2016年09月01日

NHKの集金

昨日の夜、8時過ぎくらいだったと思うけれど、家のドアをノックする人がいて開けてみたらNHKの集金人だった。

NHKの集金人に遭遇するのはかなり久しぶりだ。
「いやいや、やっとおられましたね」とその集金人のおじさんは第一声を発したので、これまでに一度か二度か昼間の留守中に来たことがあったのかもしれない。
あるいはただの常套句だったか。

とにかく久しぶりにNHK集金に遭遇して、わたしはほんの少しだけ嬉しかった。
なにか、一般市民として認識されている感じ、少なくともNHKにはやっと認識されたのか、というのが何気にわたしの承認欲求を刺激したらしい。

で、集金人のおじさんは型通りに名乗ったあと、「今ちょっと調査に回っています」と切り出してきた。
少し長い前置きが10秒かそれ以上続いてやっと「お宅にはテレビ設置してますよね」と聞いてきたので「うちにはテレビは無い」と答えた。
「ワンセグやクルマのテレビは?」
「ありません」

先日、ニュースでワンセグに対するNHKの請求権を否定する判決が出ていたような気がしたが、おじさんは確かにワンセグのことも聞いてきた。
この判決に効力が生じるのはまだ先なのかもしれない。
または単にNHKが無視を決め込んでいるだけなのか。

「それじゃあ、家では寝るだけなの?」

ほんのりキレ気味におじさんは聞いてきた。

ちなみにうちにテレビが無いことはまぎれもない真理である。
ワンセグもないしクルマにも載ってない。
だがおじさんは、おそらくいつものパターンなのだろう、こいつテレビが無いって嘘ついてやがんな、という疑念を身体中から発しているように思われた。

しかし無いものはない。

昔、20数年前の学生時代には、集金人のおじさんがづかづかとアパートに上がりこんでテレビの有無を確認したこともあったが、さすがに現代ではそういうことはない。

少しばかりの押し問答の末に、おじさんはあっさりあきらめて帰っていったが、うちにテレビが無いことを果たして信用したのだろうか。

昨日の件を受けて少し思った。
人を疑うというのは、疑われる言動の多い本人にもいくらかの責任はあるだろうが、あくまでも疑う側にその主導権はある。
テレビを本当は隠しているのだろう、と疑われているかと想像するとやや気分が悪かった。
だがそう疑う主導権はおじさんの側にあるので、それを想像して気分を悪くするのはまったく無駄だ。

よく政治家なんかでも、何か疑念を週刊誌に書かれて説明責任果たせ、みたいなことがある。
あれなんかでもそっちが勝手に疑ったのだから、まず疑った側が物証を揃えて可能な限り論理的にスキの無い質問を投げるべきだろう。
そうでない、噂や伝聞情報に基づいたふんわりとした疑惑というのは、いくらでも量産可能で著しくフェアネスを欠く。

疑う側は、疑われる側の何倍もの論理的正しさが要求されるべきであろう。

話が逸れた。
まあNHKの集金人もけっこう心労の絶えないたいへんな仕事なのかもしれない。
あと、こまで集金人の「おじさん」と言ってきたがたぶん年恰好はわたしと同じくらいだ。
自分もおじさんであることをすっかり忘れていた、というのに今気付いた。
posted by ヤス at 11:11| Comment(1) | 徒然なるままに