2016年10月28日

Apple Pay

やっとApple Payが始まった。
遅ればせながらクレジットカードを登録してスタンバイしたのだが、まだ使ってはいない。
最近はマクドナルドもセブンイレブンも電子マネーに対応しており、数年前に比べても電子マネー対応の店が急速に増えているように感じる。

ところが手持ちのカードを2枚ほど登録したのだがいずれもQUICKPayのカードで、マクドもセブンもiDなのでどうも具合がよろしくない。
3枚目にやっとiD対応のカードが出て来た。

電子マネーに複数の種類があるのは良いとして、店によって対応状況に差があると店ごとにカードを選ぶ手間がかかるのでやや不便だ。(まだ使ってないけれど)
電子マネーごとに囲い込み戦略とかあるのかもしれない。
しかし使う方にとって不便なのは問題だ。
理想はiPhoneをかざした時に機械で自動的にQUICKpayとかiDを振り分けしてくれることだ。
せっかくの電子マネーが、支払いのたびに画面を触ってカードを選ぶのではあまりスマートではない。
(ひょっとしたら、もうそういうサービスはあるのだろうか。たぶん無いと思うが)

まあだんだんサービスがこなれて行って、黙っていてもそのうちそういう手間も不要になっているだろう。

しかし日本におけるスマホの最大派閥であるiPhoneが電子マネーに対応したことで、今後はお店の方の電子マネー対応が急速に進んでいくものと思われる。
スマホの中にカード情報も内臓出来ることにより、将来はスマホさえ持っていれば現金もカードも持ち歩かなくて済むようになるのだろう。
たぶんあのプラスチックカードもそのうち希望者にのみ発行、やがては全部電子化されるのではないだろうか。

カードの場合は原則的にあのカード番号さえあれば支払いが可能なのであって、そもそも物体としてのプラスチックカードは不要だったと言える。
だからカード情報のスマホへの一元化でカードが無くなるのは、本来の姿に落ち着くということではないか。

そういう意味では現金が電子マネー化するのも本来の姿に帰ることのような気がする。

昔歴史の授業かなんかで、最初の紙幣はモンゴル人の作った元王朝が最初だったと聞いた憶えがある。
確かマルコポーロがそれをヨーロッパに紹介したのではなかったっけ。
それはともかくも、現金というのは本来、一定の価値の財との交換を保証する「信用」がその実態である。
それは紙幣でもコインでも石貨でもビットコインでも、一定の希少性のあるモノまたは偽造の困難なモノであれば何でもよく、または暗号のような情報でもかまうまい。
インフレ時代のソ連邦では輸入タバコのマルボロが貨幣代わりに重宝されていたという。

現金が福沢諭吉の肖像画を刷ってある四角い紙から電子化されて、物体としての実態を失ったとしても「信用」を表す記号性は不変である。
というか現金は電子化されることによってその発明以来やっと本来のカタチを取り戻すと言えるのではないか。

だからたぶんもうあと10年くらいしたら、紙幣も硬貨もめったに見ない珍しい物になっているのではないか、と、そんな気がする。



posted by ヤス at 15:13| Comment(0) | 徒然なるままに