2016年10月03日

iPhone7がやっと来た

今日やっと、注文していたiPhone7が来た。
iPhone5Sから3年のブランクを超えて念願の機種変がかなった。

CPUもいっきに速くなり、カメラの性能もジャンプアップした。
巷では一部に拒絶反応のあったという、押したかどうかよくわからないホームボタンの感触も大丈夫そうだ。
寄る歳波で日ごとに眼のショボショボがひどくなる身にとって、やや大きめのディスプレイもありがたい。

しかし、全体として新しいiPhoneによる感動は薄い。
わたしにとって最初のiPhoneである3GSの衝撃や、画面が初めてRetinaディスプレイになった時の綺麗さとか、そういう分かり易い感動要素が無い。

旧機種からの分かり易い違いとしては、まあ触ってまだ1時間ほどだが、ホームボタンの感触とディスプレイが感圧型になったという「Multi-Touchディスプレイ」ぐらい。
細かい部分で後々、その高性能・高機能ぶりに驚くことがあるのかもしれないが、少なくとも普通のおじさんにとって、もはやiPhoneのモデルチェンジはそれほど大きなインパクトを感じるイベントではなくなっていると思った。

これはまあわたし個人の感想であるが、世の中の人はどう感じただろう。
一部のマニアにとっては細部の小さな進化もけっこう大きな驚き、ということがあるかもしれないが、技術知識が一般レベルの人々の度肝を抜くような進化は、今回あんまり無かったのではないか。
そういう意味ではiPhoneもずいぶん「普通の道具」になって世の中にすっかり馴染んだということなのだろう。

Appleとしては、進化のインパクトがだんだん薄れてきたiPhoneを今までのような調子で同じように売っていくのは相当厳しいだろうと思う。
実際最近は世界的にiPhoneの販売が鈍ってきている。
Appleが考えそうな今後の展開としては、Apple Payの機能を活かして簡単にピザが注文できてすぐ配達されるとか、新幹線や飛行機の予約が出来るとか、周辺システムを使った便利機能を付加していくことになるのだろう。

しかしそういうのはAndroidでも同じように出来そうな気がする。
Appleだけが出来る、世の中の商品サービスに対する予約・決済機能みたいなものは果たして出てくるのだろうか。



しかしiPhoneのモデルチェンジに限らず、人間歳を重ねると、だんだん新しい経験が減ってくるため、あるいは感受性が鈍ったことにより、新しくて素晴らしい体験をしても感動がやや薄い。
そう感じることが多くなった気がする。
人間生きている間は、大きいやつ・小さめのやつ取り混ぜながら時々適当に感動していないと人間らしさを保てない。

今思い出す最近の感動としては、少し前に食べたのだが、吉野家の「ねぎ塩豚丼」。
豚丼の上にネギが乗っていて、その上にオリーブオイルとレモン汁をかけて食べるのだが、そのレモンのさわやかな酸味とオリーブオイルの少し生臭い感じが絶妙でクセになる味だった。
たぶん夏季限定だったのだろう、最近は無くなっているようだ。

本当は、もっと高級な料理か、美術館の芸術作品などでオシャンティーな感動を味わってみたいのだが。


まあiPhoneもOSがバージョンアップして、まだまだ見つけていない隠れ機能があって、それを見つけた時に感動する、ということが今後あるかもしれない。
そういう瞬間があるのを少しだけ期待して、新型iPhoneをいじくっていこうと思った。
posted by ヤス at 15:52| Comment(0) | 徒然なるままに