2016年10月01日

あえて長谷川豊問題について考えてみる

フリーアナウンサーの長谷川豊氏のブログ炎上問題が先日来ニュースで流れている。
問題のブログアップが9月19日だったので、騒動としてはもうピークは過ぎたのかもしれない。
問題そのものについては非常に程度の低い内容だと思ったのだが、若干検証に値する論点もあるような気がしたのであらためて考えてみる。


問題の経緯を整理すると、長谷川氏が、

「自業自得の人工透析患者なんて、全員実費負担にさせよ!無理だと泣くならそのまま殺せ!今のシステムは日本を亡ぼすだけだ!」

というタイトルのブログをアップして、間もなく氏の目論見通り炎上が始まったらしい。
同ブログ記事を転載したニュースサイトBLOGOSでも記事削除の措置が取られ、記事掲載から4日後には全腎協が抗議文を公開、謝罪を要求するものの長谷川氏は謝罪については断固拒否するとした。

長谷川氏の記事の内容は、近年、保険医療費支出が膨張しており中でも透析治療が突出している。
そして約10人の医師に取材したところ「透析患者の大半」は暴飲暴食などの生活習慣による自業自得の人たちであり、そういう自業自得の患者に対して無制限に保険医療を適用していたらそのうち制度が破綻する、だから制度を解体しろ、という趣旨のものだ。

この記事の問題点と思われる部分は、「ではどうするのか」という具体的提案や、ざっくりとした代替案でも最後に出てくるのかと思っていたら、問題提起だけで終わっているところだろう。
記事の内容から推測すると長谷川氏は、現行の医療保険制度は「自己責任」を基本理念とするものに全面改正してゼロからやり直すべきだと考えているのだろう。


この炎上ニュースにいくらかの価値があるとすれば、それは「自己責任論」について検討するきっかけになりうる、という点かもしれないと思う。

つまるところ長谷川氏は「自己責任論者」なのだろう。

暴飲暴食で病気になって、それで勝手に死んでいく分には構わない。
しかし暴飲暴食で自業自得の末に透析患者になって年間500万円の医療費を持って行かれたら、きちんと正しく生活している俺たちが損をする。
そんなことは許されるべきでない。

という風に長谷川氏の思いを翻訳出来る。

わたしは、一般的な自己責任の考え方にはそれなりの合理性を認めるが、しかしあまりにも底の浅い自己責任論には疑問を抱かざるをえない。

適切な自己責任の考え方の基本は「自立」と「助け合い」だと思う。
社会を構成する個人は、それぞれ自立した人間、すなわち自分のことは自分で出来る人になるべきである。
しかし子供とか諸般の事情で自立出来ない人に対しては社会全体で助け合わないといけない。
それが自己責任社会の基本的なあり方だと思う。

さらに言うと、たぶん世の中の大人で100%完全に自立しているという人はいない。
仕事はバリバリ出来ても料理や洗濯は出来ないとか、その逆とか、その他にもさまざまな分野についてよくよく考えると、自立出来ていたり出来ていなかったりということがある。
だから社会を構成する人々はなんらか、お互い助け合わないといけない。

しかし長谷川氏的な思考パターンでは、自分がある分野で人の助けを必要としていることが見えていない、あるいは意図的に見ないようにして我田引水の理屈をコネている。
そうやって「自立している自分たち」の損害のことばかり気にしているように見える。




あと、長谷川氏の記事の中では全腎協の批判が、ブログのタイトルだけを読んでなされたもので、まず反論は自分の記事を全部読んでからやるべきだと書かれているが理屈が無茶苦茶だ。
全腎協の不快感はブログのタイトルに対して生じたものだから、全腎協はブログのタイトルに対して抗議するだけで十分足りる。
全文を読む必要性は無いのである。
それ以外にもネットとテレビでの人格は別とか、ネット上では死ねと言っても許されるとかいろいろ書いてある。
その辺の長谷川氏の論の立て方は理屈が破綻していてまったく論評に値しない。

しかしこのような自分勝手な論の立て方は、ネット空間では日常よく見られる。
やや望みは薄いかもしれないが、この問題を期にネット空間における諸問題に対する「議論の仕方の正常化」がテーマとして浮上すればよい、と切に願う。
posted by ヤス at 14:01| Comment(0) | 徒然なるままに