2016年09月25日

禅問答


ちょっと前に若い人の自殺が多いというニュースが流れていた。
中学生や高校生で自殺願望があったり、実際に実行に至る人がいるのは痛ましい限りである。

自殺問題は今までは、だいたい中高年の男性に多いという認識だったのだが、若い人と中高年ではその動機や原因はやはりかなり違うのだろうか。

そもそも、なぜ「生きていたくない」と思うのか。
禅問答のようでもあるが、これは「生きたい」という欲求と裏腹の思いであるような気がする。

多くの人間は、「殺すぞ」と脅されたら「殺されるのはいやだ」と思う、と思う。
わたしも個人的にはなるべくなら生きていたい。
しかしなぜ人は「生きたい」と思うのだろう。

人に限らず、ライオンに襲われたインパラなんかでも、首根っこに噛みつかれても必死で抵抗する。
水牛やシマウマでも抵抗するだろう。
そして運良くそのうちの何パーセントかは間一髪の危機を脱出するのだろう。

やっぱり抵抗はしてみるもんである。

こういうライオンに襲われる草食動物たちがはっきりと「死にたくない」と考えたかどうかは知らない。
でも彼らはおそらくいつでも、本能的に抵抗して「生」への執着を示す。
具体的にそう思ったかどうかはともかく、やっぱり死にたくないのであろう。

では動物たちはなぜ死にたくないのだろう。

これはよくよく考えるとちょっと不思議な気がする。
例えば成獣になって、子育ても終えてある程度生き物としての「義務」を終えたら、もういつ死んでも良さそうなもんである。
それでも彼らは、生きている限り死にたくない。

最近になって考え至った結論であるが、生き物が死にたくないその理由は、たぶん今生きているからではないかと思う。
生きている生き物は、基本的には死にたくないと思いながら生きている。

世の中の人々が、がんばって毎日生活し続けている原動力も、この世にたまたま生を受けたことが最大にして唯一の理由である。
たぶん。

生き物というのは、バクテリアやミジンコしか居なかった何億年も昔から、幾つもの生物種が絶滅し、ほんのわずかの種類だけ結果として生き残ってきた。
別に生き残りたいとか絶滅したいとかいう意思などなく、結果として生き残っている生き物が今生きている。

だから生きていることには、本質的には意味は無い。
意味が無いというよりは、壮大なニュートラルと言うべきかもしれない。

野生動物と違って日常「死」が遠い現代の人間社会では、生きている実感も感じにくいかもしれない。
若くて「死」が遠い中高生なら、生きている実感がますます感じにくいということがあるのだろうか。

まあ、何回か死にかけると、その時に生きていることの意味が理解出来るのかもしれない、などと思った。
posted by ヤス at 12:25| Comment(0) | 徒然なるままに