2016年09月06日

縄文人・弥生人についての想像

さて、ここから先は個人的な憶測を書く。
日本人の起源の謎について、海部博士の本を読んでわたしの脳みその中に少しイメージが出来上がってきたので、かなり妄想的なイメージではあるが書き留めておこうと思う。

ここで書き留めておきたいのは縄文、弥生時代についてだ。
昨日までの話で、3万8千年前頃に対馬、琉球、北海道の3ルートから最初の人類が日本列島に進出したという仮説について確認した。

問題はその後の時代だ。
海部博士の本は3ルートから日本列島への人類到達まで、およそ2万年前で話が終わる。
縄文時代は1万6千年前から始まったというが、縄文人はどこから来たのか。
新しい疑問が首をもたげる。
DNA解析研究による縄文人の起源研究も進んでいるようだがまだ結論は出ていない。

そこで勝手ながら以下憶測してみる。

まず、縄文人の始まり。
これについては3ルートからやって来た初期日本人のうちのどれかの集団が起源なのではないかと勝手に想像する。
とある初期日本人の集落に非常にアイデアの優れたレオナルドダビンチみたいな天才が居て、彼(または彼女)がある時泥を固めて火で焼くと硬く固まることを発見し、土器を発明する。
土器は石器と違って自由に成形出来、やがて壺や鍋みたいのを作ってそれで植物や肉を煮込むと柔らかく美味しくなることを発見する。
この発見は集落の皆に伝授され、その集落では今までアク抜きが必要だったり硬すぎたりして食べられなかった木の実なども美味しく食べられるようになる。

そんなこんなで最初の縄文人は、土器を使って調理することでいろんな動植物を食料化することにチャレンジし、成功する。
実際、縄文人は周辺にあるありとあらゆるものを食べていたらしいことが遺跡資料で分かっている。
中には食人習慣を類推させる遺跡もあるという。

何でも食べられる初期縄文人は狭い土地の中でもある程度長期的に食料を確保可能になり、それまでの食料を求めた移動生活から徐々に定住生活に移行する。
そして、人口扶養能力を増した初期縄文人は初期日本人に比べて爆発的に人口が増加し、縄文式のライフスタイルとともに日本列島中に拡散していく。

つまり縄文人は初期日本人の集団から生じたというのがこの憶測仮説である。

さて、縄文時代も晩期の3000年前頃になると稲作が始まるらしい。
この時代は中国の春秋戦国時代の頃で、これも憶測だが大陸の戦争難民がいくらか東シナ海を渡って日本列島にやって来ていたのではないか。
それが2200年前頃、始皇帝が諸国を統一し項羽と劉邦が覇を競って中国世界が荒れに荒れていた頃に、難民集団が大挙して列島を目指したことがあったのではないか。

彼らは九州あたりに拠点を構え、大規模な稲作を行い、先住民の縄文人を飲み込んだと考える。
何せ稲作の人口扶養能力は、縄文式の何でも食べる方式よりさらに数段強力であろうからだ。
それが弥生土器を焼き、弥生文化を擁する弥生人である。

ということで、縄文人は土器を発明して何でも食べることで人口を爆発的に増やして列島を制覇した。
しかし後から来た稲作民である弥生人は、さらに超絶レベルで食料を生産し完全定住の生活スタイルと余剰物の発生による支配・被支配の社会構造も作り上げて縄文人を飲み込んでいったのだろう。

以上、縄文人と弥生人についてに個人的憶測でした。
ことの真偽について、追々いろんな書籍に当たってみようと思う、今日この頃です。
posted by ヤス at 11:18| Comment(0) | 徒然なるままに