2016年10月08日

謝罪と反省

最近、「謝罪」のニュースが多いと感じる。
まあ考えてみると、以前から謝罪会見とかのニュースはあった。
かつて山一証券の最後の社長は、号泣しながら謝っていた。

しかし最近は、芸能人の不倫や薬物犯罪や、少し前にはステルスマーケティング疑惑とかで謝るパターンが多い気がする。
実際に統計を取ったわけではないのだが、やっぱりネット社会の影響で、謝罪のニュースは増えているのではないか。

企業や著名人の謝罪は、一般には記者会見、そうでない場合はファックスなどの文書で示される。
謝罪において重要なのは、本人の「反省」を示すことだと思われる。
思うに「反省」というのは、本来自分自身の中で完結すべき所作であろう。
自分の犯した失敗について振り返り、失敗の原因やプロセスをきちんと分析して同じ失敗を繰り返さないようにしよう、と決意すること。
あるいは上手く行ったことでも、もっと別の方法を取ればさらに成功出来たのではないかと考えることも反省のうちかもしれない。

何はともあれ反省というのは、自身で自発的に行い、わざわざ大勢にアナウンスする必要はないものであるはずだ。
しかし、であればこそ、謝罪の場面で反省の意を示すことに効果が生じるのだろう。

「私は誰に強いられるでもなく自発的に「反省」した結果、ほんとうに反省いたしました」

という内なる感情を謝罪の場で漏らすことにより、謝罪を受けた人々は、

「この謝罪している人はどうやら反省しているようなので同じ失敗をする可能性は低いだろうから許してやろう」

という段取りになる。

実際多くの場合、ほんとうに反省している感じが読み取れる謝罪では、許してやろうという空気が自ずと出来るものだ。
部下が上司に謝る場合でも、店員がお客に謝るときでも、ほんとうらしい反省の空気を伝えることは、謝罪成功のキーポイントだと考える。

しかし時々、というかかなり多くの場合において、形式的な反省を伝える謝罪のパターンが見受けられる。
この場合の「反省」は自発的に行われた本来の反省ではなく、謝罪のために別途用意された「反省のようなもの」に過ぎない。

最近多いと感じるのが、芸能人の謝罪の場合に、本人は謝罪の意思はないが所属事務所の意向やスポンサーへの配慮から誤っておかねばならない、だから「反省してます」といちおう言うけれど何を反省しているのか分からないパターン。

これは謝罪せねばならない芸能人がやや可哀想である。
しかし理不尽ではあるが社会の仕組上、大人として謝らないといけないことはある。

だがこの場合、いったん謝ったら以降そのことについての恨み節は言わないのが真の大人の態度というものだろう。

そう言う態度を貫けるかどうか、そして今までどうだったかについて、わたしも今から反省しようかな、と思ったりした。
posted by ヤス at 10:30| Comment(0) | 徒然なるままに