2016年09月10日

味噌汁が美味い

少し涼しくなった。
日中はまだまだ暑いがそれでも8月よりはかなりマシだ。
涼しくなったのでしばらく休んでいたいランニングも再開した。

朝の時間にかなりゆっくりしたペースでちんたら走るのだが、それでも日が昇るとかなり暑い。
だらだらと汗が出る。
汗が出て身体から水分とナトリウムが流出するのでこれを補わねばならない。
そのためには味噌汁がよい。

最近は出汁入りの味噌が普通に売られていて、お湯に溶かすだけで美味しい味噌汁が出来る。
お湯に溶かすだけの手軽さを最大化するために、具は入れない。
ちなみに現在使用中の味噌の銘柄はマルコメのカツオ昆布だし入り一休さん(750g)だ。

そうやって味噌汁を飲んでいて思うのだが、味噌汁の味覚の醍醐味は、水に溶かす濃度のちょうど良さがほとんどすべて、ということである。
汁物の美味さは口に含んだ時の塩分濃度の塩梅が、濃過ぎず薄過ぎず、ちょうどよい具合の時に最大化される。
したがってちょうどよい濃度を探り当ててこれを常に再現出来る体制を整備しておくことが求められる。

ということで、うちの台所にはタニタのクッキングスケールが置いてあって、味噌汁を作るときは味噌の重量を計り、そして計量カップで計った200ccの水と混ぜるシステムになっている。
飲む時に味噌の糀がちょっと邪魔なので、お茶を淹れる急須の茶こしに味噌を入れてお湯を注ぎ、混ぜる。
この際、急須ごとタニタの上にセットした上で計測値をゼロにリセットして作業スタート。

現在のベストバランスは水200ccに対し出汁入り味噌18gというところだ。
そして現在使用中のタニタのクッキングスケールは最小計測単位が0.5gである。
いったんゼロにリセットしたタニタの上の急須の茶こしに、そろりそろりと味噌を押し出す。
12〜3gはいっきに出して、その後はタニタの目盛りを見ながら慎重に18gを目指す。
しかし味噌は粘性が高く、0.5gはおろか1g単位の微量を取り分けることも難しい。

さらにこういう場面で、最初に18gと決めてはいるのだが、少し多目に、20gを突破して出してしまうことが多く、そこに人間心理の不可思議を感じる。
その場合、当然味噌汁は味が濃くなる。
塩分が、味噌18gから20gに2gオーバーした分、きっちりしょっぱく感じる。
この点、人間の味覚の性能はたいしたものだと思う。


そのようにして味噌汁を飲んでいると、時々今日の濃度はちょうどいい濃さかもしれない、と感じることがまれにあるが、そういう時、体内組織の塩分濃度と汁の濃度がシンクロしているような感覚を感じる。

いずれにしても、味噌汁というのは味の複雑さはたいしたことが無い割に、時々妙に美味しく感じるものだなあ、と思ったのであった。
posted by ヤス at 14:59| Comment(2) | 徒然なるままに

2016年09月09日

二重国籍疑惑への違和感

民進党の代表選に出馬中の蓮舫氏の「二重国籍」疑惑が問題になっている。
いろいろ見てみたが、どうもこの疑惑は実際には存在し得ない幻の疑惑であるようだ。
少なくともわたしにはそのようにしか見えない。

この疑惑が実際には存在しないものであることの説明については、ネット上でもいろいろなところで行われているのでここでは詳しく書かない。
ちょっとだけ触れておくとすれば、中国の国籍法では外国籍を取得した人は自動的に中国籍を失うこと、また蓮舫氏はすでに国会議員として何年も活動し、その間国籍が問題になっていない。
それらのことから、そもそもこの問題は存在さえしていないことは明らかだろう。

わたしは蓮舫氏の政治姿勢や人物像に対して特別の支持も不支持もするものではない。
今回この件について触れたのは、蓮舫氏を擁護するというよりは、けっこうな数の人々が鬼の首を取ったようにこの問題について騒ぎ立てている現状について残念に感じたからだ。

どうも日本の中の一部の人々にあっては、日本人のあり方について極度の閉鎖性というか純潔性を求める感情があるように思われる。
これらの人々は、特に日本在住の中国や朝鮮半島出身者について、出身国のスパイに見えてしょうがないらしい。
あるいはそれらの国々が一定量のスパイを日本に送り込んで生活保護等を不正受給し、国益を損ねているという被害意識がかなり強いとかいうことがある。

確かに、それらの国がスパイに類する人間を送り込んで日本の国益に反する活動を行っている現実はあるかもしれない。
いやたぶん間違いなくあるのだろう。

しかし国際化が進んで国境を越えた経済活動が日常のものとなっている今日、そういうスパイ的な活動を完全に排除することは不可能だ。
江戸時代のように鎖国でもするしかなく、そうなると経済活動が停滞してデメリットの方がはるかに大きい。

今の時代、国境を越えた人の行き来や国籍の変更はなるべくオープンであった方が日本の国益には適っているのは間違いないと思う。


何か具体的なスパイ疑惑でもあるならともかく、このように不明瞭な疑惑をことさらに騒ぎ立てる風潮には違和感を感じる。
疑惑追求の中には国籍法への違反よりむしろ、蓮舫氏の国籍に関する過去の発言の整合性を指摘する向きもあるようで、幾つかそういう指摘を読んだがどれも的を射ているように思えない。

わたしにはこの疑惑の原動力は、行き過ぎた排外主義・純血主義の表れであるように思えてならないのだが、この問題、この先どの辺に着地するのだろうか。
posted by ヤス at 15:58| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月08日

新型iPhoneが出た

日本時間の今朝未明、アメリカ時間の9月7日にアップルのiPhone7が発表された。
前機種までと同じく7と7Plusのふたつのサイズで出た。

新型チップを搭載し防水防塵仕様、さらに大きな注目点はFeliCa搭載とイヤホンジャックの穴廃止だろう。
ガラケー時代におサイフケータイ機能を使っていた身としては、iPhoneに同機能が搭載されたことを素直に喜びたい。

またイヤホンの穴問題であるが、これは穴の問題というよりはケーブルレスの問題だった。
ケーブルレスのイヤホンはバッテリー駆動なのであろうが、どのような使い心地なのであろうか。
まあひとまずは邪魔なコードが無くなってすっきりして良さそうだと思う。

あとアップルのサイトで仕様表をみたら、6sより何気に軽くなっている。
6sが143gだったのが、新型7は138g、5g軽い。
「薄くなった」みたいな情報をどこかで見た気がするが仕様では寸法は同じ。
ただ製品画像ではカメラのレンズの出っ張りは相変わらずで、心なしか前より余計に出っ張っているようにも見える。

あと、気になるのはお値段だ。
アメリカでは649ドルからの価格帯らしい。
そして日本での価格は72800円からだという。
割り算するとレートは1ドル112円。
アップルは当面のレートを112円くらいに思っているのだろうか。

日本ではiPhoneの人気が異常に高い。
だから日本では少々高くても売れるので少しプレミアムを付けて売れば利益が最大化出来る、と考えたような気がする。
もしクレームが寄せられてもアップルでは今後1年間の円ドルレートをこれ位に予測しています、と言い訳ができる。

まあ企業が自社製品に付ける値段は自由だからあまり文句も言えない。
需要があると予想される市場で強気の値段設定は経済合理的な判断と言わざるをえない。

ただし、個人的には7〜8万円もする精密機械を2年に一回買い換えるというサイクルは、正直しんどい。
というか、スマホの登場以来、中でもiPhoneが日本で売られるようになって以降、毎月1万円スマホに支出するライフスタイルが日本に定着した。

今、日本のスマホの普及台数はおよそ5500万台らしい。
うちiPhoneのシェアが7割をかなり超える。
(あるデータでは76%だった)
つまり日本にはざっと4000万人のiPhoneユーザーがいる。
このユーザーが2年に一回7万円(1年あたり3.5万円だ)の端末を購入すると、アップルの端末売上はざっくり1.4兆円。

ガラケーの料金体系はスマホの半分くらいなので、ざっと推測するに、iPhoneの登場でガラケー時代から比べて日本人の携帯端末への支出は年間数千億から1兆円くらい増えたのではなかろうか。

アップルの2016年度4ー6月期売上は急減したらしいが、その理由としてiPhoneの市場がそろそろ飽和したことはもちろん新型iPhoneの単価が高くなり過ぎたことが影響していることは間違いなかろう。

アップルの戦略としては、型遅れ機種で市場の裾野を押さえつつ新型機で上澄み部分キープしたいのだろうけれど、この戦略は今のところ「大成功」のようには見えない。

個人的には普及機市場にも、余計な機能を省略しつつデザインやアイデアで魅力を付加した「新型機」を出して欲しいと思うのだが、さていったいどうなるのだろう。
posted by ヤス at 12:38| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月07日

日本語の起源が分からない

このところ日本列島へのホモ・サピエンスの進出、縄文人と弥生人の起源についての妄想を書いている。
しかし重要な書き残しがあることに気が付いた。

それは「日本語の起源」についてである。
個人的妄想として、弥生人は項羽と劉邦の時期の戦乱を逃れた難民なのではないかというのを書いてみたのだが、もし本当にそうならば、弥生人の言語は中国大陸由来のものになっているはずなのではないか。

だいぶ昔に国語学者の大野晋という人の書いた日本語の起源についての本を読んだ記憶がある。
その本によると日本語は南インドやスリランカあたりで使われているタミル語と類似性があり、古代タミル語が日本語の直接の祖先ではないかというものだったと思う。
この説は、はるか遠くのスリランカ辺りから日本語が「やって来た」という点でものすごくインパクトがあり、少なからず感動を覚えた。

しかし研究者の間では反論も大きく、大野晋氏自身もその後やや路線変更したらしい。

この他に日本語の起源については古代高句麗語や朝鮮語をルーツとするもの、中央アジアを中心に広範に広がるアルタイ系諸語と日本の南方海洋のオーストロネシア系語が混合したという説や、中国大陸の山東半島辺りから来たとか、ややトンデモ系であるが日本人・ユダヤ人同祖説に基づくヘブライ語由来説などもあるという。

つまり今もってよく分からない、というのが日本語の起源研究の現状であるようだ。

おそらく根源的には、数万年前に遡ってホモ・サピエンスにおける言語の発生について解明されることが必要なのではないかという気がする。


しかしいずれにしても日本語の起源についての諸説をネットで検索して見た感じ、いろんな言語が混合しているという点が日本語の特徴、というのはまず言えそうである。

ユーラシア大陸の東の端の袋小路の列島には、3万8千年前頃より各地域から人類がぞろぞろとやって来たようであり、2300年前頃には「弥生文化の素」を持ってかなりたくさんの移民があったことが想像される。
彼らがどこから来たのか、なによりどんな言語を使っていたのかが問題であるが、とりあえずわたしの手元にその手掛かりはない。

三国志の魏志倭人伝には、倭人は入墨をし海中に入って巧みに魚を獲るなどという記述があり、当時の中国人は倭人は越人(ベトナムに近い中国南部の民族)と似ているという感想を持っていたらしい。

そういうこともあって、個人的には弥生人のルーツは中国南部、揚子江よりさらに南の地域の民族なのではないかと空想を膨らませているのであるが、そうなると現代日本語のルーツもその辺りということになってしまう。
現状、それを強く否定する学術的根拠も無いようで、また肯定する根拠についても今のところ知らない。

弥生人のルーツはいったいどこにあるのだろう。
かなり気になって来たがとりあえず今日はこれでおしまい。
posted by ヤス at 15:47| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月06日

縄文人・弥生人についての想像

さて、ここから先は個人的な憶測を書く。
日本人の起源の謎について、海部博士の本を読んでわたしの脳みその中に少しイメージが出来上がってきたので、かなり妄想的なイメージではあるが書き留めておこうと思う。

ここで書き留めておきたいのは縄文、弥生時代についてだ。
昨日までの話で、3万8千年前頃に対馬、琉球、北海道の3ルートから最初の人類が日本列島に進出したという仮説について確認した。

問題はその後の時代だ。
海部博士の本は3ルートから日本列島への人類到達まで、およそ2万年前で話が終わる。
縄文時代は1万6千年前から始まったというが、縄文人はどこから来たのか。
新しい疑問が首をもたげる。
DNA解析研究による縄文人の起源研究も進んでいるようだがまだ結論は出ていない。

そこで勝手ながら以下憶測してみる。

まず、縄文人の始まり。
これについては3ルートからやって来た初期日本人のうちのどれかの集団が起源なのではないかと勝手に想像する。
とある初期日本人の集落に非常にアイデアの優れたレオナルドダビンチみたいな天才が居て、彼(または彼女)がある時泥を固めて火で焼くと硬く固まることを発見し、土器を発明する。
土器は石器と違って自由に成形出来、やがて壺や鍋みたいのを作ってそれで植物や肉を煮込むと柔らかく美味しくなることを発見する。
この発見は集落の皆に伝授され、その集落では今までアク抜きが必要だったり硬すぎたりして食べられなかった木の実なども美味しく食べられるようになる。

そんなこんなで最初の縄文人は、土器を使って調理することでいろんな動植物を食料化することにチャレンジし、成功する。
実際、縄文人は周辺にあるありとあらゆるものを食べていたらしいことが遺跡資料で分かっている。
中には食人習慣を類推させる遺跡もあるという。

何でも食べられる初期縄文人は狭い土地の中でもある程度長期的に食料を確保可能になり、それまでの食料を求めた移動生活から徐々に定住生活に移行する。
そして、人口扶養能力を増した初期縄文人は初期日本人に比べて爆発的に人口が増加し、縄文式のライフスタイルとともに日本列島中に拡散していく。

つまり縄文人は初期日本人の集団から生じたというのがこの憶測仮説である。

さて、縄文時代も晩期の3000年前頃になると稲作が始まるらしい。
この時代は中国の春秋戦国時代の頃で、これも憶測だが大陸の戦争難民がいくらか東シナ海を渡って日本列島にやって来ていたのではないか。
それが2200年前頃、始皇帝が諸国を統一し項羽と劉邦が覇を競って中国世界が荒れに荒れていた頃に、難民集団が大挙して列島を目指したことがあったのではないか。

彼らは九州あたりに拠点を構え、大規模な稲作を行い、先住民の縄文人を飲み込んだと考える。
何せ稲作の人口扶養能力は、縄文式の何でも食べる方式よりさらに数段強力であろうからだ。
それが弥生土器を焼き、弥生文化を擁する弥生人である。

ということで、縄文人は土器を発明して何でも食べることで人口を爆発的に増やして列島を制覇した。
しかし後から来た稲作民である弥生人は、さらに超絶レベルで食料を生産し完全定住の生活スタイルと余剰物の発生による支配・被支配の社会構造も作り上げて縄文人を飲み込んでいったのだろう。

以上、縄文人と弥生人についてに個人的憶測でした。
ことの真偽について、追々いろんな書籍に当たってみようと思う、今日この頃です。
posted by ヤス at 11:18| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月05日

ホモ・サピエンスのアドバンテージ

昨日に続き国立科学博物館・海部博士の「日本人はどこから来たのか?」の感想続き。

日本人の起源について考える時ひとつポイントになるのが、日本列島には現生人類=ホモ・サピエンス以前の旧人や原人は居たのかどうか、というのがある。
アジア大陸において、中国では北京原人、インドネシア・ジャワ島からはジャワ原人の骨化石が出てきている。
北京原人はおよそ70万年前、ジャワ原人は170〜180万年前のものらしい。
さらに原人から時代が下って35万年前から2万5千年前くらいまで、ヨーロッパから中東、中央アジアにわたって一応旧人に分類されるネアンデルタール人が居た。

出アフリカを中心とする現生人類単一起源説では、原人も旧人も人類の祖先ではないことになったいる。
原人も旧人も数十万年〜数百万年前に分岐した人類の親戚でその後絶滅している。

さて、ホモ・サピエンスが日本列島に推定3万8千年前頃に到来したとすると、その遥か以前から大陸に原人や旧人はは居たわけで、日本列島に上陸する時間的猶予はたっぷりあったはずだ。

しかしどうやら日本列島には原人・旧人の生活した痕跡は見つかっていない。
2000年に話題になった「旧石器時代遺跡捏造事件」の以前は、日本にも旧人が居たと考えられていたのが、あの事件でそれがぜんぶ白紙になった。

たぶん日本列島に原人・旧人は居なかったのだと思う。
それは、日本列島が海面高度がかなり下がっていた数万年前の氷期においても、津軽海峡や対馬海峡などがずっと海のままで完全な大陸地続きになったことが無かったからである。

どうも海を越えて新天地を求める能力は現生人類の専売特許のようで、宗教儀式などの痕跡を残しかなり奥深い精神世界を構築したと考えられているネアンデルタール人でも、現生人類のような航海術はついに身に付けなかったらしい。
また全体にずんぐりした体型で寒冷地適応したネアンデルタール人であるが、シベリア北部や北極圏の極寒には耐えられなかったようで、昔は陸続きだったアメリカ大陸にも進出していない。

逆に言うと、現生人類=ホモ・サピエンスは100km超の距離を航海する技術と北極圏の寒さに対応できる衣服や住居の技術を持っていたことがネアンデルタール人に対するアドバンテージであったのだろう。

アフリカからユーラシア大陸に進出した人類は、ジャワ原人が越えられなかった海路を渡ってオーストラリアに到り、寒さに耐える技術を磨きながらシベリアを北上して1万5千年前についにアラスカからアメリカ大陸に進出した。

日本列島には、航海術を身に付けた一派が対馬方面、沖縄方面から海を越えて列島に移住、また大陸を北へ向かっていた集団の一部がカラフト経由で北海道にやって来たと想像されるのである。

ということで現生人類の特徴が、寒さに耐える技術、そして大洋を越える航海術、このふたつなのだと想像すると、なんだか非常に感慨深いなあと思った。
posted by ヤス at 14:56| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月04日

出アフリカと日本人の起源

人類学者の海部陽介(東京上野の国立科学博物館の研究者)氏の書いた「日本人はどこから来たのか?」を読んだ。
日本人がどこから来たかについてはこれまでもたくさんの仮説があって、そのおおまかな流れはなんとなくイメージ出来るのだが、腑に落ちる、というレベルにはほど遠かった。

従来の研究で日本人はおおよそ3つのルートから列島に移住してきたのだろうというのはなんとなく分かる。

ひとつはシベリア方面からサハリンを経由して北海道に達するルート。
今から3〜5万年前は地球全体の温度が低い「氷期」に当たり、海面が現在より80mほど低く北海道は大陸からつながる半島だったので、ナウマン象などの大型獣を追って徒歩で来たのだろう。

2つ目は朝鮮半島から対馬を経て北九州付近に至るルート。
やはり氷期には本州と四国、九州は地続きで、対馬と本州、朝鮮半島の間の海も今よりはだいぶ狭かったようである。

3つ目は台湾から沖縄などの琉球諸島に至るルート。
こちらも海面の低い昔には、島々は海からいくらか余計に突き出ていたものの、地続きになることはなく海で隔てられている状況は現在とさほど変わらない。
古代人類は黒潮に乗って台湾付近から琉球諸島に渡海したものと思われる。

この3つのルートは今までもおおむね明らかだったが、ではどのルートが一番最初で、どの順番で人が渡ってきてどのように列島に浸透していったのか、その様子ははっきりイメージ出来なかった。

冒頭の海部博士の研究は、3つのルートからの人類移住の歴史年代を特定し、その移住の「流れ」のイメージがかなりくっきりと浮かび上がるものなのである。

結論から言うと、3万8千年前頃に対馬ルートから移住第一波が本州にやってきて、相前後して琉球ルートで沖縄諸島に人類が浸透し、少し遅れて2万5千前ころに北海道にも人類がやって来たということらしい。



日本人の列島移住の物語を解明するためには現世人類=ホモ・サピエンスの「出アフリカ」について押さえておかねばならない。
最近の人類史研究の大きな成果として、ホモ・サピエンスのアフリカ単一起源説がある。
「イブ仮設」などと言うのがあって、今地球上に生きている70億人の人類のご先祖は、辿って行くとアフリカの一人の女性から生まれたというのがそれである。
イブ仮設の真偽はよく分からないが、ホモ・サピエンスの祖先がアフリカの極小数の人類集団だというのはどうやら間違いが無い。

それが4万8千年前頃、中東を経由してユーラシア大陸に進出し、さらに2〜3千年のタイムラグである集団はオーストラリアに至り、ほぼ平行して別の集団はシベリアやヨーロッパに到達する。

ちなみにホモ・サピエンスが中東に進出した際に、先住の旧人であるネアンデルタール人と混血したという説がDNA研究から発表されており、そちらの話も興味深い。

そういう出アフリカの大枠の中で、3万8千年前頃に日本列島にホモ・サピエンスが到達したという流れであるようだ。
日本列島では、ヒマラヤ山脈・チベット高原の難所を迂回して北回りのシベリアに向かった人々と、インドから東南アジア方面に向かった人々が再び合流したことが推測され、その点もたいへん面白い。

これもDNA研究では、現世日本人のDNAタイプは他の地域の人類と比べるとものすごくバリエーションが豊富でさまざまに混血して今の日本人が出来上がっていることを物語っているという。
海部博士の研究はそのような話にも合致する。

ということで、海部博士のおかげでこれまで日本人の起源についてのモヤモヤした感じが少し払拭してなんだかかなりスッキリした。
posted by ヤス at 13:16| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月03日

絶対値より矢印の向き


9月になった。
ちょっと思ったのだが、9月というのはなんだかキャラが薄い月だ。

8月は盛夏、暑さのピークの月でキャラが明確だ。
6月は初夏で梅雨の季節でジューンブライドの月、7月は夏本格化、夏休みもある。
要するに6、7、8月は夏である。

しかし9月はなんだ。
3ケ月×4シーズンとすれば秋の始まりなのであろう。
中秋の名月っていうのもある。
マクドナルドでは季節限定の月見バーガーも発売されている。

そうだ、9月は秋だった。
しかし相変わらず暑い。
日中はまだ30度を超す。
それでも8月まで35度超えの日が続いたのでいくらか涼しく感じなくもない。

最近は温暖化のせいで特に暑さが増しているのかもしれないが、でも気候の傾向はだいたいこんなもんである。

8月は暑い。
9月もまずまず暑いのだが、だんだん涼しくなっていくその感じ、それが秋を感じさせるということなのだと思う。

気象庁のデータによると6月と9月では過去30年間の平年値では9月の方が1度くらい暑い。
だんだん暑くなっていく6月は、暑さの程度は9月程ではないのに夏に分類され、9月は暑いけれど秋になるのは、暑さの変化のベクトルの矢印が上向きか下向きかの違いということのようである。

大昔、わたしが小学生くらいの時代の日本は、経済成長が著しくてイケイケの時代だった。
考えてみると、あの時代より今の方が、所得水準も上がりいろいろ便利なモノも増えて食べ物なんかも美味しくなっているような気がする。

しかし世の中の矢印が上を向いていたあの時代の未来が明るい感じというのは、今あまり感じない。
政府なんかは成長の演出に躍起になっているようであるが、おそらく世界的な潜在成長率がピークアウトしているのである。
みんな揃って成長の恩恵を受けられる時代は、どこの先進国でも終わっていて、この先はひょっとしたら宇宙の開拓が進んで再び大成長時代が来るのかもしれないが、とりあえず今は矢印の上の向き具合が限りなく真ヨコを向いている。

ということで、今の絶対値がたとえ低くても矢印が上向きならその絶対値がいくらかかさ上げして感じられ、矢印が下を向いていると絶対値が低く感じられるということがたぶんある。

だから9月は6月より暑いが季節としては秋なのだ。

ちなみにマクドの満月月見バーガーは、バンズやソースも改良されベーコンの塩味も効いてなかなか美味い。
それが今日の結論。
posted by ヤス at 13:17| Comment(2) | 徒然なるままに

2016年09月02日

電源無線化への期待

今少し悩んでいる。

電器屋に行って、新しい電源タップを買うべきかどうか。

机の周辺を見回すと、6口の電源タップが2つあってそれらはかろうじて2口、何の電源プラグも指すこと無く空いている。
あと3口のタップが3つ、若干のタコ足状況を醸し出しながら適当にのたうち回っている。
さらに注意深く観察してみると、闇に隠れて3口のタップがタコ足状態でがんじがらめになっているのが見える。
3口タップは計4つだった。


かねてより、電源ソケットが常に不足気味であること、そしておそらくは20本以上はそこらを這い回っている電源ケーブル、およびUSBケーブルやプリンタケーブル、LANケーブルが美観をそこねて精神衛生上の障害となっていることは、わたしにとって大きな問題であった。

5、6年前くらいだったか、BluetoothやWi-Fiなどの技術環境が整ってきて世の中に「無線接続」のパソコン周辺機器が増えたように思う。
その時に、宅内LANやプリンター接続など可能なものから無線に代えてやろうと考えた。

しかし以前は少し重い印刷データは無線で飛ばすとものすごく時間がかかってイライラするので、今使っているプリンタを買う時は躊躇なく有線のみのタイプにした経緯がある。


しかし、ちょっと前から携帯電話などで「置くだけ」の充電方式とか、線を繋がない電源供給方式が出てきている。
かなり大昔からマイクロウェーブを使って無線で「電源」を飛ばす技術、というのは概念的に出来上がっていたようであるが、それがだんだん実用化が進んでいるようである。

宇宙空間に1辺が何キロメートルもある馬鹿でかいソーラーパネルを浮かして発電し、地球上の受信アンテナめがけてマイクロウェーブのビームを「送電」する、などという構想も昔からある。
あるいは走行中の電気自動車に、道路に埋め込んだ送電装置から電源を「飛ばして」充電するという方式も考えられているらしい。

家庭内の機器でも、置くだけ充電を一歩進めて何メートルか離れた場所にある電気製品に無線で電源を飛ばすことが出来るようになるのかもしれない。
そうすると、うちのケーブル問題の大部分が解消される可能性がある。

マイクロウェーブと言えば電子レンジの技術でも使われており、また携帯電話で問題とされる電磁波のさらに強力なやつなので、これが家庭内をびんびん飛び回ると、何か人体に害があるのかもしれない。

しかし我が家のケーブル散乱問題を解決するためにも、電源ケーブルを消滅させるこの技術はかなり魅力的だ。
安全性を確保しつつ早く実用化されることを期待することにする。

ということで電源タップを買うのは、もう少しがまんして足りない電源はコンセントの抜き差しでどうにかしようと思う。
posted by ヤス at 10:00| Comment(0) | 徒然なるままに

2016年09月01日

NHKの集金

昨日の夜、8時過ぎくらいだったと思うけれど、家のドアをノックする人がいて開けてみたらNHKの集金人だった。

NHKの集金人に遭遇するのはかなり久しぶりだ。
「いやいや、やっとおられましたね」とその集金人のおじさんは第一声を発したので、これまでに一度か二度か昼間の留守中に来たことがあったのかもしれない。
あるいはただの常套句だったか。

とにかく久しぶりにNHK集金に遭遇して、わたしはほんの少しだけ嬉しかった。
なにか、一般市民として認識されている感じ、少なくともNHKにはやっと認識されたのか、というのが何気にわたしの承認欲求を刺激したらしい。

で、集金人のおじさんは型通りに名乗ったあと、「今ちょっと調査に回っています」と切り出してきた。
少し長い前置きが10秒かそれ以上続いてやっと「お宅にはテレビ設置してますよね」と聞いてきたので「うちにはテレビは無い」と答えた。
「ワンセグやクルマのテレビは?」
「ありません」

先日、ニュースでワンセグに対するNHKの請求権を否定する判決が出ていたような気がしたが、おじさんは確かにワンセグのことも聞いてきた。
この判決に効力が生じるのはまだ先なのかもしれない。
または単にNHKが無視を決め込んでいるだけなのか。

「それじゃあ、家では寝るだけなの?」

ほんのりキレ気味におじさんは聞いてきた。

ちなみにうちにテレビが無いことはまぎれもない真理である。
ワンセグもないしクルマにも載ってない。
だがおじさんは、おそらくいつものパターンなのだろう、こいつテレビが無いって嘘ついてやがんな、という疑念を身体中から発しているように思われた。

しかし無いものはない。

昔、20数年前の学生時代には、集金人のおじさんがづかづかとアパートに上がりこんでテレビの有無を確認したこともあったが、さすがに現代ではそういうことはない。

少しばかりの押し問答の末に、おじさんはあっさりあきらめて帰っていったが、うちにテレビが無いことを果たして信用したのだろうか。

昨日の件を受けて少し思った。
人を疑うというのは、疑われる言動の多い本人にもいくらかの責任はあるだろうが、あくまでも疑う側にその主導権はある。
テレビを本当は隠しているのだろう、と疑われているかと想像するとやや気分が悪かった。
だがそう疑う主導権はおじさんの側にあるので、それを想像して気分を悪くするのはまったく無駄だ。

よく政治家なんかでも、何か疑念を週刊誌に書かれて説明責任果たせ、みたいなことがある。
あれなんかでもそっちが勝手に疑ったのだから、まず疑った側が物証を揃えて可能な限り論理的にスキの無い質問を投げるべきだろう。
そうでない、噂や伝聞情報に基づいたふんわりとした疑惑というのは、いくらでも量産可能で著しくフェアネスを欠く。

疑う側は、疑われる側の何倍もの論理的正しさが要求されるべきであろう。

話が逸れた。
まあNHKの集金人もけっこう心労の絶えないたいへんな仕事なのかもしれない。
あと、こまで集金人の「おじさん」と言ってきたがたぶん年恰好はわたしと同じくらいだ。
自分もおじさんであることをすっかり忘れていた、というのに今気付いた。
posted by ヤス at 11:11| Comment(1) | 徒然なるままに