンは当たり前だが歩くと走るよりかなり時間がかかる。
時間がかかればその分脚へのダメージが生じて、結果しんどい。

つまるところ、余力を残しながら適度なペースで走りきるのがいちばん楽であると思われるが、いまだそういう境地に達したことはない。

いずれにしても、練習不足の中42kmをしんどい思いをして走るという蛮行に、1万人以上の人々が興じるというのはかなりクレージーだと思う。
これがさらに東京や大阪では3万人以上集まってまだかなり余る人がいるというから驚きだ。

わたしの場合、一人の練習で42kmを走りきれるか、というとまったく無理だと思う。
並々ならぬ決意を胸に42km走に出たとしても、途中でだるくなってあっさり決意を放棄するに違いない。
(よく考えたら今までチャレンジしたことさえなかった)

しかし本番では曲がりなりにも最後まで走りきれる。
一人では無理でも本番では完走出来るその理由は、ひとつには沿道の応援の存在がある。
しかし街中のマラソンと違って、河川敷コースなど沿道の応援がまったくないマラソン大会というのもある。
これはこれでそれなりにがんばれる。
ひょっとしたらマラソンのがんばりに応援は関係ないのかもしれない。

まあ応援がいなくても周囲には同じゴールを目指すクレージーな人々がいる。
さらに大会参加費として5千円とか1万円とかのけっこうな費用を投じている。
だから走らざるを得ない、という面はある。

またたいていの大会ではランナーに無線タグを着けてタイムを計測し、ゴール直後にタイムを印字した完走証をくれる。
ご丁寧なところでは5km毎のラップが載っていたりもして、後半に向けてペースがガタ落ちしたのがよく分かる。
オフィシャルに残る計測記録にあまり無残なものを載せたくはない。
だから頑張らざるを得ない。

一人で42kmの距離を走る切るのは、走力のないわたしにはかなり面倒くさいことである。
しかしマラソン大会というシチュエーションさえ整えば、なんとか完走出来て、なんなら終わった後けっこう清々しい気分さえ味わうことが出来る。

人間は、条件さえ整えば不可能と思っていたことが可能になるのである。
これって何か他にも応用出来るのではないか、と思う。
しかしまあ、今のところ特に良いアイデアは浮かんでいない。
でもきっと何か良い応用があるような気がしてならない、そんな今日この頃である。
posted by ヤス at 10:46| Comment(0) | 徒然なるままに