2016年09月22日

意識はご主人様ではない

以前「受動意識仮説」について書いた時、意識の正体について考えた。
多くの動物は基本、無意識的に、つまり何も考えずに行動する。
美味しそうな物が有ればとりあえずかぶりつく。
しかし時々、かぶりついたら毒があってお腹を壊したりする。
ある程度脳が発達した動物では、そういう失敗の状況を記憶して次に似た状況に出くわした時に思い出してお腹を壊さないように気をつける。

このように過去の失敗を記憶して将来のリスクに備えるフィードバックシステムとして「記憶力」が発達し、だんだん複雑な記憶が出来るようになって、これが人類における意識の「素」になった。
そういうことだった。

意識というのは「自我」といってもよいのだろう。
自分が自分であるという感覚、いろんな欲望や恐怖や快楽をはっきり自覚出来る主体が自我である。
最近は若い世代の自殺問題がニュースになっていたが、自我が無ければ自殺も無かっただろうにと思われる。
でも自我が芽生えたせいで我々はいろんなことに疑問を持つようになった。
数学なるものが考案されて人類は純粋論理の世界を知ることになり、科学技術も発達して地表を38万キロジャンプし月の地面を踏むことまで実現した。
すべては無意識行動がやらかした失敗行動を記憶しフィードバックする記憶の仕組みが素である。

そして今なお人類はまず無意識的に行動し、ゼロコンマ何秒か遅れてその行動を意識がトレースするという順番で動いているという。
我々は、自分の行動を意識によって完璧にコントロールしていると思い込んでいるが、本当は無意識による行動を意識は後からただなぞるだけである。

意識に出来ることは、この先右に曲がってしばらく歩くとセブンイレブンがあってかなり美味しい「ワッフルコーンミルクバニラアイス」があるぞ、と無意識に一生懸命フィードバックすることくらいだ。
結果、無意識がその気になってくれれば、めでたくセブンに到着してアイスクリームにありつける。
まったく、我々人類の意識と無意識の関係は、飼い犬と飼い主の関係のようでもある。
飼い主はなだめたりすかしたり怒ったりエサで釣ったりしながら飼い犬を教育する。
飼い犬は、ご機嫌な時には期待に応えてくれるが多くの場合に気まぐれに行動し、飼い主に叱られる。

この例えの場合、飼い主が意識であり飼い犬は無意識であるけれど、注意が必要なのは人類における意識と無意識では無意識の方が本来的なメインの脳内システムであり、意識は無意識をサポートするサブシステムに過ぎないことだ。
飼い主は、自分がご主人様だと勘違いしているが、ほんとうは犬の方がご主人であり行動の決定権は犬の方にある。

今この瞬間、いろいろと生意気なことを考えている「意識」は、何を考えているか得体の知れない「無意識」がほんとうはご主人様だと知らねばならない。
それは飼い主でなく飼い犬の方がご主人様なのだと思い直すくらい錯綜した感じの、難しい意識の転換であるなあと思った。
posted by ヤス at 11:40| Comment(0) | 徒然なるままに